『ヌーロの遺跡』─11
Part 5
暗闇が一層、深くなった壁際には、彩り豊かな窓が並ぶ。
そこには、どの教会でも見掛ける象徴の神や天使の絵が映えていた。
薄暗いまでにしている内部では、それが輝いて見える。
「それにしても、何だか少し……」
教会の奥から2階へ上がったトアルの背後、王女もついてきた。
不思議な事に、足元の触れる地面だけは透き通る事もなく、自由に歩けたのだ。
佇む部屋で、目の前に座るトアルを前に、どこか不思議な違和感を感じていた。
普段、目にしていた優しく誠実な姿。
それとは別に、側のトアルは凛としていて、どこか近寄り難いのだ。
剣術の教育係りとして王女と共に過ごしたあの頃。
12騎士としての本来の姿は、まだ一度も見た事がなかった。
「ご加護や御祈をお望みでしょうか?」
「いえ。最近、妙な噂がパトロド大陸に広がっていまして、その真意を見極めるために、この島へ訪れました」
「噂、ですか? トアルさん貴方は一体……」
「私は聖円の紋に遣える12騎士の1人です」
少し驚いた様子のマクロフィ。無理もない。
パトロド大陸で聖円の紋の名前や、経緯を知らない者などいないのだから。
12騎士の存在も、人ならざる能力に長けているため、時代を問わずその名を知らしめている。
噂の内容。
それは、島に流行っている病の事であった。
島に立ち寄った旅人が各地で話した末に、広まったのだろうか。
事実、島の人間は亡くなっている。その病が島以外へ絶対に広がらないと確証もないため、聖円の紋が動いたのか?
王女は側でその話に耳を傾けながら、聖円の紋が成すべき役割の話を思い出していた。
幼い頃に沢山聞かされた歴史、その一つ。
成立ちからか他国は勿論、パトロド大陸の全てに干渉を許されている不思議な国の事を。
そして、その権利がいつしか、パトロド大陸の守護を担うまでになったのだという話も。
当時の幼い王女は、それならば聖円の紋が神具を保持すれば良いように思った事もあった。
だが、あくまでも聖円の紋は中立国としているらしい。
一説では、神具に見合う能力の持ち主が昔から受け継がれている血族の果て、王族関係者が大半だからという理由のようだ。
王族を全て聖円の紋に迎え入れていたら、他国は成り立たないだろう。
「キュッ!」
思案に暮れていた王女の肩で、エスフが落ち着きなく王女の顔を覗き込む。
部屋の窓から見えた空には、鳥の姿と羽ばたきが一斉に飛び交う。
カタンと、出された紅茶の入った器が小さな音を立てた。
その物音に反応したトアルが手を伸ばす。次第に辺りからも音が響き、建物自体が激しく揺らぎだした。
その震動に王女は立っていられず、思わずその場に伏せた。
今にも部屋が崩れるのではないかと、王女の視線が這う。
震動は暫くすると弱まり、やがて落ち着いた。床に残った惨事。
落ちて割れてしまった器。溢れた中身。飾られていた花瓶や絵も無惨なものだ。
だが、マクロフィは特に驚いた様子もなく、それらを片付け始めた。
「この島では、地震がよく起こるのですか?」
「……ええ。でも、ご心配には及びません。ここは安全ですから」
先程の揺れに席を立っていたトアルが、マクロフィの行動に疑問を抱くのも仕方がない。
時間そのものは数分程度だが、大変大きな揺れであった。
それにも関わらず、安全とはご加護のある教会だから、という意味だろうか?
平然としているマクロフィに対して、王女はお世辞にも素晴らしく頑丈そうに見えないこの場所が、そんなに安心出来るのだろうかと、疑問が残った。
不意に開いた扉。
シャトンが遅れて部屋に入ってきた。
入るなり、マクロフィには村人が下で待っている事を伝えている。
まだ真昼で、司教の務めもあるのだろう。トアルに用事が出来た事を話すと、そのまま1階へ降りていった。
その後ろに続こうとしたシャトンを、トアルは呼び止めた。
「先程、地震があったと思うが、君も慣れているのかい?」
「地震ですか? そうですね、はい。頻繁にありますが、大丈夫ですよ。やっぱり、この島は初めての方なら驚かれますよね」
少しはにかみながら、笑顔を向けるシャトン。島に訪れたばかりのトアルが不安にならないように。
「それは、いつから始まったのか、詳しくわかるかい?」
「多分、島の病気が流行りだした頃からだと思います」
「そうか、ありがとう。邪魔して悪かった」
いいえ。
と、返事を返したシャトンはマクロフィの元へ向かった。
残された部屋で、再び席に着いたトアル。
何かを考え込む表情。姿が見えない王女も、島について考える。
酷い地震の体験は覚えている限り、ティリシア王国が失われた時以来。
願わくば、あまり起きないでもらいたいものだと、いまだに座り込んだままの王女であった。
元の静けさを取り戻した空を見上げて。