表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
15/24

真夜中のお坊さん

 お市とテツは寒風にふるえながら、庭に立っていた。

 縁側のサッシのむこうに、シゲが見える。シゲはふたりを尻目に、こたつにあたり、茶を飲みながらテレビを見ていた。


「じじい」


 お市は洟をすすってわめいた。


「出遅れてる! すっかり出遅れてる。もう、モトじいもたぬ吉も立ち直って、草刈りに出てきてる。あいつらは井上周五郎に勝つ気なんだ。まだファイティングポーズなんだ。あんたどうした? みすみすやつらに先を越させるのか。あんたも勝ちたいだろ。杏花集落の三銃士だろ。それならば、さきにサルに勝たなければダメだあー!」


 シゲは立ち上がった。少し奥の間に消えると、戻ってきてサッシを開けた。


「おう、シゲ――」


 お市が見上げる。シゲはその顔にバケツの水をぶっかけた。

 またサッシを閉め、障子も閉めた。


「てんめえ」


 お市は顔をぬぐって怒鳴った。


「このたくわんじじい! 仏の顔が三度あると思うな! てめえなんざ、お釈迦様でも上あごとっぱらって、信州味噌つめて、とった頭蓋骨は木魚がわりにどつき倒して」


 これ、とテツが袖を引く。

 お市は洟をすすり、


「とにかく早く出てきなさい。シゲのくせに打たれ弱すぎ! このガラスの七十代が! いいかげんにしろ! クソ寒い! うええ、寒い。おれはあきらめねえぞ。このチキンじじい! カーネル・サンダース! チキンバーレルもって出てこい! 早く出ろー!」


 凍るような山おろしの風の中、ふたりはいつまでも庭に立っていた。




 

 十六家の農家は、だんまりのまま草を刈り続けた。

 すでに半周して、残りは五キロほどである。あいかわらず会議にならなかったが、次郎は、


「イノシカ、ハクビシンの複合型電気柵で進めてまいりたいと思いますので」


 周知はした。

 この時はじめて、


「サルはカバーしねえのか」


 辰吉が四角い顔をあげて言った。


「みんな、サルに困って集まってんじゃねえのか?」


 次郎は発言をよろこんだが、返答には困った。


「サルももちろん防ぐはずなんですが……」


 自信がなかった。サルは賢く、どんな柵を作っても、よじ登り、すり抜けてきてしまう。

 辰吉は言った。


「おれはモンキードッグがいいんじゃねえかと思うんだが」


 人々も顔をあげた。


 モンキードッグとは、サルを追うように訓練された犬である。サルを見つけると吼えて脅し、山へを追い払う。

 長野県大町市で導入がはじまり、猿害に効果てきめんといわれていた。いまや全国にひろがっている。


「犬が勝手にサルを追ってくれれば、夏はかなり助かるんじゃねえか」

「あれはいいですねえ」


 次郎は明るい声で応じた。

 だが、ポン太郎の主人よっしーは、銃に手をかけるように緊張しつつ、


「お言葉だが、犬は勝手にサルを追い掛け回してくれるわけじゃなくて、そのたびに人間が綱を放すんですよ。犬が自動でパトロールしてくれるもんじゃない」

「そうなのかい」

「あれは基本、群れを奥山に追いやるために、犬と人間がいっしょにパトロールに出るんです。飼い主がそのたびについてかなきゃいけない。つまり一部の飼い主の負担になるんです」


 ほかの農夫も流れ弾に用心しながら、


「それにあれは住民全員の承諾がいるんだよな。一時でも、犬を放すからには」


 訓練費もかかる、と別の男が低く言った。

 辰吉は聞いた。


「よっしー、おまえの家はサルは出るか」

「……少ないです」

「天狗屋はどうだ」


 天狗屋も首を振った。


「うちはもっぱら、女房の畑に来るイノシシですね。あそこにはチビ子は放せないから」


 辰吉は得たりと笑い、


「犬は効果があるんだよ。だが、どの家もつないでたり、離れた畑までカバーすることができねえんだ。だが、集落で導入を決めれば、枠をとっぱらって害獣を追える。柵だけじゃダメだ。犬も必要だ」


 よっしーはむすっと、


「しかし、凶暴な犬もいますからねえ」


 天狗屋がチラリと見て、


「ひとんちに入るバカな犬もな」

「!」


 よっしーがあごをつきあげた瞬間、次郎は急いで、


「たしかに調整する問題はあるけど! 考えてみる価値はあるんじゃないですか。この場で結論しないで、持ち帰って考えてみましょうよ。持ち帰りましょう!」


 モトが言った。


「金はどうするんだ?」

「え」

「集金すんだろ。一戸、いくらかかるんだ」


 次郎はとまどった。


「まだちょっと――」

「また三十万ぐらいか」


 人々の顔がみるみる硬くなった。


「いや、今度はちゃんと交付金出るはずですので、そこまではかからないはずです」

「でも、犬やるなら、犬の訓練費だって、飼い主に出させるわけにいかんだろう」


 次郎は、計算します、とすばやくうなずいた。


「犬も助成金出ると思いますから。近日中に――じゃ、今日はここまでで」


 金の話になり、人々の顔が暗くなっていた。次郎にはその顔によぎった怯えがわかった。

 彼らの持ち寄った草刈り機は、よく手入れされていたが、型が古かった。


 どの家も借金漬けである。返済しても借金は根雪のように溶けない。ここ数年、収入はとても低かった。

 新たに金を借りさせるのは、次郎も胸が痛かった。





 お市とテツが杏花集落に戻ってきたのは、夜中の一時過ぎだった。

 上山田から歩きどおしで、お市はへこたれていた。


「キンちゃんて抜けてるよね」

「悪口言わない」

「ごはんごちそうしてくれてさ。温泉も入れてくれてさ。――どうして帰りの足のことは心配してくれないのさ」

「キンちゃんはな、おまえにたかられまくるんじゃないかと戦々恐々としてたんだよ。昼飯、おやつ、晩飯、温泉と一日サイフがわりにされて。早くゴロツキから離れたかったんだ」

「それがビジネスというもの」

「資材、農協から買わねえのに、どこがビジネスなんだ」

「農家あっての農協」

「市安さん、少し自重しなさい」

「大盛りを頼んだのは兄弟子ですよ。アンズあんみつまで頼んで、どの口がそういう――」


 シッとテツが手で制した。

 寝静まった集落に、かすかな犬の吠え声がしていた。はげしい、緊急事態の吠え方だった。


 山に囲まれた集落は市道以外ほぼ真っ暗な闇である。この時間に起きている家も少なかった。

 お市はいぶかった。


「クマ――?」


 テツはすでに走り出していた。

 




 吃音のあるイケメン若手農家、瑛太は家のなかで携帯を握り締め、立ち往生していた。

 下で、愛犬のガブが激しく急を告げている。


 目を覚ました時、


 ――あの坊主ども。


 と、真っ先に思った。

 しかし、ガブの様子が変だった。ガブは、てっちゃんと呼ばれる肩の肉の厚い坊主には吠えない。


(?)


 窓から下をのぞき、瑛太はぞっと総毛立った。

 黒い頭が数人、倉庫の前にいる。戸を開け、中から荷を運び出していた。


(ど、泥棒。110番!)


 しかし、携帯電話を出したものの、そこで戸惑った。こんな時ですら、言葉が詰まるのが怖かった。にわかに気後れしてしまい、彼は電話を持ったまま、動けずにいた。

 その時、声が聞こえた。


 ――おい、犬を黙らせろ。


 すぐにガブの悲鳴があがった。吠え声が聞こえなくなった。

 瑛太のからだの血が冷えた。


 知らず階段を駆け下りていた。立てかけてあったコードレスの掃除機をつかむと、サッシをあけて飛び出した。


「ガブ!」


 センサーが反応して、明りがついた。

 スポットライトを浴びたように、地面に倒れたガブが映し出された。胸から黒い血の泡が噴き出し、しぶきが光っていた。


 瑛太は宙を掻くように飛び上がった。

 黒い頭に向かって、メチャクチャに掃除機で叩きつけた。


 わめき声が聞こえ、掃除機が何かにひっかかる。腕を硬いもので打たれた。腹を殴られ、内臓がのどに突き上げた。

 ガツンと金属質のものが頭蓋と打った。

 地面にひざをつくと、重い靴が雨あられとふりそそいだ。


 いつのまにか、ガブの影を見ていた。ガブの腹の下にあきらかに黒い血だまりが広がっていた。


「これで最後だ」


 黒い頭が倉庫から出てきた。

 後方でひとりがトラックのドアをあける。その途端、ドアの音が勢いよく開き、何かが吹っ飛ぶ音がした。


「!」


 瑛太は目を動かした。

 白い頭が、トラックから出てきた。落ちた男のどこかを踏んだのか、悲鳴があがる。


「なんだ」


 黒い頭たちは新たな人影にたじろいた。

 白い頭の袖は白かった。その袖が閃き、牙のように飛びかかった。

 黒い頭たちは一瞬、うろたえたものの、すぐに反撃の体勢をとった。


 瑛太はぼんやりと影の格闘を眺め、激しい足音を聞いていた。

 たがいに言葉を発さない。四つの黒頭が白頭に襲い掛かっている。


 白頭だけは別の生き物のように動きが速かった。確実にひとりひとりを掴まえ、拳を叩きこんだ。ひるんだ襟首をつかみあげ、ひざで腹を突き刺す。


 一瞬、ライトのなかに白い顔が映った。目が大きく瞠き、口が裂けるように笑っている。その白い歯がぎらりと光って見えた。


「ッ――」


 最後のひとりが声にならない悲鳴を発してくず折れた。

 白い頭――テツは瑛太に近寄り、首をつかんで脈を見た。


「――ガブが――」


 瑛太は声をしぼりだした。

 ガブが血だまりのなかに倒れている。その腹がわずかに揺れていた。

 テツはガブの傷を見て、顔をしかめた。手ぬぐいをだし、その傷口を押さえると、


「お市ィーッ! 救急車! あと、三好のお母さんを呼べ!」




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ