表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
22/24

怒り

 僧侶ふたりが荷物をまとめていた。


「あんたたち、どこ行くの?」


 京子はにわかにあわて、


「十五日までいるんじゃないの?」


 お市がふりむき、


「あ、まだ集落にはいます」

「?」

「シゲじいのとこに」


 寺へ往復するのに、シゲの家が若干近いため、そちらに宿を移すという。


「そんなに変わらないでしょう。自転車貸すわよ?」


 テツが笑い、


「あの意地っ張りじいさんに、少し説教してやらないといけないんですよ」


 お市も、


「それからシゲスイートも絶対もらうのです」


 ふたりはまたご挨拶によります、と言って出て行った。

 若者が去り、家が急に静かになった。京子は亭主に愚痴って、


「シゲさんち、スイートなんかとっくにないわよ。布団だってあるかどうかわからないのに。あの子たち遠慮したのかしら」


 しかし、次郎は答えない。


「お父さん?」

「いいんじゃない。出ていきたければ」


 京子は亭主の様子に気づいた。どこか陰のあるぼんやりした顔をしていた。


「疲れたの?」


 大仕事を成し遂げたせいだろうか。


「うん――」


 なんか疲れた、と言って、次郎は畳に横になった。

 風呂入って寝ろと言っても、彼は動かなかった。





 次郎の様子がおかしくなった。

 丸一日、居間に座ってテレビを見ている。せんべい食ってテレビを見ているか、疲れたといって、ふとんを敷いて寝ていた。


 一日、二日は、京子も疲れが出たのだろう、と放っておいた。

 三日すぎ、四日目になっても、次郎は外に出ない。

 そろそろ隣家に気づかれる。京子は言った。


「お父さん、だるいんなら病気じゃない? 病院行ってきなさいよ」

「うん――」


 だが、病院に行く気はないようだった。


(燃え尽きちゃったのかしら)


 京子は困惑した。


「京ちゃん、ウドもってきたよ。食べて」


 以前、ケンカになったマキがおすそ分けだ、といってウドを届けに来た。

 マキとはすでに仲直りしている。この女はどれだけ激しい言葉を吐いても、翌日、忘れたふりをして話すことができた。


 集落は見違えたように和気藹々としている。長城のような立派な柵を作り上げて、みなほのかな誇りを感じていた。顔を合わすと、自然と微笑が出た。


「柵は効いてるね。うちのほうは、新しい足跡が全然ないよ」


 マキは笑顔を見せて言った。


「父ちゃんが柵見回ったら、山にサルが二三いたらしいけど、夏場にはモンキードッグも出るし、今年は安心だね」


 柵作りの休憩の合間に、見回りの体制も出来ていた。犬の飼い主だけに負担がいかないよう、柵の点検にはどの家も出る。

 それらは農家たちが率先して請け合った。


(これもみんなお父さんが、奮起して実現したことなんだよ。大きな仕事をやったんだよ。なにが不満なのよ)


 だが、次郎はあきらかによろこんでいない。

 テレビを眺めても、何も見ていない。たまに、せんべいの袋を握り締めていることがあった。

 粉々にせんべいを砕き、手の甲にスジが浮くほどに強く握り締めていた。





 晩、京子はテレビを見ている亭主の隣に座った。

 リモコンをとってテレビを消す。亭主は画面が消えたことにも気づかないのか、そのまま動かなかった。


「お父さん。どうしたの」


 京子は聞いた。


「なにかつらいことがあるの?」

「……」


 次郎は目を落とした。


「わかんないんだよ」

「――」

「なんか動きたくない。畑に出るのがイヤなんだ」


 京子は目を閉じた。

 長く耐えたものが、腹の中で(はじ)けた。


「ずっと、そうして籠もってたんじゃないの」

「――」

「テツさんたちが来るまで、ずっとメソメソ泣いて閉じこもってたんじゃないの。それがやっと、挽回できたんじゃない。お父さんのおかげで、この集落が元気を取り戻して、やっと仲良くなったんじゃない。やっとやり遂げたんじゃない! また寝込んじゃう気なの? また? いったいどうしたら気が済むの?」

「わかんねえよ!」


 京子は目を瞠った。夫の形相が変わっていた。


「あんな坊主なんか呼ばなきゃよかった! あんな坊主、なんでいるんだ。なんで柵なんか! 柵なんか出来なくてよかったんだ!」


(なに? ……なにごと?)


 次郎が京子に声を荒げたことは、これまで一度もなかった。


「あの柵、ひきちぎりてえ」


 次郎は顎をふるわせ、歯を軋らせるように言った。


「金網破いて、斧で粉々に壊して、まったいらにしてやりてえ」


 いきなり立ち上がり、部屋を出た。


「ちょっと、ダメよ――」


 京子は追いかけたが、次郎は、頭冷やしてくるだけだ、と言って玄関から出て行った。





〔信州に伝わる無畏大師とご眷属さまのむかし話 その三〕


 神犬手津丸(てつまる)が駆けすぎた後、狒々たちはすべて死骸となって、木から落ちた。


「なんと――」


 赤目は一瞬のうちに眷属をうしなって喘いだ。おどろきはすぐに激怒に変わった。


「おのれ!」


 赤目は雄たけびをあげ、枝を蹴って飛び降りた。

 しかし、神犬はぶるんと身震いすると、牛よりも大きくなった。その大きな顎が飛びかかった。


「ア」


 赤目が気づいた時には、腹に杭のような牙が刺さり、長い舌に巻き取られ、犬ののどに吸い込まれていた。


「手津丸、待て」


 寛円が飛び出した。あわてて赤目の腕をつかむ。


「喰うてはならん! これほどの業深き妖怪じゃ。説法してやらねばならん。放しやれ」


 しかし、畜生というものは一端口に入ったものは、主人の命令であっても出し難いもの。手津丸はもぐもぐ言ったが、赤目の下肢をしっかり咥えて放さない。


「これ! 放せというに」


 寛円は赤目の脇に手を入れてふんばる。手津丸は奥歯を噛み締め、前肢をつっぱる。

 断末魔の悲鳴があがった。

 赤目のからだは上下半分にバッチリと千切れてしまった。


「あー……」


 寛円は犬を見た。手津丸はのどを鳴らして下半身を飲み込んだ。ぺろりと鼻をなめると、主人の目を避けた。そのへんの栗のイガを転がし、そ知らぬふりをした。

 寛円はしかたなく、赤目のからだを土の上に置き、


「まあ、ちょっと小さくなったが、ありがたい説法をしてやろう」

「なにがありがたい!」


 赤目はギャアギャアわめいた。さすがの化生。どのような妖力か体が半分になっても、命があった。


「たれが説法なぞ聞くものか。くされ坊主、おまえを握りつぶし、喰ろうてやる」

「まあ――」

「高僧を喰らえば、わしの力は戻る。足も生えよう。近くば寄れ!」

「その話はさておき、ありがたい話をしてやろう」

「この話が肝心じゃ!」


 寛円は少し困ったように赤目を見ていたが、


「ならば、喰え」


 赤目の前に近づき、どかりと座った。正面から見据え、


「釈尊も飢えたトラの親子にわが身を――早いっ!」


 赤目の指がすでに寛円の頭を掴んでいる。


「説法のあとでじゃ。先にありがたい話を聞け」


 神犬が牙を剥き、唸っていた。赤目はしぶしぶ指を放した。


「話せ」

「うむ」


 寛円は言った。


「その前に、わしを喰うても、その腹じゃすぐ出てしまうのでは」

「さっさと話せ!」

「ああ。では、話すぞ。わしは寛円という。おまえは赤目じゃな。赤と呼ぼう」

「なれなれし!」

「腹を割って話そうと――本当に割ってしもうたが」

「もう喰うてもよいか?」


 寛円は言った。


「よし。赤、そなたは今、修羅界におる。修羅界というのは、争いの世界じゃ。世界には六道という六つの世界があってな。修羅界、畜生界……ふむむむい」

「?」

「修羅界、畜生界……などじゃ」

「ふたつだけじゃぞ」

「忘れた」

「おぬし、まことに高徳の僧なのであろうな?」

「いかにも。昔からもの覚えが悪いゆえ、坊主になった。悟ったら、万能に通ずるかと思うたが、そうでもなかった」

「わしはそんな坊主の説法を聞く必要があるのか」

「問題ない。よいか、赤丸よ」

「赤目じゃ!」


 むろん赤目じゃ、と寛円は気をとりなおし、


「赤はいま、恨み争う修羅の世界におる。いま、わしを喰うて命ながらえても、いずれはたれかの牙にかかって果てるであろう。すると、また生まれても修羅界じゃ。憎み争う。退治される。……ずーっとじゃ。飽きぬか?」

「飽きぬ」


 赤目は鼻でわらった。


「わしは殺し合いがすきじゃ。この先、千年でも戦いにあけくれたい」


 寛円はうなずき、


「なにが好きなのじゃ?」

「勝つことよ」

「おう」

「立ちふさがる者を片端から、殺して喰らい、その死骸の上で跳ねる時の楽しさよ。強き者ほどうまき味がする。あれは、奥歯が震えてくるほどの楽しみよ」


 その時、寛円はそばに控えている神犬に命じた。


「手津丸。その猿の上で跳ねてみよ」


 手津丸は元の大きさに縮むと、地に落ちた死骸を転がし、乗りにくそうに乗った。何度か不器用にびょんびょん跳ねた。

 寛円は赤目を見た。


「どうじゃ」

「――」

「どうじゃ?」


 赤目は何も言わない。手下の死骸を狼藉されて悔しいという色はない。ただ、何かわけのわからないものを見たように、ぽかんと口を開いていた。

 寛円は言った。


「赤よ。あれだけのことじゃ。そなたの魅入られている世界には、たったあれだけのことしかない。あとはそれじゃ」


 寛円は赤目のちぎれた腹を指した。

 赤目の顔に険しさが戻った。


「わしを弄るか」

「そうではない。わしは別の世界もあると言いたいだけじゃ」


 寛円は言った。


「世界は六つあると言うた。いま全部言えぬが、それらを離れてさらに善きは、御仏の世界じゃ。赤には、そういう世界にいく道もある。化生にも仏性はあるのじゃ」


 赤目は狭いひたいを寄せた。


「このわしにも仏性があるというのか」

「一切衆生、悉有仏性――生けるもの、ことごとく仏性を有す」

「――」


 赤目は聞いた。


「仏の世界とはどんな世界か」

「言えぬ」

「はあ?」

「いわく言いがたい世界なのじゃ」


 赤目が興ざめた顔になる。寛円は考え、


「そうじゃな。赤にわかるようにいうなら、敵のいない世界じゃ」



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ