『ヌーロの遺跡』─7
Part 5
ティリシア王国の滅亡時には王だけでなく、民を含め多くの者が亡くなっている。
生存している者は極わずかであるという。
生き残った者は国の変わりに湖となり果てた地を去り、方々へ散って行った。
ティリシア王家や、その1人娘であるティリシア王女に代わり、深く関りあるトアルならと、ランネルセはこの任務を与えた。
王家の代弁者として。だが、その言葉が届いていない様子のウィンフィーユは、忌々しいとばかりに睨み返している。
「ウィンフィーユ。お前の力を狙う者は、これからも多くなるだろう。その力が誤った使い道にならないためにも、聖円の紋へ共に来てもらうぞ」
トアルの構えた両手の中で広がる光の塊が一気に解放され、ウィンフィーユに迫り始める。
周囲を凍らせながら迫る氷の世界を前に、ウィンフィーユの口許が歪んだ。
「アルカクロー」
唱えられた呪文に、再び長く伸びた鋭い爪先は空を切り裂き、広間の床を深く削りながら、トアルの方へと5本の閃光が這う。
周囲を氷の世界へと、創り出していた塊を打ち砕きながら。
「!」
「何度も言わせるな。俺には関係のない事だ」
禍禍しい刃を前に、とっさに唱えた防御壁。半端のまま役割を半減さながら、その衝撃を受け止める。
逃した光の刃が数本トアルの体を刻み、引き裂く痛みと共に体に稲妻が駆け巡った。
反動で広間の壁に押しやられた体は崩れ落る。酷さの増した瓦礫に、再び土煙が周囲に立ち籠めた。
その中から酷く苦しそうな咳だけが木霊する。瓦礫を踏みしめながら近付く気配を感じながら。
「……こんな狭い場所で先程のような魔法を何度も使えば、広間が崩れ落ちて2人共埋もれてしまうぞ?」
手放してしまった剣を徐に拾い上げる。その視線はウィンフィーユを捕えたままに。
灯の弱まった広間に、砂埃の中を不気味に揺れ動く影が映り込んだ。
返事は言葉でなく、先程の魔法であった。
「わからないやつだな……デルフィニウム!」
光の刃が幾重も風のように吹き荒れる。その度にトアルの唱えた氷壁魔法によって、広間の全壊は免れた。
お互いの魔力を相殺しながら攻防が続く。その度に広間だけでなく、遺跡全体が揺れ動くようであった。
「いい加減にしたらどうだ? 王とて、望んではいないだろう」
「……。ならば、あのまま俺を閉じ込めておくんだったな」
「何を言っている? お前を解き放ったのが、王だというのか?」
「これで終りだ……」
ウィンフィーユの手から放たれた魔法は氷壁で遮られたが、崩れ落ちる瞬間を狙い、更に二撃目が襲い掛かった。
剣に魔力を込めて切り崩すトアルに、魔法に隠れたウィンフィーユが爪を立て迫る。
トアルの衣服は鋭く裂け、赤い血が広間に流れ落ちる。そして、崩れた体制に先程の魔法が放たれた。
避けきれない距離に、トアルはあるだけの魔力で自分の身を氷で包み込んだ。
深い闇間に砕けた剣が地に突き刺さる。その先で、うなだれる騎士。
「……」
霞む視界に、遠ざかる背中が映り込んだ。息苦しさと共に何かを絞り出した言葉。
だが、届かないのか、振り返る素振りもないまま、ウィンフィーユは闇に消え入った。
灯りを失った広間のせいか、瞼の重さのためなのか、やがて深い暗闇だけが取り残された。
幻聴か、遠のく意識に王女の呼ぶ声がトアルの耳に届く。
一緒に闇に埋もれる折れた剣が、そんな主を見守っていた。
「トアル様をタリゲス島へ?」
「そういえば、シャトンはあの地の出身者でしたね?」
イブフルー神殿から王女と共に戻ったシャトンは、その見上げられた顔を覗き込んだ。
笑顔を常に絶やさないランネルセに動揺の色を隠せないまま、返事を返した。
側の噴水から流れる水面の音が酷く耳にまとわりつく。
一足先に聖円の紋へ戻っているはずのトアルの姿が見付からず、庭園に居たランネルセを訪ねたシャトン。
次の任務のために離れているのだと知らされたが、その行き先に心当りがあった。
12騎士になる以前に住んでいた場所。そして、トアルと初めて出会った場所である。
「そこなら私の方が詳しく、力になれたと思いますが?」
「そうですね。ですが事は急を用し、トアルに頼みました。今は他の12騎士も離れているため、貴方には違う任務で協力をお願いします」
「しかし……私はまだまだ……」
不意に顔が曇り、口籠るシャトン。その様子にランネルセは噴水の縁から腰を上げた。
「トアルからは貴方を12騎士の1人として、十分に起用するようにと頼まれています。あれから2年が経ち、そろそろ1人で動くのも悪くないでしょう?」
力強く言い切ると、自室へ戻る通路の方へ歩き出すランネルセ。
闇夜に浮かぶ月が、その姿を追う影も映し出していた。
「ですが、やはり……」
どこか不安気に漏れる言葉。トアルの元で一緒に動いていた時の事を思い出す。
「ふふっ……。トアルは元々、2年を目処にお世話を考えていたみたいですよ?」
「?」
「たとえ王女が見付からなくても、と……」
「そんなっ! 私はいつまでもティリシア様の捜索でも、何でもお付き合いするつもりでした!」
「いつまでもは困りますが……、トアルを本当に慕っているようですね?」
「はい!」
直ぐ様返ってきた返事に、思わずランネルセは失笑する。
明日は早いため、体を十分に休めるように伝えると、淡い灯りが漏れる白い建物へ、その姿が消えた。
その後ろ姿を見送りながら、取り残されたシャトンが昔を思い出していた。
今から2年程前の事、まだシャトンが17歳であった頃。小さな島、タリゲス島で産まれ、暮らしていた。
外の世界を海から眺めても、島から出る事はないまま日々を過ごしていたという。
自らの家系、ラーダン家に代々伝わる、とある仕事のために。
物心がつく頃には、流行り病で両親を亡くし、村で唯一の教会に務める司教が親代わりに面倒をみていたという。
シャトンが住んでいた場所は、現在では廃村となっている。
教会もそこに存在していたが、同様に失われていた。
「また、例の流行り病で亡くなったそうよ」
「お気の毒に……。私もいつそうなるかもしれないと思うと、怖いわ」
タリゲス島にある船着き場はただ1つ、シャトンの暮らす村とは反対方向にあった。
いつしか船着き場の周囲で暮らす者も増え、今では村同然である。
シャトンはそこへ買い物のため、訪れていた。村を歩く度に聞こえてくる人々の話。
タリゲス島では老若男女を問わず、死を迎える者が多くなっていた。
原因は不明のまま、誰1人として助かってはいない。
その病は酷い高熱が続き、体中が痛みだして、最後は死に至る。
それは昔からあった事ではなく、突然に起こった事であった。
タリゲス島では、それが既に5年の歳月が流れていた。最近では年間を通して日々の犠牲者が増えている。
他の国と比べるにも、島から出る者も少なく、観光や物資の関係で島を訪れる者から外の様子を聞くしかなかった。
「よそで、そこまで死人が出る病気は聞いた事がないね」
村人が耳にする情報はそんな内容の言葉ばかりである。
幸い、島に暮らす者だけに被害があり、外から訪れる者が死ぬ事はなかった。
だからなのか、村で唯一の教会へ出向いては、加護を祈る者が年々増したという。
司教もその病気に何度か立ち会う機会もあったが、手の施しようもない病気であったという。
「!」
「すまない。大丈夫か?」
不意にシャトンの視界を長身の騎士が遮った。余所見をしていたため、気付かずにぶつかってしまったのだ。
騎士は心配そうに顔を覗き込んだ。前を見て歩いていなかった、すまないと目を伏せて。
「私は大丈夫です。前を見ていなかったのは同じですから」
「君は、この島の人かい?」
「そうですが……、貴方は外の人ですね?」
褐色の腰元まで伸びた長い髪から覗いた瞳は同色で、穏やかに眺めている。
長身だけではなく、島には不釣り合いな騎士の鎧姿に端麗な容姿が、なお浮いているように映り込む。
「初めて見ました」
「……騎士をかい?」
「いえ、女性の騎士姿をです」
「……ご期待に添えなくて残念だが、私は男だよ」
少し不機嫌そうに、深い溜め息混じりに漏れた言葉。シャトンはその言葉に口をつぐんだ。
騎士はトアルと名乗ると、シャトンに村の案内を頼んだ。
何でも、任務のために訪れたという。トアルが行きたい場所、それは教会であった。
用事を済ませた後ならと、快く請け負い、買い物袋を抱えながら元来た村へ引き返して行く。
側を一緒に歩くトアルに初対面でありながら、その容姿や物腰の優しさからか、不思議と警戒心は弱まった。
シャトンも自分の名前を告げると、トアルに何の用かと訪ねた。
だが、その返事が返ってくる事はなかった。
「ここがそうかい?」
「はい。トアルさん、この教会にいらっしゃる司教様を紹介しますね。私が呼んで来ますから」
村で見掛けた丸太造りと違い、教会は古びているが立派な煉瓦造り。
鉄扉の先に消えたシャトンを見送ると、トアルはふと、ある窓に目を止めた。
一瞬だが、誰かの視線をそこから感じた気がして。
ここまでお読み頂きまして、誠にありがとうございました。
資料画、9月にウィンフィーユを更新予定です。
ヽ(^-^)