『ヌーロの遺跡』─5
Part 5
「奴とは会えたのか?」
「直ぐに崖下の海に飛び込まれ、行方がわからなくなった。もしかしたら……」
「海へ? なら心配はいらん。逃れただけだろう」
潮の香りを含んだ風が遺跡の荒れ地を吹き抜ける。なびくトゥベルの長い髪。
見上げた視線の先で佇む王女の、その曇りがかった顔を繁繁と眺めていた。
「そう容易く終わる命でもないしな……」
物憂いに視線を伏せながら漏らした言葉。徐に横たわるトアルを肩へ担ぐと、元来た村へと引き返し始めた。
王女と、その肩へ移動していたエスフも後ろをついて行く。
村の灯りが樹木の間より見え始めた頃、空高く汽笛が木霊した。
海沿いから遺跡の側へ戻った時も、遠くから聞こえていた音。
村に入り、急いで港を目指した一行の目に映ったのは、遥か彼方に過ぎ去る船の煙と泡道だけであった。
「間に合わなかったな」
「……船が2隻?」
夕暮れに染まる海に浮かぶ2隻の船影。その様子は次第に遠ざかり、やがて見えなくなった。
「なんだいアンタ達、乗り遅れたのかい?」
不意に背後から聞こえた威勢のいい声。その声に振り向くと、豊かな体を揺らしながら、王女達の前で立ち止まる女性の姿があった。
初めてこの島を訪れた時にも出会った店主である。怪訝な顔をするトゥベルを尻目に、その傍らで項垂れるトアルを見ていた。
「凄い有り様だね。生きているんだろ? 良かったよ。この村は宿屋もないからね、野宿も悪くないが、私の所に来なよ。大した事は出来ないが歓迎するよ」
衣服の破けたトアルを眺めながら、微かな息遣いに安堵した店主は、そう言い終えると村の方へ引き返して行く。
急な話に戸惑う王女。少し進んだ先で立ち止まった店主は、手招きをしては、また歩き出した。
その姿に、トゥベルの怪訝な溜め息を聞きながらも、後をついていく事にした。
夕紅に染まる空も陰が強くなり、やがて闇が訪れた。
「あの船は東専門の積荷船だよ。この島へは寄らず、前を通り過ぎるだけさ」
「東……、レブレア国へですか?」
「そうだよ。私は行った事がないけど、立派な大国なんだってねぇ」
店主の家は店の裏手に建っており、同じく木造の2階建て。その奥へと通された王女達。
店主はテーブルに白い布を敷きながら、客人に用意された紅茶を並べ始める。
側の椅子に座る王女が先程の光景を話すと、店主は観光用の船ではない事を教えた。
遺跡の側で聞こえた汽笛は、どうやら積荷船の方である。
「おや、トアルさんを運び終えたのかい?」
2階に繋がる階段から下りてきたトゥベルは、そのまま王女の側の椅子へ腰掛けた。
まだ意識の戻らないトアルは、2階の寝所へと店主に促され運んでいたのだ。
差し出された紅茶に手を付けるトゥベル。溜め息混じりに、そっけない返事を店主に返した。
「……何処へ行く気だ?」
「少し様子を見てくる」
入れ替わるようにして椅子の物音を残し、2階へ上がって行く王女。
その後ろ姿に、トゥベルの深い溜め息がまた一つ増えた。
「アンタも色々と大変そうだねぇ?」
「それはどういう意味だ?」
「なぁーに、気にしないでおくれ。さて、沢山、何かごちそうをこさえるかね」
高笑いを残し、店主は台所のある更に奥へと姿を消した。
その様子に不機嫌そうに鼻を鳴らすと、再び2階へ繋がる階段へ視線を戻す。
側では、出されたお菓子を美味しそうに頬張るエスフの姿があった。
「トアル……」
一室で、部屋の素材と同じ扉の閉まる物音が響いた。部屋の傍らで横たわるトアル。
その側へ静かに近付く王女。2階にある部屋は4つ。その姿を探す事は容易かった。
夜も更けた薄暗い部屋には、寝所脇にある窓から月明かりが、淡く射し込んでいた。
トアルの顔を深深と覗き込むよう佇む王女。トゥベルの施した魔法のおかげか、少し顔色がよくなっている事に安堵していた。
邪魔にならないよう、空いた場所へ腰を掛けると、優しくその顔を撫でる。
静かな寝息が聞こえるだけで、トアルの反応は無い。
「無事で良かった」
王女の顔が緩む。
トアルの胸に押し当てた耳を通して、力強く脈打つ鼓動を確かめる。
その音を暫く聞いていた王女だったが、閉じた目はそのまま眠りに落ちてしまった。
幼少期頃の王女とトアルの関係、それは身内同然である。
トアルは王から頼まれた剣術の指南だけではなく、外の世界の事も色々と教えていた。
勿論、好奇心旺盛な王女にせがまれた事もあるが。
王女の方はコダルと双子であるその顔に安堵を覚え、傍らで眠る姿もよく見られる程、懐いていた。
異界の門から戻って、きちんと交した会話は宴の時だけである。
それも少しの時間だったと、懐かしむ心が王女にはあった。
意識が遠のいて、暫くしてから部屋に誰かが忍込んだ。2人の眠る寝所に映し出された影。
「飽きれ果てた奴だな。見舞いに来て、そのまま寝つくとは……。還る場所も無くなった今では、そこが気の休める在りかか……」
側の窓を少し開け、外を眺めるトゥベル。入り込む風に腰本の髪がなびく。
正面に構える静かな海と、空に輝く星星。再び王女とトアルへ視線を戻すと、部屋を後にした。
その閉まる扉の音は、どこか不機嫌そうに響いて。
「どうだい? 食事は取れそうかい?」
「今夜はこのまま寝かせてやってくれ。私も遠慮する」
「そうかい。じゃあ、明日に用意するかね。アンタは何処へ行くんだい?」
「私の事なら心配は無用だ。外の方が落ち着くのでな……」
呼び止めも気にせず、トゥベルは外へ出て行った。その足音は、遺跡のある方へ次第に遠ざかって行く。
店主は側に居たエスフの頭を優しく撫でる。お腹は空いているかと訪ねたが、首を横に振る姿に台所へ戻って行った。
その後ろ姿を見送ったエスフは、テーブルの上で丸まると、静かに眠りについた。