『ヌーロの遺跡』─6
Part 5
タリゲス島に夜の帳が下りた頃。一室で目覚める者が居た。
「……ここは?」
視界の闇に徐徐に慣れ始め、木の香りを残す丸太に囲まれている事がわかった。
ゆっくりと起こす体。潮の匂いが時折、側の窓辺から吹き込む風と一緒に入り込んで来る。
微かな波音が聞こえる窓辺に目をやった。淡い月明かりが一筋の光となり、直ぐ側の寝所を照らしている。
身を乗り出そうとした時、不意に手元で何か柔らかい感触が伝わった。
視線をその方へ落とすと、人影が映り込んだ。無防備に横たわり、その顔は丁度、トアルの方へ向けられている。
首を隠すかどうかの長さの髪に、しなやかな体が僅かな月明かりに浮かび上がる。
「王……女?」
見慣れた面影に戸惑うトアル。何故、一緒に居るのかと。
手を伸ばして揺り起こそうとしたが、直ぐにその手を引っ込めた。
せっかく穏やかに寝ているその姿を、不必要に妨げたくはなかったからだ。
改めて見渡す部屋。
そして王女の顔。
そっと添えられた手の指先から、銀色の髪が流れ落ちる。
「王女……」
静かに寝入る王女の吐息。触れる側まで近付く顔があった。
その眼差しは、とても穏やかに。これより語るは、今の時間より少し前の事。
「ヌーロ村の遺跡ですか?」
「そうです。タリゲス島は以前も訪れた事がありましたね、トアル?」
白に包まれた一室で対峙する2人。部屋にただ1つの椅子から、見上げられた視線の先にトアルが居た。
その目の前には、大きな蒼い瞳を持つ少年の容姿、ランネルセが微笑んでいた。
「行くのは構いません。ですが、直ぐでないと駄目なのですか? 出来れば、もう暫く王女に同行したいのですが」
「お気持ちは重々承知していますよ。ですが、他に適任者はいないと思いますから」
腰元まで伸びた褐色の長い髪から覗く瞳が、事も無げな言葉に目を伏せる。
暫くして任務を受ける言葉を残し、トアルは立ち去った。
その後ろ姿を眺める続けるランネルセ。パトロド大陸の中心に位置する聖円の紋。
ランネルセはそこで、国を治める存在として、最高神官将という地位に就いている。
任務を下した12騎士が扉の先へ消えた事を確認すると、詫びれた言葉が漏れた。
「私も出来る事なら、貴方には王女の側に居て欲しいと願っていますよ……」
窓から覗く蒼天。
穏やかな流れに乗る雲とは違い、パトロド大陸では急速に不穏な流れが動き出していた。
それに合わせるよう、与えた任務。それは、ヌーロ村の遺跡に居ると思われる神具を連れて来る事であった。
「トアル様、もう行かれるのですか?」
「なるべく早い方が良いのでな。世話になったな」
聖円の紋から遥か彼方の北西に位置する、メカルの港街に立ち寄ったトアル。
港街1番と噂される酒場兼、宿屋ロップの主、マルエルに別れを惜しまれていた。
王女の捜索当時からの長い付き合いで、聖円の紋へ情報を提供してくれる者でもある。
船着き場で見送る姿の中に、主の1人娘であるナルの姿は見られない。
今日は所用で出掛けているのだ。以前も主の娘であるナルに、旅立つ別れを告げる事なく去っている。
遠のく船の中で、ナルの気持ちを知らないトアルが、これから行くべきタリゲス島の方を見据えていた。
タリゲス島へ着いた頃には、数日後に開かれるというルドイシュ国の催し、ルド祭の事を耳にしていた。
不意に王女の顔が浮かんだが、その心配は直ぐに消え去っていく。
好奇心旺盛な王女なら必ず行きたいと言い出しそうな催し。
王女の父親であるロイ王は生前、敢えてその事は伏せていた程だ。
一国の王女に野蛮事は不要との側近達の声も多く。
それ程ルドイシュ国と国交も無いティリシア王国では、関わる事は無かった。
「ちょいと、お待ちよ。そこの美人さん。そう、アンタだよ!」
船着き場から直ぐ側に構える村を過ぎ去ろうとした時、視界に割って入る女性がいた。
足を止めたトアルに掴みかかるよう、立ちはだかる者。驚くトアルとは反対に、軽快な口調が続く。
「私はあそこの店の主だよ。アンタ綺麗だねぇ。観光客かい?」
「いえ。この島へは、所用で訪れました。ヌーロ村の遺跡はご存じですか?」
ヌーロ村の遺跡。
その言葉を聞いた店主は、煩いまでの喋りを止めてしまった。
もう一度訪ねようとしたトアルを遮るよう、口を開く。
「アンタ、何の用だい? あそこは荒れ地で見る所なんて、ありゃしないよ」
「事情は話せませんが、場所を知っているなら教えて貰えませんか?」
「そりゃあ、場所は教えてあげても良いけど、今は魔物が住み着いて危ないんだよ?」
それでも構わないというトアルに恨負けして、渋々その在り所を教えた店主。
礼を言いながら立ち去る姿に、店主は、“もったいないねぇ美人なのに”と、漏らしていた。
タリゲス島を囲むように生い茂る樹木を進んだ先。土中に埋もれた瓦礫を、至る所で見掛けるようになる。
そのヌーロ村の痕跡を辿って行くと、辺りに比べ一際、建物らしい形状を残した土壁が現れた。
更に入り口らしい場所を見付け触れてみると、扉が反転し、中へ入り込めた。
陽の当たらない薄暗い通路を、そのまま進んで行く。左右を囲むようにそびえる遺跡の壁。
唯一の魔力で出来た火が、幾重も行く先を淡く照らしている。
遺跡の中は広く、方向感覚を奪う反転する壁を幾度も通り抜け、少し拓けた広間を過ぎ去り続けた。
その度に出会う仕掛けも含め、目的を遂げるまでさ迷い歩き続ける。
陽の当たらない闇にどれくらいの時間を費やしたのか、やがて螺旋階段のある場所までやって来た。
薄暗い上部を側の火で灯すが、その灯りも途中で途切れて先がよく見えない。
他へ通じる通路も見当たらず、その階段を上る事にした。
人が1人通れるかどうかの幅の石階段。踏みしめる度に靴音が甲高く響き渡る。
揺れる灯りの先は闇。何処まで続くのか、長い道のりに広がるのは静寂のみ。
ただ時折、外と同じ匂いの風が側を吹き抜けて行く。
「……誰か、居るのか?」
眼下の広間が小さく見える程、上った先で何かを感じ、足を止めたトアル。
周囲を手元の灯りが行き交う。だが、依然として深い闇が続くのみ。
気のせいかと、再び歩き出そうとした瞬間。闇の先から何かが迫る気配が強まった。
「オマエは……何者だ?」
「っ!」
声と共に舞い降り、現れた影。その声の主である、金色に輝く縦目の瞳孔からは、殺気がみなぎっている。
答える隙もなく、手元の灯りが広間に叩き落とされ、闇に消え入った。
直ぐ様、視界を奪い始める闇に紛れてトアルの体は傾き、広間に落ちて行く。
目の前には先程の男。力強く掴み掛ったまま離れない。
静寂を破る衝撃。
体が減り込む程、破壊された広間の床。
その中心に仰向けで横たわるトアルが居た。周囲を覆う土埃の中に、間合いを置いた男の姿が浮かび上がる。
「ゴホッ……ゴホッ、手荒い奴だな。お前がウィンフィーユか?」
「……」
体を引き起こし、男の方へ視線を戻す。
がたいの大きい長身は白い衣を纏い、色を持たない短髪から覗く目は険しさを増している。
「私の名前はトアル。聖円の紋に仕える12騎士の1人だ。ランネルセ様からの命で、お前を連れに来た」
「ランネルセ? なら、お断りだな。さっさと……失せな」
ウィンフィーユと呼ばれた男。その手元では、禍禍しい光の塊を作り出している。
話を無理矢理終わらせると、その魔力をトアルへ向けた。勢いを増して迫る塊。
「デルフィニウム」
トアルの右指に填められた青白い魔石を持つ指輪。呪文に応じるよう、その輝きを増した。
辺りは霧のような氷霧が漂い、トアルを守るように、その姿を隠し始める。
閃光と共に広間に衝撃が走る。
直ぐ様、防ぐように氷の壁が立ちはだかり、風圧が広間の壁を剥がしながら、魔力を消し去っていく。
争うには狭い場所。
足元をあっという間に瓦礫で埋もれさせた。
遺跡の中でも唯一灯りが集中し、明るかった場所。今ではお互いの気配を探り合う程、薄暗くなっていた。
身が隠れる程、崩れ落ちた瓦礫の後ろでトアルは辺りに目を凝らす。
腰元から静かに剣を抜き、ゆっくりと瓦礫の前へ出た。
「プトロ」
その瞬間。
木霊する声と共に、光の塊が襲い始める。その度に交して、距離を縮め迫るトアル。
剣先がウィンフィーユを捕えるまでになった。だが、寸前で何かに当たり、交される。
手を払う仕草に鋭い何かが映り込む。トアルはデルフィニウムの呪文を剣に練り込んだ。
氷の刃と化した剣が、それを捕える。長く伸びて、刃のように鋭い爪。
掌と変わらない長さの爪は、剣から漏れる魔力に氷漬けにされ始めていた。
「なる程な。それが武器か」
「フン、くだらぬ」
強引に引き剥がすウィンフィーユ。その爪が砕けた。
痛みは感じないのか、トアルを見据えたまま。やがて手の爪は元通りになっていく。
「ティリシア王国が滅亡してから7年。方々お前を探し、手を尽したが今まで見付からなかった。このヌーロ村の遺跡での所業がなければずっとな……」
「俺には既に関係のない事。人間達の住む世界もな……」
「そうもいかぬ。最後に契りを交したロイ王はお亡くなりになったが、シルバホーン家である王女が戻ったのだからな」
再び構えられたトアルの矛先。王女の名に聞き覚えがあるのか、ウィンフィーユは微かな反応を見せた。