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身請け

 歴史が大きく回天しようとしています。慶応三年十月十四日、将軍徳川慶喜は朝廷に大政を奉還しました。このままいけば無血維新が成立するはずでした。ですが、あくまでも武力維新を目指す薩摩藩は江戸三田の薩摩藩邸に浪士多数を集め、江戸市中の治安を乱すため、乱暴、狼藉、火付け、強盗などを行なわしめました。さらに別働隊を結成し、甲州、相州、下野に派遣して倒幕の義兵を挙げさせようとしました。

 このうち下野に向かった一隊は二百名ほどの軍勢を集め、十一月九日、出流山千手院満願寺において挙兵しました。これに対して幕府は千名規模の討閥隊を組織しました。この討伐隊は十二月十一日までに満願寺を制圧し、首謀者等およそ四十名を佐野河原にて処刑しました。その中に正造の知友が数名いました。正造の母サキは冤罪を心配し、馬喰町の鍵屋に宛てて手紙を寄越しました。

「汝の朋友出流山の事に与りて多く捕われたれども、幸い汝は江戸出役中の事とて漸く危を免れたれば、この際、深く謹慎してみだりに外出することなく、また今しばらくの間は帰国すべからず。しかざれば奸党必ずこの挙に借りて汝を捕えん」

 サキの忠告が効いたわけでもありませんが、しばらく正造は目立った動きをせずに過ごしました。あいかわらず訴訟の事務を行いながら、林一派の動静に目を光らせています。下野七村の領民にとっては維新の大業よりも御家騒動の方が切実な問題です。林三郎兵衛一派とて同様です。六角家の実権を握ってはいるものの、公選派領民たちの処分に手を焼いています。差し出されている富蔵と正造の辞表を受理してしまいたいのはやまやまでしたが、下手に辞職させれば七百名を越える領民どもが騒ぎ立てるに違いないのです。騒動が徳川家の耳に入れば、六角家そのものが御取潰の憂き目に遭いかねません。やむなく林一派は懐柔に動きます。仰々しくも二名の使者が馬喰町の旅籠に正造を訪ねて来て、告げました。

「足下誠に気骨あり。近く割元役たらしめんとの内議すでに決している次第につき、辞表の趣意を思い止まられては如何」

 正造は真偽を疑い、即答を避けました。

「林三郎兵衛殿ご臨席のうえ、改めて拝聴したい」

 その三日後、林一派の重立った者たちと正造とが江戸屋敷で会見しました。林は重ねて辞意を思い止まるよう諭しました。これに対して正造は襟を正して大喝しました。

「そもそも貴公等はこの兼三郎を何者なりと思うか」

 兼三郎とは正造の幼名です。天を衝くような気概です。

「兼三郎、身、卑しといえども貴公等の推挙によって一身の栄誉を願うが如き小丈夫にあらず。却って貴公等の奸悪を退治して領民塗炭の苦を救わんと欲する大丈夫なり」

 驚天動地の言辞といっていいでしょう。百姓身分の正造が六角家の重臣どもを叱責しているのです。下剋上といってもよい状況です。斬られないのが不思議なほどでした。正造の人徳なのか、それとも時代の空気が正造に味方したのか、あるいは林一派が惰弱だったのか。

「貴公等、今において予に諂わんより、何ぞ速やかにその職を辞せざる」

 正造は大いに林一派を罵倒しました。林三郎兵衛も黙ってはいません。百姓風情に説教されたとあっては沽券にかかわります。双方、大いに悪口雑言をぶつけ合いましたが、正造は斬られもせず鍵屋に帰りました。

 林三郎兵衛は懐柔策を棄てました。まず富蔵と正造の辞表を突き返しました。対する公選派は協議の上、長文の弾劾文を付して辞表を再提出しました。林はこれを握りつぶし、噂の流布や買収などで公選派内の離間策を種々施し、大久保村に林派の拠点を置くなど攻勢に出ました。公選派もこれに対抗して結束を固め、公訴を繰り返しました。公訴は、六角家そのものにではなく、六角家の親戚筋に対して行いました。六角家の外周から切り崩そうというのです。双方、互角の鍔迫り合いというべき情勢です。そんな折、公選派に深刻な問題が湧いてきました。

「総大将の藤七は放蕩無頼の徒なり、その言行もとより以て信ずるに足るものなし」

 そのような噂が下野各村に流され、しかも公選派の一部がこれを信じてしまい、結束に動揺が生じたのです。林一派の工作に違いありませんでした。藤七は寛仁大度、機略縦横の人物ではあるものの、遊芸の道に造詣の深い粋人であったため、人の誤解を招きやすかったのです。端唄や都々逸は玄人はだしであり、江戸の花街などで派手に遊んだこともあります。その藤七は、昨今、幸手の女郎屋に頻繁に通っています。このため噂が噂ですまなくなりました。正造自身は遊び事に寛大な男でしたから、この程度の噂で藤七に対する信用を失いはしませんでした。しかし、遊芸に対する感覚は人それぞれです。石頭の朴念仁も味方の中にはいます。真面目な者たちが噂に惑わされて藤七を猜疑し、ついには離反しないとも限らないのです。

 正造は幸手宿へと走りました。そこに鈴木屋という女郎屋があり、キンという遊女がいます。キンは遊芸に秀でていたため藤七の目にとまり、以後、馴染になっています。江戸に用事がある時など、藤七は遠回りしてキンに会い、しばらく流連するのを常としていました。キンに芸を教え込み、その上達ぶりを楽しんでいたのです。

(それをやめさせねば)

 正造の懐には大金が入っています。キンを身請けするための金でした。正造は東奔西走して金を借り、ようやくこの大金をかき集め、鈴木屋に向かっています。

「キンに会いたい。すぐ呼べるか」

 汗にまみれ肩で息をしながら言う正造を遣り手婆は笑いました。しばらく部屋で待たされるうち、キンが現われました。

「おめえがキンさんけ?」

「あい」

 正造が想像していたのとはずいぶん違いました。小柄で浅黒い年増女です。が、そんなことはどうでもいい。

「俺はおめえを身請けに来たんだ。それでよかっぺ?」

 キンは答えません。無理もないでしょう。いきなり見知らぬ男から身請けすると言われても返事のしようがありません。それでも身請けされれば、この苦界の仕事からは解放されます。

「どうか何分」

 キンは曖昧に返事をしました。ですが、正造にはそれで十分でした。さっそく楼主を呼び、身請けの談合に及びます。持参した大金がモノを言ったらしく、楼主は大いに喜びました。証文を巻かせて、一切の借金を支払い、キンの頭を丸髷にさせました。

「キンをしばらく預かってけろ」

 正造は楼主に頼み、キンにも言い含めました。

「日ならずして迎えの者が来る。それまでここで待て」

「どんな御人が来るんです?」

「年令四十二、三の者さ」

 キンの顔が明るくなりました。

「お師匠さんですね」

 キンは藤七のことをお師匠さんと呼んでいるらしい。

「まあそうだ」

 そう言って正造は去りました。数日後、例によって鈴木屋に通ってきた藤七に、キンは事情を話しました。藤七は黙って聞くうちすべてを悟ります。

「正造め」

 藤七はキンを家に連れて帰り、夫婦となりました。以後、藤七の遊廓通いはパタリと止み、公選派の結束は保たれました。

 

 結束を固めた公選派は、林三郎兵衛一派の奸悪を激烈な言辞で追求する長文の表を書き上げ、江戸屋敷に差し出しました。これが林一派の肝胆を寒からしめたらしく、猛然たる林派の反撃を惹起しました。かねて提出されていた辞表が受理され、富蔵と正造は職を離れました。公用で出府していた名主の茂一が罪状もなく捕縛されました。会計掛を勤めていた助戸村の権兵衛も捕えられ、江戸に護送されそうになりました。これを知った公選派一同は、それぞれ手に棍棒や鋤鍬を携えて蝟集し、捕吏の者どもを脅しあげ、権兵衛を釈放させました。権兵衛は事なきを得ましたが、林三郎兵衛らの強硬姿勢は疑うべくもありません。訴え出ようにも既に幕府はなくなっており、戊辰戦争が始まっています。大将の藤七と藤吉は協議の上、東上中の官軍に訴え出ることに決めました。

 二人は嘆願書を胸に蔵して静岡まで走り、総督府に訴え出ました。この訴えは聞き届けられました。直ちに林三郎兵衛らの奸臣が捕縛され、足利戸田藩お預けの身となりました。呆気ないほどの成功です。

 しかし、お家騒動が沈静化した下野に、戊辰戦争の波が押し寄せてきました。佐幕派の敗残兵達が傷跡も生々しく北へ北へと敗走していきます。聞けば江戸上野や梁田宿で合戦があったといいます。敗走兵の中には重い傷を負っている者もいるし、裸足で歩いている者もいました。

(小中村を戦場にしてはならない)

 正造は村人を動員しました。敗残兵に白湯をふるまい、草鞋を与え、傷の手当てをし、励まし労って、その行軍を助けました。村人は親切心から熱心に世話を焼きましたが、正造の本音は別のところにありました。

(早く村から出ていって欲しい)

 佐幕派の残兵たちが北へ去り、やれやれと思っていると、早くも官軍が追走してきました。ちょうど夕暮れ時です。よりによって官軍は小中村を宿営地としました。正造は喜んで官軍の便宜を図りました。屋敷の部屋を空けて寝所とし、飯を炊いて振る舞い、馬には水と飼い葉を与えました。

(まずい)

 正造は内心では焦っています。幕府軍の敗残兵がまだこの付近に残っているはずです。小中村に官軍が宿営しているとわかれば、夜襲を敢行してくるかもしれません。そうなれば村が焼けることになります。

「篝火を焚け」

 正造は村人に命じて多数の篝火を用意させ、一晩中、村内を照らし続けさせました。おかげで官軍は安心して眠り、幕軍は夜襲を断念しました。


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