バスできた!
翌朝、九時。ワゴン車二台で七人の中高生ボランティアが到着した。
「え、こんな早く――」
次郎はあわてた。この日の柵作りの作業は午後からで、男たちは自家の農園に出ていた。
ミオは、三十すぎぐらいの女を紹介し、
「姉でーす。桜ちゃんでーす」
「藤原です」
女はにこやかに挨拶し、学校長の肩書きのある名刺を差し出した。
「蒼くんから、かなり時間が切迫してると聞いて、早めに出発したんですが、早すぎましたか」
「いえいえいえ――」
次郎は携帯で担当のシゲを呼び出した。シゲはおどろいたようだった。
『あのバカ女、ホントに来たのかい』
「もうテツさんが柵作りを教えてますよ。シゲさん担当なんだから、お願いしますよ」
シゲは現場に駆けつけた。
「やっほー、シゲちゃーん」
昨日の女が手を振ってる。中高生の男女が寒そうにかたまり、テツの説明を聞いていた。
ミオは子どもたちに、
「紹介しまーす。このおいちゃんが、シゲじいです。本名は忘れた! 名人なのでー、こわいでーす。でも、よろしくー」
子どもたちは、よろしくおねがいします、と声をそろえた。
子どもたちはふつうに会話していた。
もじもじしている子はいない。テツの話を注意深く聞き、積極的に確認していた。
シゲは、はじめ穴掘りや金網貼りなどの単純作業をやらせたが、支柱立ても任せるようになった。子どもたちは定規ではかったようにきれいな仕事をした。
(使えるな)
シゲは胸のうちでホッとした。
農繁期、パートを雇っても十人にひとりはとんちんかんなことをする人間がいる。言っても何度も間違える人間がいる。
少年たちは澄んだ頭を持っていた。作業を把握すると、
「ふたりは支柱立てる係にしようよ。おれが運ぶから。三人でばーっと支柱だけ建てていけば、はやいっしょ」
分担して動きはじめた。ほかの子がパイプと金網の作業に回る。作業がスムーズに運んでいた。
ミオがシゲじいの隣に来た。
「どうよ」
彼女はピンクのつなぎを着て、軍手を嵌めていた。
シゲは聞いた。
「なんで来た。温泉ねえのに」
「やだー、シゲじい。根にもってるー」
姉のほうもつなぎを着ていた。ニコニコと、
「生徒が決めたんです」
「?」
「ミオがこういう困った状況があると説明したら、彼らが自分たちで決めてきたんです」
(へえ)
シゲは珍しい話を聞いたようにおもった。
その脇をテツが金網をかついで歩いていく。
――思えば、あの小僧も行きずりの人間だ。
いつのまにか集落の人間みたいな顔をしているが、なんのかかわりもない遊行僧だった。ただ乞われて、朝から晩までタダ働きしているのだ。
シゲは、
――世の中ってこんなだったか?
とふしぎに思った。
片や、次郎は少年たちの働きを見て、いたたまれなくなった。
出てこなくなった春田の家へ駆けつけた。春田は自家の農園まわりの柵を修復していた。
春ちゃん、と次郎はその後ろに立って口説いた。
「やっぱ出てきてくれよ。よその子どもががんばってくれてんのに、農家が引っ込んでちゃカッコがつかないよ」
「――」
次郎は、みんなでやれば間に合う、完成するから、と春田の背に訴えた。
春田は、柵に防風ネットを取り付け、頑なにこちらをむかない。
次郎はこまって、携帯でお市に助けを求めようかとさえ思った。あの口達者な若僧なら、この場合、どういうだろう。
(……)
思いつかなかった。
いまの春田には何も聞こえない。借金だけを睨み据え、世界中から耳をふさいでいた。
次郎はスコップを拾った。柵に平行してざくざくと溝を掘った。そこに柵からスカートのように垂らした防風ネットの裾を埋め込んだ。
深く埋めて、ケモノの掘り起こしを防ぐ。
春田はチラと見たが、何も言わなかった。次郎はそのまま作業を続けた。
(子どもたちはなんと思ってるだろうな)
次郎はスコップを踏み入れながら、すまない思いがした。
(自分らにまかせっきりで、誰も出て来ない。ふざけた農村だと思ってっかな)
また、ほかの農家のことも気になった。
(次郎のやつは、代表のくせにさぼってやがると思ってっかな)
だが、掘り続けた。ふたりで黙って、柵の修理を続けた。
風がそよぎ、ふたりの汗ばんだ額を冷やしていった。
「いいよ」
昼近くになって、春田がはじめて口を聞いた。
「作業あるんだろ。行けよ」
「――あんたは?」
「――」
春田はあきらめたように、行くよ、と言った。
午後、集まってきた農家たちは、作業の進み具合を見ておどろいた。
昨夜よりすでに百メートル以上伸長している。
「これ、あんたたちがやったのか」
老人がしっかり建てられた柵に触れ、感心したように息をついた。
どうでい、とミオが笑顔を向けると、
「なかなかやるねえ」
農夫たちは顔をほころばせた。
彼らはいつもより明るい気持ちで作業に取り組んだ。
少年も少女も口数はあまり多くない。しかし、息は合っていて、互いに助け合い、ひとつ目的のために集中していた。そのまめまめしい働きぶりは目にすがしかった。
知らず、農夫たちも足腰に力が入った。
途中、女たちが陣中見舞いにくる。子どもたちに、お茶や菓子をふるまい、労をねぎらった。
子どもたちは夕暮れ、暗くなるまで作業していた。何度も農夫が、もういいよ、と言ったが、
「このペースじゃ、とても四月までには仕上がらない」
子どもたちは手元が見えなくなるまで働いていた。
彼らが帰ったのは、九時近かった。農夫らが何人かそれを見送った。
手を振ってワゴン車を送った後、老人が、
「助かったが、一日だけじゃあなあ」
とつぶやいた。
翌日の昼前だった。
柵作りの作業の現場に、蒼が少年たちを引き連れてやってきた。
農夫たちはおどろいた。
「おまえら、帰ったんじゃなかったのか」
痩せた少年が気まずそうに、
「やっぱ、あれじゃあまりに中途半端で、意味ないと思って。話し合って、有志でまた来ました」
少年たちの数が十一人に増えていた。この春卒業した生徒もいた。
教師たちは新入生の世話で離れられず、足がないため、電車とバスで来たという。
「もし、どこかに泊らせてもらえれば、春休みいっぱい作業できますけど――邪魔っすか?」
農夫たちはふぬけたように突っ立っていた。軽口を言おうと口をひらく者も、なぜか声がでない。
少年たちのすべらかな顔を前に、ただ口のゆがんだ変な顔をして立っていた。かろうじて、次郎が首を横に振った。
「じゃまじゃ、ない」
「じゃ、やりますね」
少年のほうが笑って、動きだした。
その日はおそろしいほどの早さで柵が延びた。
農夫たちは無心に導線を貼り、金網を括りつけている。少年たちは土をうがち、支柱を立て、鉄パイプを組んだ。それぞれが熱中し、気の合った大工のように連携していた。
農夫たちはハイピッチで作業しながら、これまでにないゆたかな気持ちでいた。
鳥のさえずりが聞こえている。土が温まり、香っている。隣で誰かが作業していた。その音も山に溶け込み、気にならない。
のんきだった。ひとりで大地に座って作業するように、どっしりとくつろいでいた。
翌日は、ついに電動ハンマードリルが届いた。ハンマードリルを使うと、
「なんだこれ田植えか」
皆がショックを受けるほどの容易さで、支柱が地面に突き刺さった。
「てめ、次郎ー」
春田が次郎の胸倉をつかむ。
「おまえ、こんなカンタンに出来るものを」
「前から発注してたんだって! でも、一度壊れたやつが来たから、お市ちゃんが再発送させて」
「ありがとうございます!」
「お、おう」
電動ハンマードリルがねじこむと、一本の支柱建てが数秒で済んだ。
「これならいけるかも!」
少年たちも農夫たちもともに目を輝かせた。