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三銃士 シナノスイートだけど、ビター

 翌朝早く、もよは両脇に坊主ふたりを引き連れ、霜の浮く農道を歩いていた。


「パヤパヤパー、ふぁーんふぁーんふぁーん」


 お市は荒野の用心棒のテーマを歌っている。テツもガンマンのようにいかめしく歩いていた。


(こんなはずでは)


 もよは少しあてがはずれた気分があった。

 ご眷属さまにお願いすると、神秘な力が害獣に作用し、ひとりでに山に帰っていく――。さらにリンゴの値段もなぜか高騰し、口座がうるおい、ひと皆笑顔――という期待がふんわりとあった。

 現実には、


 ――明後日、三好家で獣害対策会議を行う。集落の人間を集めよ。


 いたって地味な指示がなされた。


(いや、無理だわよ。集会なんて)


 もよは心配した。

 詐欺の件以来、自治会長の三好次郎に人望はない。昨年の秋祭もほとんどの家が無視した。

 自分が旗頭となって、運動しているところも納得しかねた。


「あの、わたしにあのひとらを説得する力はないと思うのよ」


 もよはまた言った。


「そういう長老みたいな立場じゃないんだよ。わたしは。ただ古い人間で、うちはもと雑貨屋だから、じじいたちがちょくちょく遊びにくるけど、それだって、むこうが好き勝手しゃべってくだけで、わたしのご意見を聞きにくるわけじゃないんだ。だれのご意見も聞かないんだ、ここの男衆は。農園の王様なんだよ。わたしがなんか言い出したら、ヤカンが口聞いたぐらいにびっくりするよ。まあ、落ち着けって、熱さましよこして」


「ばあちゃん」


 テツが言った。


「腹をくくれ」

「――」


 もよは口をつぐんだ。どうあってもこの役目はやらされるらしい。


(ま、自分の目で見たらわかるか)


 もよはあきらめ、電気柵の囲む農園を指した。


「ここが、わが集落の三銃士のひとり、重久晴夫しげひさはるおさんの畑。いろいろ言ったけど、うちの集落はリンゴ農家としちゃ優秀なんだ。なかでも、シゲさんはシナノスイートの名人でね――シゲちゃん、入るよー」


 リンゴの裸木がならぶ農園のなかに、痩せて背の高い老人がいた。

 長い腕を伸ばして、リンゴの幹に白いものを塗りつけている。周囲のリンゴはみな骨のように白く変わっていた。


「あれね。リンゴの日焼け止め」


 もよは若者たちに教え、老農夫に声をかけた。


「シゲちゃん。お坊さん連れてきた。ちと話があるんだよ」

「もよ。こっち来い」


 老農夫はしゃがれ声で言った。長芋のようなざらついた面長に陰気な小さい目が据わっている。

 もよがそばへ歩いていくと、老人は印籠でも出すように、長い腕を突き出した。

 シューッという噴射音とともに、坊主ふたりの顔に赤い煙が噴きつけられた。


「え」


 一瞬後、ふたりは絶叫した。唐辛子粉が眼球にへばりついて針刺すように焼いていた。


「ぎゃああああああッ!」

「ちょ、シゲ、あんた何やってんの」


 もよは仰天した。シゲの手には催涙スプレーの缶があった。

 坊主ふたりは涙と洟をあふれさせ、騒いだ。手ぬぐいで顔をぬぐおうとするが、顔中、皮膚が剥がれたように燃えている。


「目が、超ムスカ、目が、目がア――」


 お市がわめくが、咳き込んで言葉にならない。テツのほうが、


「入り口に水道があった。来い――」


 ふたりは来たほうへ駆け出した。

 シゲがそれを見送り、


「坊主が何しにきやがった」


 もよが脇からわめいた。


「だから、それを今説明しようとしたんじゃないの! なにやってんのよアンタ」

「ここはおれの畑だ。勝手に入ってきたやつに何しようと自由だろう」

「なわけないでしょ。ここはアメリカじゃないんだよ!」 


 シゲはリンゴの世界では名人と言われる農家だった。

 彼のシナノスイートは、長野県の品評会での農水大臣賞をはじめ各種賞に輝き、高く評価されている。重久農園のリンゴは人気で、取引値も高かった。 

 ただし、作り手は人嫌いだった。


「おれの畑に入っていいやつは、おれが決める。バカが三人も入ってくると、畑の調子が狂うんだ」

「わたしも?」

「おまえ、バカの最たるもんだろうがよ」

「でもそこがいいんだよね?」

「頭にサナダ虫でも飼ってんのかババア」

「あんた、そういうことばっかり言ってるから、パートさんに嫌われるんだよ!」


 息をするように悪態が出てくるため、パートの主婦たちに嫌われている。そのせいで農繁期に手伝いが集まらず、縮小経営を余儀なくされていた。


「パート? あんなもん、ただのパーだろう?」

「もういいよ」


 もよは気を取り直して、僧侶たちを連れてきたいきさつを話した。

 シゲは長い顔をぶらさげて、黙って聞いていたが、


「くだらねえ」


 背を向けて、また日焼け止め塗りの作業に戻った。


「なんでよ。あんたんとこも秋映え、サルにやられたって言ってたでしょ」

「――」

「シゲちゃん。今、この辺りは百頭ぐらいのサルのグループが、四つもいるんだってよ」

「けっこうじゃねえか。サルが来て、たぬ吉や章介の畑を食い荒らしてくれんなら。食わせろ食わせろ。あいつらが泣くなら、多少の被害は気にしねえ」

「あんたら三人はともかく、若手はみんな崖っぷちなんだ。子どもの学費が稼げないって悩んでんだよ。みんな小倉さんみたいに逃げちまうよ?」


 シゲはふりむきもせず、


「やめりゃいいんだよ」


 と刷毛を動かした。


「くだんねえリンゴ作ってる連中はやめりゃいいんだよ。獣害だ、なんだって騒いでるやつに限って、どうでもいいようなリンゴ作ってんじゃねえか。ジュースにしかなんねえような。あんなのが、リンゴ農家名乗ってんじゃねえよ。ジュース農家だ。もしくは、動物園の象のエサ農家だな」

「またそういう」

「そもそも、動物に負けるようなやつが、まともなリンゴ作れるはずがねえんだよ。なんも見てねんだ。うす馬鹿だ。やめりゃいい。あんなのぜーんぶ伐っちまって、土に返したほうがいい。そのほうがエコだ、エコ。――」

「……」


 シゲが一般人以上に嫌いなのはリンゴ農家だった。中でも同じ集落の農家のことは軽蔑しきっていた。農家が機嫌よく挨拶すると、


 ――あんなリンゴ作っててよく笑ってられるな。


 ――あんなもん、よく出荷できるね。あんた、ツラの皮、草履の裏で出来てんじゃねえか?


 誰を見ても悪口が出る。集落の誰からも憎まれていた。


「ま、あいつらは一生、一流にはなれねえよ。年に数度手を入れてリンゴ農家のつもりでいるんだ。せいぜい、サルと遊んでりゃいい」


 その時、僧たちがどやどやと戻ってきた。お市のほうが、


「じじい!」


 いきなりシゲの顔に、がばと濡れた手ぬぐいを押し付けた。もみこむように擦りつけ、飛び離れる。

シゲは目を剥こうとして、顔の痛みにおめいた。唐辛子粉が顔の皮を焼いている。


「ざまあー!」


 お市は血走った目を剥いた。


「金曜夕方六時、三好家に来い。戦争だ!」


 撤収、と言って駆け出した。

 もよはひょいと放り上げられ、テツの背中におぶわれていた。

 シゲのわめき声を尻目に三人は農園から退散した。



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