風の中、畦道の上。
地元の風景を参考にして書いた作品です。
私の掌編十五作目です。
少しひんやりとした風が、この町に残った熱い空気を奪い去っていく。
この季節は一段と空が高く見える、というのはどうやら本当のようだ。おまけに今日は雲一つない。
「あぁ……眠ぃ」
朝は苦手だ。ここ最近は尚更。夢の中から現実に引き戻される時の鈍く重い感覚は、俺の寝起きを最悪なものへと仕立てあげてくれる。
通学路。田園風景が広がる町の畦道の上。俺はいつものように、オンボロ自転車に跨り学校へと向かう。
ペダルを踏む度にギィギィと呻く声は、一日の始まりを告げる合図みたいなもんだ。
細くデコボコとした道の端には、彼岸花が群れをなして咲いている。それらが帯びる鮮やかな赤も、俺の眠気を吹き飛ばすには至らない。
「……学校行くの、だりぃな」
寝ぼけた頭に浮かぶ言葉がつい口をついて出てしまった。
「ぼやいてないで、ちゃっちゃと自転車をこぐ!」
「ほわぁっ!」
すぐさま横やりが入る。後ろからだが。不意打ちだったこともあり、つい情けない叫び声をあげてしまった。
秋の空気にも負けないくらい澄んだ声音。小さい頃からずっと傍で聞いてきた、幼馴染の友香だ。
黒いショートの髪からアホ毛が飛び出していることも、犬のような丸い瞳を細める様子も。わざわざ見なくても容易に想像できる。
「最近やっとサボり癖抜けてきてるんだから、再発はダメだよ」
「わ、わーってるよ」
封じ込めてたはずのマイナス発言をしてしまった後悔と、情けない声を聞かれた気恥ずかしさが入り混じる。そんな感情を踏み潰すように、自転車をこぐ足に力を込めた。
「てか、この自転車荷台錆びかけてるじゃん! あたしが最近乗ってないからってお手入れサボってたんでしょ。今日は我慢したげるけど次に乗る時はブツブツ……」
「あぁぁ! うっせえよ! 分かったよ! 今度はワックスで磨き抜かれたピカピカの荷台に乗っけてやんよ!」
わざと仕向けたのか、たまたまなのか。とりあえず彼女のおかげで眠気はどこかへ消えてしまった。
彼女とのやりとりの間、何本電柱を追い抜いただろうか。前には進めど、周りにあるのは古い民家や田んぼに畑。この季節だけ、彼岸花が野次馬のように顔を出す。そんな風景が続いていく。
「……キレイだね」
「ん?」
「彼岸花。あの花ってたまに『死人花』とか『地獄花』って呼ばれることもあるらしいよ」
「そりゃ不吉なこったな」
「あんた、いっつも返事がそっけないね~。まあ、彼岸花ってあんまりいいイメージないよね。でも、悪い話ばかりじゃないんだよ」
「何で?」
「この花には『再会』って花言葉もあるし、『おめでたい兆し』とされることもあるんだって」
「ほー、全く正反対のイメージだな」
「うん。でね……」
嬉しそうにうんちくを続ける彼女。リズムよく次々と溢れてくる言葉に、彼女自身が必死で追いつこうとしているようにも感じる。
彼女は昔から、新しいことを知るのが大好きだった。
いつも目を輝かせて親や学校の先生を質問攻めにしていた。そうして集められた情報を披露する対象は、いつも俺。
はじめのうちは嫌で仕方なかったが、いつしかそれが日常の一部と化していた。最近では、彼女のうんちくを聴かない日はどこか空しさすら感じていた。
それは慣れのせいだけではなく、俺の心が少しずつ彼女の方へ引き寄せられていたこと、それが一番の原因だったと思う。
新しいことにすぐに魅せられてしまう素直な性格。
うんちくを話す時の子供のような無邪気な笑顔。
こんな俺を長い間そばで叱ってくれる優しい心。
そんな友香はいつしか、俺にとってただの幼馴染ではなくなっていた。
「……お前の知りたがりな性格、全然かわんねぇな」
「え? だって、今まで知らなかったことを知るのって、何だかワクワクするじゃん」
彼女は何の躊躇いもなく答える。
「でも、まだまだ。もっと色々知りたいこともあるんだけどね……」
緩やかに流れていた風が止み、静寂がおとずれる。雀のさえずりと自転車の呻き声だけが田舎の町に響きわたる。
しばらくして、彼女は若干声のトーンを抑えつつ、言葉を紡ぎ始めた。
「彼岸花には、他にも呼び名があってさ」
色んな場所で、色んな人々が、それぞれの思いを名前や言葉にして花に託していく。
俺ならこの花にどんな名前をつけるだろうか。そして、彼女はどんな思いを花にのせるんだろうか。
「『相思花』っていうんだよ。互いが互いを想い合うって意味」
「ふーん……」
いつもは無意識なのだが、この時だけは無理にそっけない返事をした。
――互いを想い合う。
その言葉に思いっきり動揺してしまった自分を必死に抑え込む。
「あたしたちって、どうだったんだろうね」
「――え?」
冗談交じりの声の合間に含まれるのは、憂いか、寂しさか。俺の心にぽつりと波紋を広げていく。
幼馴染であることを言い訳にして、俺の臆病な部分が閉じ込めていた想い。
結局伝えられなかった想いが浮き上がってくる。
彼女は突然、俺の前からいなくなった。
もう触れることもできない。
――でも今なら、この気持ちを伝えるくらいはできるかもしれない。
「なぁ……」
意を決し、願いを込めて後ろを向く。
その淡い期待むなしく、視界に入るのは、見慣れた田園風景と錆びかけた自転車の荷台だけだった。
◇◆
ふと自転車のブレーキを握りしめる。金色に染まる田んぼの隅。まるで稲穂の陰にかくれるように、白い彼岸花が一輪咲いているのが見えた。
「白い彼岸花なんてあるんだな……」
不気味なほど群れて咲く赤いそれとは、全く正反対の雰囲気をもつ花。儚げで、でもどこか自分の世界を楽しんでいるようにもみえる。ところで、あいつは白い彼岸花を見たことはあるんだろうか。
「……このことも話してやらないと」
何でもない日常の中に、どんな新しいことが潜んでいるかわからない。そんな出来事を拾い集めて、いつか俺が向こうにいった時、彼女に話してやること。そんな些細な目標が今、面倒くさがりだった俺の背中を押している。
「さて、今日も一日、生きるとするかな」
再びオンボロ自転車のペダルを踏み込み、畦道の上を進んでいく。
不意に頬を撫でる少しひんやりとした風に、ほんのりと温かみを感じた。
過去と比べて一番すんなり浮かんですんなり書けた作品でした。
今でもまあまあお気にです。




