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助っ人

 シゲの家にはお市が来ていた。

 庭先に回り雨戸ごしに、


「シゲじい、生きてるか。おーい」


 バンバン雨戸を叩く。

 中から、うるせえ、と言う声が飛ぶと、叩くのをやめ、


「今日はもよさんのお惣菜持ってきた。肉とこんにゃくの甘辛煮だぞ。ここ置くからな」


 じゃな、と引き上げた。

 お市は毎晩、このやりとりだけをしに、シゲの家に来ていた。


 シゲは井上農園を訪問して以来、表に出て来ない。自分の畑にも出ていないようだった。

 かれこれ二十日近くになる。なにか異常が起きていた。


 お市はひとり暗い農道を歩いて、柵のほうへ向かった。かなたにポツンと明りが見える。テツがまだ作業をしていた。


「生きてた」


 お市はそれだけ言って、枯れ草と枝を集めた。


 夕食後、テツはひとり柵づくりの現場に戻って、ランタンをつけ、杭打ち機をねじり入れていた。

 柵作りで一番手間がかかるのは、支柱を埋めることだった。ワインの栓抜きを大きくしたような道具で、地面に穴を開ける。

 その穴さえあけておけば、進みが早い。


 お市は枝を集めて焚き火を作り、


「次郎さんがさ。おれにパート入れてもいいかって、泣きいれてきたよ。もちろんダメだけどさ」


 この男は相棒が大汗かいて働いていても、手を出そうとはしない。テツもまたそれを期待してはいなかった。

 お市は火に手をかざし、


「お母さんも落ち込んじゃってるよ。二十日で二千はちょっとふっかけすぎたわ。長野人、まじめだっていうの忘れてた」

「無理か。二千は」

「無理。千五百にも行かないかも。注文しぼったら、すげーメール来てるらしいんだけどね。でも、供給がおっつかん」

「じゃ、ハンマードリルだめ?」

「もう注文したよ」

「――すまん」

「いや、柵のメンテナンスは来年も続くから必要だ。予備費の分は、おれがさばくよ。ちょっと目当てがあるんだ」

「よろしくな」

「あんたもやるんですよ」

「あ、そうなの」


 てっちゃん、とお市は指を火にあぶりながら、


「これはやるけどさ。これ以上、手を出しちゃだめだよ」

「そうだな」

「ひとりで柵作っちゃ」

「できねえよ」


 テツは杭打ち機を土にねじこみながら、


「なるべくおせっかいしないように気をつけてるさ。でも、泣いてるやつがいると、あわてんだよな」

「信じろ」

「そうだな」

「ここのじじいどもは強い。赤いリンゴで戦後日本を支えてきたんだ。リンゴ界のスターなんだ。リンゴ・スター! ポール! ジョージ! そしてマサオ!」

「ジョンどこいった」

「ヒマしてる。ヒマジン」


 テツは笑った。杭打ち機を引き抜き、防草シートのよれを直しつつ、


「おまえもシゲじいのこと、信じろよ」


 と、小さく言った。





 その頃、シゲは自分の畑にいた。

 手にはチェーンソーを下げていた。


 暗い畑にリンゴの木が並んでいる。炭酸カルシウムを塗った白い幹が白骨のように浮かび上がっていた。


 チェーンソーのスターターロープを引く。数度引くと、低い規則的な爆音が畑にとどろきわたった。

 シゲはリンゴに歩み寄った。


 根に近い胴にチェーンソーを寄せる。腰を割り、幹に斜め上から刃を入れるように支えた。

 ばっさり伐ってしまうつもりだった。すべて伐る。


 その姿勢のまま、シゲは幹を見ていた。刃が進まなかった。

 振動する機械を支え、重い爆音を響かせながら、耳朶のうちで激しい血の音を聞いていた。わが腹に刃をあてるように、暗がりに浮かぶ白い幹を凝視していた。

 長いことそうしていた。


 やがて、シゲはリンゴを離れ、スイッチを切った。チェーンソーを置き、そこに立つリンゴの木を見た。





 翌日の晩、庭先に気配がした時、シゲは雨戸を開けた。

 意外そうな顔をして、テツが見上げていた。


「おまえのほうか」


 シゲは言った。


「うるせえのはどうした」

「腹こわして寝てる」


 テツは濡れ縁をあごでしゃくり、


「イモとイカの煮物。三好のお母さんが作った」


 シゲは袋を取り、


「明日から来るな、とあいつに言え」

「……」

「明日はおれも行く」


 それだけ言って、彼は雨戸を閉めた。





 現場の人間が少なくなっていた。

 若手ふたり、春田と中山は来ていない。腱鞘炎や腰痛などの故障者も出ていた。


 高校生の蒼がおそるおそる言った。


「友だちのいとこが、引きこもりで。そういう不登校児が寄宿する東京のフリースクールにいるんですけど」


 農夫たちは何を言い出すのか、と少年の顔を見た。


「そのフリースクールの子たち、春休みも家に帰らないで、学校にいるらしいんです」


 辰吉が眉をひそめ、


「なんで帰らねんだ?」

「や、いろいろと。それでヒマらしくて、――彼らを呼んだらどうかと思うんですが。ボランティアに」


 農夫たちは顔を見合わせた。


「高校生か? 男か」

「いや、中学生もいるみたい。男女だと思う」


 しかし、と老農夫が、


「不登校児って、あれだろ」


 彼は周囲に目を走らせてから、


「瑛太みたいのだろ」


 農夫たちは唸った。そんな子どもとコミュニケーションがとれるのかどうか。第一、ものの役に立つのか。

 ほかの農夫も、


「ガキ連れてくると面倒くさいんじゃねえか。怪我させたらとか。責任とかよ」

「東京じゃ、泊めなきゃなんねえしな」

「一日だけでもいいんじゃないですか」

「一日じゃしょうがねえだろうよ。手順覚えておわりだ」


 やれよ、とシゲが言った。

 シゲはこの日から、しれっと加わっていた。


「ケガしたなんのの責任は、おれがとる。時間がねえ。一日でもタダなら来てもらえ。呼べ」


 鶴の一声で決まった。


 NPO法人『藤原学園』は小さい組織だった。寄宿している生徒数は二十余人。

 それゆえフットワークが軽く、翌日には副校長を視察によこした。


「こんにちはー。藤原学園の藤原澪(ふじわらみお)でーす」


 農夫たちはひと目見て不安になった。


(副校長?)


 どう見ても二十代なかば。真っ赤な髪を巻き、水色の長い爪にはビーズがキラキラ光っている。


「藤原先生。こちらが担当の重久さんです」


 蒼がシゲを紹介しようとすると、


「ミオでいいよー。こんにちはー。なんかあー、リンゴ畑って聞いたんですけどおー、リンゴが一個もなってないんですねー。ちょっとざんねーん」


 シゲの目が暗く据わった。


「季節じゃねえからな」

「でも、お店まだけっこうリンゴ売ってますよおー。てか一年中売ってるー」

「ありゃ、青森のだ。むこうは冷蔵庫あるんだ」

「えええ。長野県って冷蔵庫ないんですかあー」

「ばか」


 シゲはすぐにこの女への興味をうしなった。背をむけて、作業に戻った。

 女はキャッキャと笑い、


「ちょ、バカって言われた。会ってすぐ、光の速さで言われた」


 蒼は硬い笑いを浮かべ、


「あの、CA冷蔵庫って、鮮度を保ったまま保存できる冷蔵庫があるんです。青森はそれで貯蔵してて」

「へええ。でもお。それって常識じゃないよねー? おじーさん。農家の常識が世界の常識だと思っちゃだめですよおー」

「……」


 ところで蒼くん、と女は聞いた。


「この村、温泉とかおいしいものとかある?」

「リンゴのほかは、辛大根を作ってますが、もうとっくに収穫は終ってて――。温泉なら、車で十五分ぐらいのところに戸倉上山田温泉がありますけど」

「なんもないんだ! つまり! ジャスト電気柵づくり!」

「――」

「んー、生徒たちになんて説明しようかなーって。ただ働きに行こうって言っても、興味もたない子もいるからー」

「――星はきれいです」


 星かあ、と女は残念そうに空を見あげた。

 農夫たちは、何かがちがう、と思いつつ、言葉が出ない。シゲはすでに不機嫌になり、


「遠足に来たいなら、よそ行ったほうがいい。うちがいま欲しいのは働き手だ。遊びに来られたら邪魔なんだよ」


 女に目もくれなかった。

 蒼はしかたなく自分で作業の手順を教えた。女は興味深そうに聞いていたが、


「なんかあー。思ってたのとちがうかもー。持ち帰って検討しまーす」


 早々に帰っていった。

 その場の誰もが、この話は終わった、と思った。

 だが、晩に蒼のもとに女から電話が入った。


『明日、男子五人、女子ふたりつれていくからー。ごはんだけよろしくおねがいしまーす』



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