『赤と黒の大国』─7
part 6
対峙する者達の間を冷たい風が通り過ぎた。
「今でも12騎士がそんなに大事な事なのですか? カルタニアス。貴方が私達に向ける矛先の意味はナイトナから聞きました」
側に佇むトアルは、ただ黙って王女の話に耳を傾けている。
カルタニアスが聖円の紋を去った理由をトアルもよく知っていた。
「全く……。ナイトナの口の軽さには困ったものだな。余計な真似ばかり」
心底、呆れているようで嫌悪混じりに深い溜息を溢した。
「確かに、当時の私には12騎士になる事が全てであったが……、今はそう思ってはいない。それは本当の事だ。ただ……」
そこまで言うと、また黙ってしまった。ただ、何かと王女が尋ねる。
カルタニアスの瞳が鋭く王女を捕えた。
「ただ、何のために君がそれを身に付け委ねられているのかが、わからないな」
カルタニアスは王女の持つ魔具、オーニソガラムを眺めている。
「……君の瞳は、あの方に似ているな。昔の事を嫌でも思い出す」
王女の澄んだ瞳から視線を逸らす。今から5年も昔の事。
沢山いる騎士の中から更に能力の高い者を12騎士候補に挙げていた聖円の紋。
昔から受け継がれてきた12賢者の魔具も2つ、主を持たないまま残されているのみ。
鮮やかな緋色の魔石が填め込まれた魔具ガイラルディアと、何色にも染まりそうな白い魔石を持つオーニソガラム。
来るべき主を静かに待ち続けている。
その保管場所に、いつまでも少年の容姿をした歳などは一切不明の聖円の紋を治めている神官将のランネルセと、12騎士候補カルタニアスの姿があった。
カルタニアスが魔具の側に歩み寄る。だが、手にしても魔具は反応すら見せない。
何度、触れても無駄な事であった。
側で見守っているランネルセの言葉さえ聞き入れる事を拒むと、その場を去ってしまった。
「カルタニアス、それが全てではありませんよ。いつまでも、この国に居ても構わないのですから」
小さくなる後ろ姿を見つめながら、ランネルセの声が響く。
翌日、いつも通りカルタニアスの姿を見掛け、声を掛けた。
だが、目を合わせようともしない。
「カルタニアス……」
黙ったまま、その場を早々に立ち去ってしまったカルタニアスに、ランネルセの顔から笑顔が消えた。
12歳からどんな者でも学ぶ事をゆるし、受けいれてきた国、聖円の紋。
カルタニアスも12歳になった頃に聖円の紋を訪れた一人であった。
一切の出生は謎で、パトロド大陸の遥か北に位置する聖者の住む国、イブフルー神殿に身を寄せていたという。
そのまま神官将の道もあったのだが、騎士になりたいと望んだ道であった。
どうせ目指すならと、12騎士になるべく過ごして来た日々が、思いも寄らない結果を招いてしまった。
「どうかされたか?」
大柄な男がランネルセの前に佇む。赤と黒の衣装を身に纏い、腰元に携えた銀色の剣。
肩まである漆黒の髪を後ろにひとまとめし、その頭部には豪華に彩る装飾を施した冠を身に付けていた。
「いえ、内情の事ですから……」
「ふむ、そうか。そうじゃ、剣の腕が確かな騎士がこの国に居ると聞いたのだが、ぜひ会ってみたいの」
無邪気に笑うレブレア王。聖円の紋へは所用で訪れていた。
それも今日で終り、明日には自国のレブレア国へ戻る予定である。
ランネルセは言葉を詰まらせた。レブレア王は剣術をたしなむ。相手を探しているのだろう。
だが、その噂されている騎士こそカルタニアスであった。
「彼は今、そんな気分にはなれないと思いますよ? それより、私と魔法の扱い方でも……」
「ワシが魔法嫌いなのは知っておるじゃろ? せめて、その剣士の名前だけでも教えぬか」
ランネルセの続く言葉を遮り、渋い顔をして問い詰める。
事情を話すと、レブレア王は諦めるどころか自分に任せるように言い、直ぐにカルタニアスの跡を追っていった。
ランネルセはその勇ましい姿に話した事の後悔が自然と溜息となって出た。
「一度言い出したら、人の言う事を聞きませんからね、あの方は……」
自室のある場所へ足を向けるその姿は、やがて見えなくなった。
「カルタニアス! カルタニアスはおらぬか!」
数ある訓練場を訪ねては大きな声でカルタニアスを探すレブレア王。
一際目立つ風体と格好に御供の従者達。一体、何事かと聖円の紋の騎士達の注目を浴びていた。
その内、カルタニアスを見掛けたと言う者を捕まえる事が出来た。
その者の話によれば先程、食堂に向かったとの事。早速、出向く事となった。
「おおっ! ここにおったか!」
聖円の紋でも珍しい赤の強い褐色の髪を持つカルタニアス。
食堂に座る、その姿を見付けるのは容易いと、カルタニアスの前で高笑いのレブレア王。
「ワシの名前はメルティス・コーピアス・レブレア。東にあるレブレア国を治めておる」
胸を張って名乗るレブレア王。聞かされたカルタニアスはどこか呆れた様子である。
レブレア王が訪れる際の通達は聖円の紋に住む者、全員に済まされていたために。
間近で話すレブレア王の声の大きさにも迷惑そうな顔をしている。
「私に何か御用でしょうか?」
「うむ。勿論じゃ。今、時間はあるかの?」
「ご覧の通り、食事中ですが……」
丁度、朝食時。
カルタニアスは他の騎士仲間達と食事を取っている最中であった。
それならば食事が終るまで待つと、強引にカルタニアスの前の埋まっていた席に割り込み、自分の分の注文を始めた。
「なりません、王! このような場所で……」
従者達の話など耳にも入れず、さっさと注文を終えるとカルタニアスの方へ目を遣った。
「何か急ぐ御用なのですか?」
一部始終、レブレア王の意外な行動を見ていたカルタニアス。
レブレア王はその問いには答える事なく、ただ豪快に笑うと並べられた料理に手を付け始めた。
周囲の騎士達も驚くような食べっぷりのレブレア王。
レブレア王が食べれば食べる程、従者達から嘆く言葉が続いた。
「それで、御話しとは何でしょうか?」
食事を終え、食堂を出た2人はパトロド大陸を見渡せる展望台に居た。
人気も少なくなった展望台。レブレア王の従者達は別の場所で待たせている。
「そなたの剣の腕が素晴しいとの噂を聞き及んでいる。ワシと手合せをしてくれぬか? 勿論、手加減は無用じゃ。もし、ワシに勝てれば何か褒美を取らせよう」
カルタニアスは様子を窺っていた。レブレア王の真剣な眼差し。
レブレア王の噂もカルタニアスは知っていた。剣を扱う者同士、手合せに問題はない。
ただ、最後にレブレア王の告げた言葉がカルタニアスを驚かせた。
「ただし、ワシが勝てば一緒に明日からレブレア国へ来て貰うぞ」
何を言い出すのかと、カルタニアスが口を開こうとした時。
レブレア王は腰元から剣を抜いた。
「今、ここでするのですか?」
「そうじゃ。ワシは言った事は守る。剣を抜け、カルタニアス」
2人が動き回るのに申し分のない広さの場所。渋渋ながら、カルタニアスも携えた腰元の剣を抜いた。
お互いに構えて向き合う。レブレア王が最初に動いた。その風体を気にしない俊敏な動き。
一気に間合いを詰めた剣の矛先が迫る。
体格を活かした重い一撃をカルタニアスは受け止めた。
「どうした? ワシは手加減はせぬぞ。カルタニアス、お前をワシの国にスカウトするためにな」
退くカルタニアス。
不敵な笑みをするレブレア王。
負ければ、レブレア王は本当に連れ帰るのかもしれない。カルタニアスの握り締める掌に力がこもる。
「何故、私を……?」
一刻程、経った頃。仰向けに倒れているカルタニアスの姿があった。
身体中に所所、衣服が汚れ破れており、血を流している。
その横に座り込んでいるレブレア王。剣は腰元の鞘に戻していた。
レブレア王の姿にも、カルタニアスの抵抗の跡が残されている。
痛む傷のはずが、レブレア王にとっては久し振りの真剣勝負。
大変満足した様子で、笑顔であった。一方、無表情のままのカルタニアス。
勝負の行方はレブレア王が勝っていた。
カルタニアスが手を抜くまでもなく、剣豪の通り名を持つレブレア王は噂通りに強かったのだ。
カルタニアスがまだまだ足元にも及ばないくらいに。
「私が負けるとは……」
剣術に対して自信を少なからず持っていたカルタニアス。
聖円の紋では目を見張る実力者である。でもそれは、まだ18歳迄の経験でしかないのかもしれない。
他にも剣術に長けた者がいるのだと、思い知らされて肩を落している。
「気持の整理もあるじゃろう。明日の出立時まで考えてくれればよい。もし、この国にどうしても残りたいのなら、それも構わぬ。ワシが訪れた時は、また剣の相手を頼む」
そう告げると立ち上がり、従者達の元へ戻って行った。
カルタニアスは起き上がり、手放した剣を拾うと一人、展望台から見渡せる世界の広さを静かに眺めていた。