奇術
お市はすでに救急車も警察も呼んでいた。
しかし、離れ集落であるため、どちらも遅い。
京子は少し前まで看護師をしていた。彼女が来た時には、集落中に連絡網がまわり、数人の住民が駆けつけていた。
「縄はないですか」
テツは泥棒たちをタオルや手巾(腰紐)で縛り、助けをもとめた。
「縄か。とってくる」
老人がすぐに動く。京子は瑛太を見てハッとした。
「あんた、頭――動かないで」
「ガブを助けてください」
瑛太はガブの傷をおさえ、子どものように繰り返した。狼狽しきっていた。
「いま、お父さんに獣医さんに連絡してもらってるから、待ってなさい。蒼、犬のおなかの傷を押さえて」
「お市――」
テツが相棒を呼ぶ。
「問題発生」
「?」
「五人いたのに、四人しかいない」
お市は声を張り上げた。
「みなさん、いったん家に帰って、戸締りしてください。泥棒がひとりうろついています!」
彼はすぐに連絡網を回した。
モトは連絡を聞き、ひょいと思いだした。
(ナイトビジョンあったな)
農場へ持って行くおもちゃの箱から、スコープを出し、狙撃銃のレールに取りつける。
二階の窓から、銃身をめぐらすと、蔵の陰にちらりと動くものが映った。
(タヌキじゃねえよな)
モトはじっくり見て、それがタヌキより大きく、丸い頭と平らな肩を持っていることを見てとった。
モトはいそいそと下に繰り出した。
人影は軽トラのそばに移動していた。
軽トラの近くの物置に缶が乗っていた。それに照準を合わせ、引き金を引いた。
空き缶が跳ね落ち、派手な音がたつ。人影が飛び上がった。
「手を首のうしろに組め」
モトはふたたびスコープを睨み、渋みのきいた声を出した。
「ニューギニアの戦いは地獄だった。いまでも米兵の夢を見る。ママって泣いててな。かわいそうだが、撃たなきゃならなかった」
人影は手を頭のうしろにまわし、言われる前におずおずと地面に伏せた。
モトは、いい子だ、とふくみ笑った。
(おれ、大戦中は赤ん坊だったけどな)
翌日の杏花集落は話題に事欠かなかった。
女房ネットはもとより、男たちは早朝から草刈りに集まっていた。
モトはスターだった。
「まいった。怒られちゃったよ」
モトは警察で得々と武勇伝を話したが、七十翁がおもちゃのエアガンで犯人を脅すなど無謀極まりない、と叱られた。
ニューギニア云々の話をすると、同年代の農夫たちは噴き出した。
また、
「あの小僧、本当に腕っ節強いんだな」
泥棒をひとりで叩きのめしたテツのことも噂になった。
「次郎によると、走ってるイノシシも素手で捕まえたって話だぞ」
「水戸じゃなくて、少林寺から来たんじゃねえのか」
「もよは、手津丸さまだ、なんて言ってるが、案外――」
人々はたわいない噂をして笑った。草刈り部隊ではじめて自然に会話が出て、笑い声が聞こえていた。
当のテツとお市は集落にいない。動物病院に駆けつけていた。
瑛太は目を覚まし、指にガブの冷たい鼻を感じた。
ガブは持ちこたえた。黒い目を上げ、ボスはだいじょうぶか、と見つめていた。
瑛太はその鼻づらにほおずりして、泣いた。
医者を呼ぼうと、部屋を出ておどろいた。待合室で三好夫妻が寄り添って居眠りしている。坊主ふたりもそこにいた。
テツ坊は顔をあげ、
「ガブ。よかったな」
しょぼしょぼした目で微笑んだ。
草刈りもあと一日で終るという日、人々は予定地に集まっておどろいた。
すでに草がきれいに刈られた後だった。
「だれがやった?」
接する農園はすでに持ち主が引っ越した放棄地だった。
「小僧たちか」
いや、とお市は言った。
「おれらじゃないよ。だれか別のテレ屋がやったんじゃないの?」
どのテレ屋だ、と人々が互いの顔を見回した。ふと、モトが思いついて笑った。
「おれわかった。みんな、ちょっと来い」
モトは農夫たちをぞろぞろつれて、集落のはずれに来た。
瑛太はちょうど動物病院から帰ってきたところだった。運悪くゲートが開いていた。
農夫たちはずかずか入ってきて、瑛太を囲んだ。
「おまえか。草を刈ったのは」
瑛太はうろたえた。
――やはり黙ってやるのはまずかったのか。ちゃんと礼を言えって叱られるのか。
しかし、大勢に囲まれ、のどが締め付けられたように絞まって、ものが言えない。
モトは言った。
「夜にやったのか。ひとりで」
「……」
ほかの農夫が、
「夜に木を伐るのはあぶねえだろうが」
「寒かったろうに」
農夫たちの目はやさしかった。テツとお市も黙って親指を突き出している。
モトはぶっきらぼうに、
「明日午後から柵づくりだ。三好農園の北だ。いっしょに来い」
「昼はおやつもあるぞ」
彼らはまたぞろぞろと出て行った。
解散しようと言う時、またひとつ事件があった。
天狗屋が走ってきて、
「ここか。吉居ー!」
真っ赤になって怒鳴った。
よっしーがぬっと見返す。天狗屋はその胸倉につかみかかり、
「てめえ、ポン太郎、タマ取ったってウソつきやがったな!」
「はあ?」
殴り合いになりそうなところ、テツがふたりを押し分けた。
天狗屋はまくしたてた。
いわく――愛犬のチビ子が仔犬を四匹生んだ。その犬たちの毛がなぜか黒い。
真っ白な紀州犬の子ではない、とわかった。
「ポン太郎だよ。ありゃポン太郎の子だ! 黒毛にあの点々眉毛のシバの子だ」
よっしーはとまどった。
「いや、ポン太郎は手術した」
「いつした」
「……」
つい最近だったらしい。
人々は噴き出した。お市もからかい、
「あーあ。やっちまったな。ポンさん。手が早すぎるよ。渚のシンドバッドか?」
天狗屋は地団駄踏み、
「紀州犬の子は高く売れるっていうから、軽井沢の紀州犬とデートさせたのに、台無しじゃねえかよ!」
「……」
だが、天狗屋はそこまで言って、笑ってしまった。
「もういいよ。おまえら、モンキードッグやるんなら、チビ子の子、もらってくれ。紀州犬はイノシシも倒すぞ。半分はシバだけどな」
もらうよ、と農家がふたり手をあげた。
よっしーもそろりと手をあげた。
「うちももらう」
「――」
「ポン太郎の最初で最後の子だ。ぜひくれ」
この件で、天狗屋とよっしーのふたりは手打ちにすることにしたようだった。
順調に進んでいた。
次郎は奇術を見るような思いがした。
(なんだこのスムーズさ。たった十日で)
農夫たちはJAの欣司を囲んで、その講義を神妙に聴いている。そこには瑛太の顔もあった。
モトが次郎を訪ねてから、たった十日だった。
いつのまにか草刈りがはじまり、いつのまにかよっしーと天狗屋が仲直りし、いつのまにかモンキードッグ導入も決定事項になっていた。
集落のまわりにはきれいな緩衝帯の輪が出てきていた。
柵用の資材も納入された。
これはJAからではなく、お市が鉄工所に直接掛け合い、廃材で作らせた。JAからサンプルを借り受け、似たものを頼んだのである。経費が半額以下におさえられた。
JAの欣司はべつに怒ることもなく、導線の貼り方を講義している。
「この支柱のすぐれたところは、この死神の鎌みたいな形。この忍び返し。これがサルの駆け上りとイノシシの垂直ジャンプを防ぎます。また支柱がアースの役割をしているので、下に防草シートを敷けるところ。夏場は日に五センチぐらい延びる草もありますから、これは便利ですよ」
「おい、ひょっとこ――」
辰吉がおどろいたように見つめた。
「こんないいもの、なんで今まで隠してたんだよ」
「言ったでしょうが。前も言ったけど、あんたたち聞かなかったんでしょうが」
「前言ったのは、柿の木伐れとか廃果捨てるなとかだろ」
「それも言ったけど、柵の話もしたんですよ! なんではじめて聞いたような顔してんですか」
とはいえ、欣司は以前より親切になっていた。
井上農園をいっしょに訪ねて以来、彼もいつのまにか獣害対策事業のメンバーのような顔をしてかかわっている。助成金など、親身になって次郎に情報を集めてきた。
(やればできる。やればできるんじゃねえかよ!)
次郎はうれしい反面、薄気味悪いような気もしていた。
いつもすべりだしは好調なのだ。バラ色の未来がひろがっているのだ。
だが、いつもその未来は霧と消えてしまい、いつのまにか散らかした焼け跡の処理に追われている。
その足音はすでに聞こえてきていた。
どうしても一戸につき、十三万円は徴収しなければならなかった。