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駆け込み訴え

 翌日、次郎は警察に行って被害届を出した。金は助かったものの、帰って来ると寝込んでしまった。


 お市のほうは昨日より顔色がいい。重湯をとって元気になったらしく、この日は這わずに立って歩いた。


 立つと、背が高かった。

 百八十は越えている。ただし、相棒と違って胸が薄く、肩も狭い。

 顔も小さいが、目が大きく悍気があり、口もまた大きかった。


「ア、お母さんでしたか。原節子かとおもった。昨夜は湯たんぽありがとうございました。お母さんはやさしさでできてるんですね。お母さんかと思ったら、バファリン? お母さん、バファリンでできてる?」


 よくしゃべった。


「台所お借りしていいですか。ついでにお米をひと握りいただいても。最近、米の顔を忘れちゃって。米を思い出そうとすると、ムカゴが浮かんでくるんです。シイの実とかね。てっちゃん、托鉢で何にもいただけないと、山行って古い山栗拾ったり、ムカゴむしってくるんです。食生活が縄文人。悟りの境地を目指してたはずなのに、心は邪馬台国。邪馬台国って信濃にあったんですね。畿内説を推してたんですが」


「お粥なら作ってあげるよ。大丈夫なの?」

「米一握りぐらいなら大丈夫」


 大丈夫と言ったが、三口も喰うと腹いっぱいになって悶絶した。


「坊主は食べもの残したら、ダメなんです。これ、てっちゃんに食べさせて」


 からだは弱い。

 京子が薬を出してやると、お市は青い息をしながら、


「次郎さん、気をつけてやってね。この家もう、カモリストにのってるから。また来るよ。新手のが」

「本当にねえ」

「電話機、換えなよ。録音つきのやつ」


 京子は奥で寝てる亭主を思い、切なくなった。ついこの世知に長けた若い坊主に話したくなった。


 ――じつはこれで三度目なのよ。前の損を取り返したくて――。


 その時、玄関のドアが開く気配がした。あわただしく足音が廊下を駆けてくる。


「次郎ちゃん――お坊さん、お坊さん」


 老女の小さいからだが息せき切って茶の間に入ってきた。


「もよさん――」


 田舎のこととて客におどろかない。京子が僧を紹介しようとすると、


「弥市様!」


 老女はバネのように飛んで、お市のそばにひざをついた。手を合わせ、南無無畏大師、と唸るように真言をとなえる。


「もよさん?」


 京子がなにごとかとのぞき見ると、もよは顔中に歓びを表わして、


「この方はご眷属さまだよ! 弥市さまだよ。無畏大師さまがおつかわしくださったんだよ」


 お市は目をしばたき、京子を見た。


「すみませんが、ご説明を」

「――」


 ちょうどそこへ、縁側からテツ坊のほうが戻ってきた。


「薪割り、やっときましたよ」

「テツさん、そんな――」


 京子が言いかけた時、


「手津丸(てつまる)さま!」


 もよはまた声を張り上げた。目に涙を浮かべ、


「手津丸さま。弥市さま。あああ、本当に来てくださった! この杏花村を助けに、また来てくだされた――!」


 かたまっているテツの足元に、手を合わせて、伏し拝んだ。





 もよはこの集落で生い育った。


「天明の大飢饉の直前、ふたりの旅人が現れて言ったんだ。


『もうすぐ冷害で米がとれなくなる。すぐにヒエを植えろ。ドングリを天日に干して、貯蔵しろ――』


それであの六年の大飢饉、この村はひとりの餓死者も出さなかった。秋山郷のほうじゃ村ひとつ全滅したところもあったのに、この村は赤子もみな無事!」


 雪崩で村が埋まった時も、ふたりの山伏が訪れ、先に村人を避難させて無事だった、と奇跡譚が続く。

 京子は茶を注ぎ、そっと僧たちを見た。ふたりとも不安そうに、老女を見守っている。


「それでわたしは先日、広円寺のお堂でお願いしたんですよ。手津丸さまと弥市さま、この集落はかなり前から、ケモノの害を受けてる。収穫できずに赤字が増えてる。ついに夜逃げまで出た。お助けくださいと。


 ――本当は人間がなんとかしなきゃなんないことだけど、とにかくここの人たちは仲が悪いからね。農家たちが西部の荒くれ者みたいに睨みあってて、すぐケンカになっちまうんだ。三分いっしょに置いとくとケンカすんだよ。そのわりに仲直りはヘタで、これまたすぐに絶交するもんだから、もうバラッバラ。


 ――でも、まわりの村はみんな仲良く柵作ってるからさ。そこの害獣がみーんなうちにくるんだよ。ここ数年はとくにひどかった。……それでも一度はね」


 ね、と京子にうながした。だが、京子は気づかなかったように、もよの湯のみに茶を注ぎ足している。


「一度は、ここの自治会長さん――三好さんが、みんなに呼びかけたんですよ。共同で獣害対策しようって。そこへ金太郎みたいな顔した害獣防除会社の男が乗り込んできて、すごい柵を提案したのね」


 京子はせんべいの袋を乱暴に開けた。せんべいを皿に出すと、袋をぐしゃぐしゃと丸めた。


「おいしいわよ。食べなさい」


 と、ふたりの若者に勧める。

 もよは気づかず、


「集落のまわりにね。二重の金網柵をつくって、囲うって言うのよ。天井も作んのよ。つまり、金網の檻でぐるっと集落を囲むの」


 フッとお市が鼻から噴きかけた。


「動物園みたいだろ? でも、金太郎の言うことには、『この檻はワナになってるので、やってきた獲物を逃がさないのです』」

「――」


 金太郎は言った。


『この獲物が、ジビエとして売れるのです』


「その会社には害獣の食肉加工の仕組みがあって、獲物が金になるってのよ。つまり害獣対策にもなり、同時に儲かるっていうの」

「……」

「ほかの柵は、補助金出るのは最初だけで、メンテナンスは自費でやらなきゃなんない。でも、この柵は永久機関のように利益を生み続ける――なんて言ってね」


 その業者は農家の嫌がることをすべて汲み取っていた。


『柵のまわりの草刈りがいやだ』――電気を使わないので、草を刈る必要はありません。


『メンテナンス費用を払うのがいやだ』――ジビエの肉代と狩猟報償金で黒字になります。


『殺生するのがいやだ』――電話一本で業者が獣を引き取るので、お金を受け取るだけでけっこうです。


 もよは言った。


「ただ、その費用がね。先払いだって言うの。そのかわり、本当はうちの集落規模だと一千万近くかかるところ、キャンペーン価格で六百万でやる。設置工事も全部やってくれて、これ以外の金は絶対にかからないって。『補助金組み合わせれば、一戸、数万円でできますよ』って金太郎に言われてさ」


 京子は立ち上がって、台所へ行ってしまった。

 もよは続けた。


「詳しい話は省くと、費用は一戸あたりほぼ三十万円。その半分は、国の補助金が下りてたのね。でも、市のほうはまだだった。だから、『市の補助金が下りたら、また十万戻る』と踏んで、みんな十五万ずつ払ったわけ。ところがだ。金振り込んだ途端、ナシのつぶて。一週間たっても何も言ってこないから、どうしたんだ、って金太郎に電話かけたら、『おかけになった番号は――』」

「……」


 自治会長の次郎はおどろいて東京にある会社の住所をたずねた。

 そこにあったのは関係ないラーメン屋だった。


「ひどいのはその後ですよ」


 もよはこたつ板を叩いた。


「市の補助金は、まだ出てない。でも、国のほうは受け取っちゃった。それを手続きしたJAさんが、やっぱりまずいよ、って言い出してね。柵が出来てないんだから、返還しなさいって。――それでみんな怒っちゃってさ」


 集落の人間にしてみれば、柵はできなかった。十五万取られた。さらに、いっしょに騙されたJAが、ひとごとみたいに『あと十五万、国に返せ』と言い出して、腹に据えかねた。


 ――返す必要はない。なんでうちが弁済しなきゃならないんだ。

 ――騙されたのは三好だ。JAだ。国も騙されたんだ。


 しかし、返すべきだという者もいて、


 ――卑しいこと言わずに返せ。日本中から泥棒村だと思われてもいいのか。


「泥棒と言いやがったな、とか、集落の恥さらしだ、とか、大喧嘩になっちまってさ。結局、次郎ちゃんが自分の責任だと言って、国の分三百万は全部払ってくれたんだけど、――金で壊れると、仲直りがむずかしくてねえ」


 結局、柵はできず、動物は集落に侵入してくる。収穫量が落ち、人々の心は荒み、枯れ草舞う西部の荒野ような集落になりはてた、ということだった。


「……」


 ふたりの僧はそれぞれ腕を組んで、目を伏せていた。

 ですから、と、もよはこたつに身を乗り出し、


「もはや神仏のほか、おすがりするところはないんだよ。手津丸さま、弥市さま。どうか、どうか、この杏花村を今ひとたび、お助けくださいませ。神通力でケモノを防いでくださいませ」

「――」


 テツのほうが顔をあげた。


「わかりました。やりましょう」


 お市のほうが突き飛ばされたように畳に倒れた。テツはふりむき、


「いいよね?」

「オホホホ。事後承諾」


 お市はしばらく呻いていた。だが、這い上がるように身を起こし、もよに言った。


「兄弟子が言う以上、お引き受けします。やりますけどね。おれら、人間。神通力とか使えませんから。法力もまだ無理だから。完全に人力。そこは押さえといて。それと大事なこと」


 お市は大きな目を開いて、もよを見つめ、


「やるのは、おれらじゃなくて、あなたです。お願いだけして引っ込まれちゃ困る。おれらはサポート。助さんと格さんみたいに実務はやる。でも、中心はあなた」


 テツが、


「あと次郎さん」


 と言い添えた。

 お市は念を押すようにもよに言った。


「わたしたちはあくまで助っ人。リーダーにはなりません。参謀。裏方。使いっ走り。それでよければ、引き受けます」

 



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