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お家騒動

 六角家は高家に列しています。高家とは儀式典礼を宰領する家格のことです。所領の石高こそ少禄ですが、幕府内での格式は高く、忠臣蔵で有名な吉良家も高家です。

 この時期、神武天皇陵の所在が大和において確定されたため、徳川将軍家が費用を負担して陵墓の修繕が行なわれていましたが、それが目出度く完成をみていました。朝廷が祭典を執り行うこととなり、当然、徳川将軍の参拝が予定されました。しかし、将軍は政務多端です。そこで六角越前守に代拝の命令が下りました。割元の富蔵にも帯同が命ぜられました。富蔵は留守中のこと一切を正造に託し、京に上ります。御代拝はつつがなく執り行われましたが、別件が持ち上がり、六角家家臣団は長く京に足止めされることとなりました。

 この状況が奸臣林三郎兵衛の欲心をくすぐります。領主と富蔵が不在なのです。若輩の正造などは物の数ではありません。念願の悪謀を巡らせる好機です。林は御館普請の話を役所内で蒸し返し、盛んに賛同者を募りました。領民たちにも手を伸ばし、富蔵と正造に対して反旗を翻すよう指嗾しました。そして、命令に従う者には名主や奧医師などの地位を与え、金をつかませました。買収による多数派工作です。この動きを察知した正造は激怒します。

 六角家領内では永年、村内百姓の公選によって名主が決められてきました。正造も公選を経て名主の地位を得ています。ところが林三郎兵衛は買収工作のためにこの良き慣行を破り、名主を官選とし、勝手に指名し始めたのです。

「その罪万死に値する」

 激昂した正造は御領主に上書しようと考えました。正造は独断を避け、その旨を京にいる富蔵に書き送りました。富蔵は危ぶみ、「自重せよ」と諭す手紙を送り返しました。

「汝その位に在らずして、その政を議するの癖あり、甚だ善からず、汝、謹んで復た議する莫れ」

 父子の書簡が東海道を何度も往復しましたが、結局、父子の意見は決裂してしまいます。どんなに反対しても富蔵の身は京にあります。それをいいことに正造は過激な上書を認めて江戸屋敷に差し出してしまいました。

 正造の行為は告発です。正義の行いでしたが、危険でした。身分制度のやかましい江戸時代にあっては大問題です。名主とはいえ、百姓身分の者が領主に向かって上書するなどは越権も甚だしいとされたのです。林三郎兵衛が名主の公選慣行を無視したことは確かに悪いのですが、正造の上書もそれ以上の秩序破壊行為だったのです。正造は名主を免ぜられました。

 すると、正造を信頼する領民らが領内各処に集まって示威運動を始めてくれました。領民にとっては公選した名主が良いに決まっています。林三郎兵衛の非道を鳴らし、筵旗を立て、正造の冤を解くべしと訴えてくれます。その勢いに江戸屋敷の役人は驚き、あっさりと正造を名主に戻しました。幕府に知れたら、お家が取りつぶされる恐れがあったからです。

 それでも林の策謀は続きます。林は年貢上納の制度をあれこれといじくりまわし、名主や割元を困らせようと謀ります。正造は果断です。六角家の江戸屋敷に出頭し、その無法を訴えました。

「このような悪制の下では勤めを果たせません」

 これに対して林三郎兵衛は平然と言い放ちました。

「然る上は辞職勝手たるべし」

 正造は黙るしかありません。


 京で足止めを食っていた六角家家臣団がようやく帰ってきました。富蔵は領主の覚えめでたく給人に進みました。ところが、この若い領主があっけなく死んでしまいます。喜んだのは林三郎兵衛です。時こそ到来とばかりに御館普請を進めようとしました。富蔵と正造は力を合わせて反対運動を起こして対抗します。

「無用有害の土木を起こす莫れ」

 正造ひとりでも充分にうるさかったところに富蔵が加わったため、反対論は以前に十倍するかと思われる喧しさになりました。閉口した林は両名に蟄居百日を申し付けました。これは効果を発揮しました。指導者を失ったため領民の反対運動が沈静化したのです。この機を利して、林三郎兵衛は江戸屋敷表門長屋を早々に完成させてしまいました。

 六角家の実権を握った林三郎兵衛は、ある日、名主の小林藤吉とその息子藤吾を江戸に呼びつけました。飲食を饗応したうえで林三郎兵衛は小林親子に言いつけます。

「田中父子を諭してすみやかに辞職するよう取り計らえ。その後釜には必ずその方らを据えるであろう」

 小林藤吉は公選の名主ではありません。林三郎兵衛の指名による官選名主です。逆らえるはずがありません。それでも良心は残っていました。下野に帰った藤吉と藤吾は小中村の田中家を訪れ、事の次第を正直に打ち明けました。

「江戸表では用人の面々、時節柄も弁えず御裕余金のあることをいいことに盛大な普請を起こし、毎日買い入れる万端の品々まで奢侈に流れ、飲み食いの費用だけでも並大抵のことではありません。この分では早晩、金庫は空になるに違いありません。そうなれば必ず御用金を申し付けてくるでありましょう。特に我等のように官選された名主は抵抗ができません。いずれ近いうちに領民は過重の負担に苦しむことになるでしょう」

 富蔵、正造、籐吉、籐吾の結論は一致しました。要するに官選名主が諸悪の根源であり、これを従来どおりの公選に戻せばよい。藤吉が提案します。

「今、この騒ぎにお二人が巻き込まれるのは百害あって一利もない。お早く辞表をお出しになり、局外に難を避けるべきです」

 富蔵と正造は賛成しました。さらには公選派勢力を結集させねばなりません。これは藤吉と藤吾が引き受けました。ふたりは村々をまわり、事態の委細を報告して政弊改革の必要を説き、連判状に署名を集めることにしました。

 翌日、田中父子は長文の辞表を書き上げ、江戸屋敷へ差し出しました。内容は辞表というより、むしろ奸党弾劾文というに等しいものでした。一方、藤吉と藤吾の二人は村々を廻って事情を説明していました。六角家の内情を知って激昂する者が多く、直ちに筵旗を上げようという者さえいました。連判状の署名は容易に集まり、七百名以上が署名してくれました。

 藤吉と藤吾から差し出された連判状を見て驚いたのは林三郎兵衛です。七百余名という数字は、下野七村の中規模以上の自作農がことごとく賛成していることを意味します。連判状は普請中止と名主公選を求めています。林一派は善後策を協議しましたが、もともと欲得だけで党派を築いている連中であり、いい知恵もなく、ただ田中父子の辞表を脚下する事だけを決めました。


 その後も江戸表の様子は一向に改善せず、あいかわらずの濫費が続きました。そのため下野の領民は徐々に怒りを蓄積させていきました。田中家に重立った者たちが参集したこの日、正造は起ちあがって熱弁を揮いました。

「いまや天下の形勢危うきこと薄氷を踏むが如くである。しかるに奸臣上に跋扈して、良民下に苦しみ、政弊改まるところなくして人心帰一を失い、無用の土木を興して有要の財を尽くし、旧来の慣例ことごとく破却せられて奸臣等の意に出る新法、雨の如く降る」

 名演説です。この時期の日本にはまだ演説という言葉がありませんでした。「演説」は維新後に福沢諭吉が訳出した言葉です。元来、日本では檄文を草し、それを回覧することによって賛同者を募るのが一般的な慣行でした。にもかかわらず下野の一百姓に過ぎない正造が、誰に教えられたわけでもないのに演説というものをやってのけたのです。これは一種の奇観でした。

「伏して願う、各位の力によって恐れながら幼君へ御隠退を勧め奉り、賢明なる第二の君を推戴して御家督あらしめ奉らんことを。しこうして彼れ奸党の輩はもちろん之に付随せる侫人等をばことごとく門前払いとなし、君側を清めて以て御家を泰山の安きに置かんこと是れ予が宿望にしてまた先君に対するの微衷なり。我々の志は鉄石の如し。父子辞表を呈して今や脚下せらる。あたかもこれ砂上に文字を画くが如し。是より後はただ精神を頼むのみ。この辞表の如きは片時も予等の左右に置くべきものにあらず」

 言い終わると正造は、突き返されてきた辞表を飛脚に託して再び江戸表に発送しました。これを見た一同は田中父子の決意の固さに感じ入り、ますます団結を強めました。人が集まり、団結も強まりました。次ぎに必要となるのは良き指導者です。

「幸手の山に隠退中の藤七こそ」

 そう提案したのは藤吉です。藤七とは、かつて割元を務めていましたが、遊芸好みがアダとなって金を使い込み、ついに職を辞したという前歴の持ち主です。しかしながら、その才幹と機略は衆目の認めるところでした。

 出馬を要請された藤七は、事情を聴いて指導者たることを承諾します。藤七の決意も並大抵ではありません。悪くすれば佐倉惣五郎のように死ぬことになるでしょう。

 こうして公選派の組織ができあがっていきました。大将は藤七と藤吉の二名で訴訟と戦略を担当します。参謀は藤吾と権兵衛、会計方は儀平、忠兵衛、茂市です。富蔵と正造には何の役も与えられませんでした。すでに林三郎兵衛から目をつけられているため、あえて無役にして敵の目を欺くことにしたのです。

 対する林一派の策謀も進んでいます。小中村の一部農民を使って稲岡村に対する訴訟を起こさせました。訴訟内容は用水と村境の問題でしたが、真の狙いは富蔵と正造を離間させるところにありました。小中村は正造の差配地、稲岡村は富蔵の差配地です。この両村に訴訟沙汰を惹起して父子の分裂を画策したのです。富蔵と正造は、もちろん父子相争うような愚は演じませんでしたが、面倒な訴訟の事務手続きに忙殺されることになりました。

 正造は馬喰町の旅籠鍵屋に宿をとり、訴訟手続きのため小石川の六角家江戸屋敷に日参しました。訴訟手続きは面倒でしたが、それ以外に仕事はありません。正造は先に再提出した辞表の扱いがどうなっているかを確かめようとしました。また、林一派の形勢も探りたいと思いました。さらには、広く天下の形勢を観察したくもありました。

「豚一」

 という言葉を何度か街中で正造は聞きました。旗本たちがそう言って将軍を罵っているのです。豚一とは、一橋家出身の十五代将軍慶喜が肉食をするところから出来た仇名です。これより先、幕府は旗本八万騎に対して非常命令を出していました。軍費多端の折から三ヶ年の秩禄より三分の一を前借りするというのです。旗本たちはそれが不満でした。

(徳川氏の危機ついに救うべからず)

 百姓の正造は義憤を感じます。三百年間、先祖代々、徳川将軍家の碌を食みながら、軽佻浮薄に流れ、御家のために立つ程の気概もなく、ただおのれの財布を気にするだけの腰抜けに堕しているのが旗本八万騎の実態らしい。こうなると正造は居ても立ってもいられない性分です。六角家も徳川将軍に仕える旗本です。よせばいいのに六角家領主に宛てて上書を認めました。

「収入の三分の一前納するはおろか、生命を捧げて旗下たるの道を尽くすべし」

 正造の上書はもちろん無視されました。が、そんなことでいちいち失望はしないのが正造です。徳川家への義理立ては横に置き、再び林一派への対抗策に熱中しました。

(林一派の陰謀を偵知できないものか)

 林三郎兵衛の陰謀を事前に探知できれば戦いは有利になります。とはいえ、江戸屋敷の奧での密謀を窺い知ることは、百姓身分の正造には不可能です。

(侍の味方が欲しい)

 正造は、自分とほぼ同年代の若侍と知己になろうと考えました。六角家の江戸屋敷に出入りして、それらしい若侍に接近してみました。しかし、上手くいきません。そもそも身分が違うのです。それに正造は強情一辺倒の性格であり、人の歓心を買うための阿諛追従など言えはしません。さすがの正造も諦めかけた頃です。ある夜、正造は不意に襲われました。襲ってきたのは宗十郎頭巾で顔を隠した二人組の侍です。ふたりは無言で刀を抜いて斬りつけてきました。場所は本郷界隈です。この時代、侍は剣呑でした。刀の試し斬りのために夜な夜な出没して、犬や猫や人を斬ったりしました。いわんや今は幕末の動乱期です。正造はとっさに持っていた提灯をひとりの侍に投げつけ、後も見ずに韋駄天走りに馬喰町まで逃げ帰りました。

(ちょうどいい)

 正造は、この出来事をむしろ自慢げに若侍らに話してみました。すると彼等は侮蔑の色を露骨に浮かべ、正造を嘲笑しました。

(そういうものか)

 正造は身分の違いを改めて思い知りました。見事に逃げおおせたというのは、あくまでも百姓の感覚であり、侍にとっては恥でしかないようです。身分の違いは、そのまま価値観の違いです。逃げているようでは相手にしてもらえないことがわかりました。この状況では、内偵の味方など夢のまた夢です。

 それでも失敗を重ねるうち、正造には徐々に侍との付き合い方がわかってきました。要するに勇武を示す以外にないのです。機会を待つうちに好機が訪れました。ある夜、正造はひとりの若侍とともに江戸屋敷を出ました。しばらく歩くと、一匹の狂犬が往来で人々に吠えかかっています。狂犬は恐ろしいものです。若き日の勝海舟が犬に睾丸袋を食いちぎられたように、この時代の野良犬は実に危険です。正造はスッと侍の先に立ち、狂犬を一旦やりすごすと、振り返りざま短刀で狂犬の頭部を割りました。同行の若侍は正造の見事な早業を見て驚嘆し、以後、正造に対する態度を改めました。正造はこの若侍と懇意になり、江戸屋敷の様子を知り得るようになりました。


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