『赤と黒の大国』─2
Part 6
見上げる空はどこまでも青く、足下に流れる川に王女の顔が映りんだ。
ウィンフィーユに逃げられ、石畳の方まで引き返した王女。
あれから、トアルの姿を見掛ける事もなく。
水面に浸す手。エスフも川に触れた。
「ん? これは……」
気持よさそうに水浴びをするエスフの側を、白い薔薇の花弁が通り過ぎた。
それは、城の方の上段から流れている。数段先に1人の少女が見えた。
少女の手から離れた白い薔薇の花弁が風に舞っては、辿り着いた石畳の水に流されていくのだ。
「何をしているの?」
受ける日差しが透きとおるような色白の肌。まだ、あどけない顔の少女の大きな金色の瞳が、王女を見上げる。
花弁と共に、風に揺れる同色の肩を隠す緩い巻き髪。
「……これは、送りの儀式です。この石畳を流れる水は、とても清らかなものですから」
レブレア国で薔薇の栽培は多く、色々な象徴としても多用される事が多い。
初めて見る光景に王女は興味深く聞いていた。
よく見れば頭から被るベール越しとはいえ、少女の格好は教会のものとよく似ている。
「もしかして……、ティリシア王女様でしょうか? その銀色の髪と噂通りの容姿ですわ」
「噂? はよく知らないけど、私の名前はティリシア・シルバホーン……」
王女が名乗ると、少女は両手で力いっぱい抱きついてきた。
「姉様!」
不意に抱きつかれて戸惑う王女に、姉と呼ぶ少女。
「ロイ・シルバホーンの子供は、お前だけだと聞いた事があったが……。違うのか」
更に驚いた王女の真横に佇む、涼しい顔のトゥベル。一体、いつからそこに居たのか。
「馬鹿な事を……。 父上の子は、私だけだ!」
隠し子ではないかと疑うトゥベルに、少女を体から引き離して距離を置く王女。
「君は誰? どういうつもり?」
気分を害したのか、眉をひそめる王女。少女は改めて裾を掴むと、挨拶をした。
「私の名前はレイチェル・トラン・レブレアと申します」
「レブレア? まさか、レブレア王の?」
「はい。養女になります」
レブレア王の妻は王女が幼い頃に既に他界しており、それはロイ王と同じ境遇であった。
ロイ王と違って子供を授かる事なく、現在でも亡き妻を忘れていないのか、独り身である。
「それで何故、私を姉だと?」
「父様が王女様も養女になるからと、おっしゃっていましたわ。だから、私の姉様です」
その答えに、王女は深い溜息をついた。トゥベルは面白くなくなったのか、無表情のままだ。
「その事は丁重にお断りしたから、この先も私に姉妹はいない」
困惑するレイチェル。気の早いレブレア王に、少し迷惑そうな王女。
暫くの沈黙が続き、レイチェルは手元の花弁がなくなると、お城の方へ戻って行った。
何度も王女の方を名残惜しそうに振り返りながら。
足下で耐えず流れ続けた花弁は、もう王女の目に映らない。
「良いのか? せっかくの話を……」
トゥベルが心からそう思って話ているのかどうかは、その能面な表情からは読み取る事は出来ない。
「私には、必要のない事だから……」
普段とは違い、強張る王女の顔。
トゥベルから逸らした視線は空をとらえた。
「どうかしたのか?」
暫くして、王女の視線が再び森に止まる。
「いや、誰かに見られていたような……。先程、ウィンフィーユを森で見掛けたが」
見渡す限り、風に揺れる木木の物音以外は静かな森である。
王女とトゥベルがお城の方へ姿が去った時。森の木陰から足音が1つ。
息を殺し、気配を消して2人の様子を窺っていた何者かが、そっと姿を現した。
そして、跡をつけるように石畳を歩いて行く。道程に甲冑の微かな音が響いた。