都会に無いものなーんだ
「アルバイトをしなさい」
お市は次郎の相談を受け、言った。
「これ以上は切りつめられません。切りつめるべきでもありません。打って出るのです」
「……」
次郎はがっかりした。
「お市ちゃん、うちのお父さんたち、いくつだと思ってる? 平均年齢五十七よ? アルバイトの口なんかないよ」
半分は七十以上の高齢者である。そもそも畑以外の仕事をする、と言うはずがない。第一、その時間もない。
「べつにマクドナルドで働けというんじゃありません」
お市は言った。
「現金で売れるものがもうそろそろ出来てきています。明日、わたしが説明する。お母さんたちを集めてください」
「?」
翌日、お市は集落の女たちを集めて、農道を歩いた。
女たちは男よりつきあいがよかった。物見高さも手伝い、ほぼ全員がお市について、枯れ野原についてきた。
お市は彼女たちになぞかけをした。
「田舎には当たり前にあって、都会にないものなーんだ」
女たちは――うまい野菜もおいしい水もあるからねえ。浄化槽とかないんじゃない? と笑った。
「ありがとう。わたしが見つけたのはね。これ」
お市の立つ位置に、草が焼け焦げた後があった。数日前、ここで誰かが剪定した枝を燃やしていた。
「焚き火」
女たちは、はあ、とまぬけな声をだした。
お市は、
「野焼きできないんだよ、都会って。ダイオキシンが出るとかいってさ。庭で恥ずかしい日記も燃やせない。だからね、灰が手に入らない」
お市は焚き火跡から灰をつまんで見せた。
「これを売ろうと思う」
え、と女たちはいぶかった。たがいに顔を見合わせる。
お市はうなずき、
「灰だけじゃなんだからね。ワラビつけます」
と種明かしした。
ワラビを下ごしらえするのに、灰が要る。それが都会では手に入りにくい。しかたなく重曹で代用しているが、かたちが崩れたり、味が落ちる。
農婦がようやく理解して、
「灰をつければ、ワラビが売りやすいってことね」
「ご名答。グレタ・ガルボさん。いや、美紀子さん」
お市は現金を得るため、山菜が生えるのを待っていた。
山のワラビは質がよかった。雪が融けると、栄養たっぷりのナラの腐葉土に太いワラビが育つ。成長が早いため、やわらかい。
このワラビを販売して現金を得る。近くでは競合相手が多いので、都会人相手にネットで通販するつもりだった。
「売れるかな」
京子は不安そうに言った。
「灰つけて売ってる店もあるわよ」
「少数でしょ。原節子いや、京子お母さん。ほとんどの人はそのまま売ってる」
ほかの農婦も、
「うち、たまに直売所に出してるけど、そんなに儲ってないよ。ワラビってすぐ傷むから、けっこう売れ残ってダメにしちゃう」
「だから、ネット。予約注文をとる。朝摘んで発送するんですよ、叶姉妹さん」
お市は言った。
「何もしないと、柵作りのお金に一戸、十三万四千円かかります。うまくいけば、中山間地域なんちゃらの交付金がおりるかもしれませんが、現在未定。また口座の赤が増えると痛いでしょ。だから、現金をてっとりばやく稼ぐ。だいたいこれで獣害対策費用が、五万円におさえられると算定しています」
農婦たちは興味を持った。
ネット通販は既存のインフラを使うことにした。
杏花集落の農家たちも、ネットが使える世代は、販売サイトを持っている。
お市は男たちから協力者を募り、ラミと呼ばれる中堅農家と瑛太に販売を任せることにした。
ラミは心配した。
「販売はできるが、うちは山菜では検索されないとおもうよ」
「まかせろ。検索一ページ目に押し上げてやる。りんごのほうもやってやる」
お市はラミの家に行き、サイトを改造しなおした。キーボードにハチドリのように指を舞わせながら、
「同時にお願いしたいのはさ。宣伝。といっても、おれのアシストでいいからさ」
「――」
「今から料理研究家とか、人気ブロガーにオファーを送るから、その事務処理を頼みたい」
「なんのオファー?」
「『杏花集落のワラビ』で料理作ってくれって」
人気ブロガーたちにワラビを送りつけ、料理を作らせ、記事にさせる。そのファンがリンクで販売ページに飛んでくる、と言った。
「そこでこのページで残らず掬いあげる」
販売ページは、いつ撮ったのか太々した緑のワラビと、うまそうな料理写真が貼られていた。
霜降るさむざむした森林に、農婦がこごえながらワラビを摘む写真もある。農婦の笑顔に吹き出しがついている。
『うちの子がワラビご飯好きでね。ぱくぱく食べるから、採るのやめられなくて』
『この灰は木の枝だから、安全だよ』
ラミはページを見て笑ったが、
「でも、オッケーするかな。このカッチさんなんか、けっこう有名だろ」
「断られたら、また次よろしくって返事しときゃいいんだよ。次は断られないから」
「――」
「まあ来るよ。ブロガーはさ。毎日ブログ更新してるわけよ。毎日面白いネタ探ししてんの。だから、灰つけて、記事にしやすいうんちくつけて送ってやったら、ここぞと記事にするよ」
梱包、発送は、もよの家から行われた。もよの家には雑貨屋時代に仕入れた竹かご風の包材があった。安っぽいものだが、ワラビを乗せると風情がいい。
お市はここに、
「肉筆でメッセージをひと言、書いてつけろ」
と指示した。
もよは眉をしかめた。
「これ、いくつ売るつもり?」
「二千。――まあ、千六百は売りたい」
「コピーという機械のことは、聞いたことはあるかい」
「肉筆が大事なんだよ! このひと手間でクレームが減るんだ。近所の子どもとかにも手伝ってもらって!」
ワラビは注文分だけ朝、農婦たちが山で摘んでくる。積んだその日に宅配業者を呼んで、発送する。
「一日百パックは売る」
お市は両袖をひろげ、号令した。
「二十日で二千! 蟹工船の出発じゃー、民よ。はたらけー!」
一方、金以外の問題も浮上してきていた。
(やっぱ、時間がねえ)
次郎はペースの遅さに不安になった。
電気柵の構築は思いのほか手間がかかった。動物の掘り起こしを防ぐため、支柱を立てるのに三十センチは埋める必要がある。それをパイプで固定し、下部に金網を貼り、上部に導線を張る。
農家たちはまじめに作業したが、手の遅い者もいる。傾斜地も多い。一日、百メートルしか行かない日もあった。
「休憩しよう」
老人がペンチをしまい、腰を伸ばした。
次郎もみなに声をかけた。
「休憩。休憩しよう。お茶でも飲みましょう」
気は焦るがしかたなかった。しかし、一部の農夫は作業をやめない。
「中山さん、春ちゃん。休憩しようよ」
「休憩ばっかしてて、終わんのかよ」
春田という若手の農夫が顔もあげずに言った。
「こんなちんたらやってたら、開花まで粘っても、半分も出来ねえよ」
「まあ、そうだけどさ。からだ壊すとよけいペース遅くなるから」
春田は日に焼けた丸顔をあげ、
「午前中も集まったほうがいいんじゃないんですか? 優雅にお茶飲んでやってる場合じゃないでしょ」
次郎だけでなく、人々に向かって言っていた。
「そうね――」
次郎は周囲を見た。農夫たちは聞いてなかったふりして、目も合わせない。疲労でみな無愛想になっていた。
モトが言った。
「やれる余裕のあるものだけ、来たらいいんじゃないか」
「――」
「忙しいやつもいるんだ。それに、からだの無理のきかないやつも」
人々は黙って茶を飲んでいる。次郎は急いであいずちを打った。
「そうだね。やれる人だけ、午前中も進めるとしよう」
春田は小さく舌打ちした。
――下にばっかり押し付けやがって。
ひとりごとは全員に聞こえた。数人が表情を消し、銃をぬくように向き直った。
次郎はそれを手で制し、
「みんな、聞いてください。わたしはこの柵作り、決行して本当によかったと思ってる。みなさんに感謝してる。みんなこれまでいろいろあったのに、一同に会し、ここでいっしょに力を合わせてる。協力して、助け合ってる。ここが大事なんだと思います。このスクラムを組む姿勢が、獣害やほかの困難に勝つコツなんだと思います。だから、柵は大事ですが、そこを見失わないようにしましょう」
春田は黙った。
しかし、女たちのほうもくすぶりはじめていた。