『風の大国』─13
Part 4
「まだ港の方には手が回っていないみたい……」
「そうですね。普段と変わりない様子ですが、お気をつけ下さい」
休む事なく駆け抜けたアルジュの森。闇夜に紛れて、港街メカルに入ろうと2人は辺りに身を潜めていた。
陽が傾き、黄砂が紅く染まりだす。
「ティリシア様。本当に私とこのまま聖円の紋へ戻られる気はありませんか?」
「……もう少し。せっかくだから、色々と見て回りたいの」
真っ直ぐ見据える瞳。その王女の変わりない気持ちにシャトンは目を伏せる。
このまま、本当に残して良いのか決めかねるように。共に同行しその身を護衛したいが、もう一度ルドイシュ国へ戻らなければならなかった。
ランネルセから受けた任務。ルドイシュ国にいるという12騎士へ書簡を届けるために。
役目を終えていれば、安全な所まで見送る事も出来るだろうと。
「では、メカルにあるロップという宿屋を一度訪れてみて下さい。そこの主人はトアル様と仲が良くて、きっと何かあれば手助けをしてくれます」
「トアルと? わかった」
「あまり無理はなさらないで下さいね」
「あ、そうだシャトン。シスアとは恋仲なの?」
真顔で問う王女。
その言葉に酷く動揺したシャトンは、顔に熱りが帯ていく。
「ち、違います! シスアさんは私をからかっているだけです。年下だと見境がなく……」
「年下? シスアは19歳で、シャトンと同じ年でしょ?」
「……」
シャトンは暫く言葉を失っていた。シスアの本当の歳はシャトンより5つ上、24だという。
12騎士の役目柄、身分を偽る事もあるのだと語るが。納得したのか、頷き街へと足を向けた。
シャトンがその背中を見送る中、王女は港街に姿を消した。
ルーシェからもロップの話を聞いていた事を思い出しながら。
シャトンの身にまとうマントが風を受け、揺れ動く。その吹き抜ける先に消えた王女を追うように。
港街に背を向けると、再びルドイシュ国を目指して駆け出した。
広大な黄砂の砂漠。闇夜に紛れた人影を探すのは難しく、追手の兵をかいくぐり近付いていく。
「どうかされましたか? イルヴァムール様?」
方々に散る兵達の灯す炎がジュブルの森の闇間に揺らめく。
この森に消えた不審者を追うべく、ワート達も足を踏み入れていた。
この地に住む魔物、ブッドレアに気付かれないよう、その身を樹液の匂いで誤魔化しながら。
時折、けたたましい雄叫びが聞こえ、ワートはその度に身を震わせている。
「……いや、なんでもない」
衣の陰が一層深くなる中、イルヴァムールが辺りを見回していた。立ち止まった足が再び歩み始める。
遠くに揺れる仲間の灯り。生い茂る葉を避けわける物音。
地面を踏みしめる度、足元からは湿った土の匂いがした。
木霊する鳥の鳴き声と羽ばたき。再び、イルヴァムールの足が立ち止まった。
「イルヴァムール様?」
「伏せろ……」
「は? 今、なんと……?」
力強く腕を引き寄せられ、体を地面へ押しつけられる。前屈みに両手をつき、衣服を土で汚したワートが怪訝な顔で見上げた。
イルヴァムールの見上げる先、闇夜に人影が浮かびあがる。吹き抜ける風にアルジュの森の葉が風に舞った。
「あ、あれは!」
闇夜で輝く月明かりに照らされた人影。見慣れた姿。2人の男女が樹木上から見下ろしていた。
「その鍵、おとなしく渡してくれないかな?」
甲高く甘えるように女の声が届く。ワートの怒りを露にした言葉が直ぐ様遮った。
「何を言うか、小娘が!」
「仕方ない。ルーシェ、力尽くで構わないってさ」
「……」
側に立つ男、ルーシェを見上げながらシスアは腰元のパキスタキスを構えた。
2人の影が樹木上からワートへ近付く。その姿に地上の闇色に染まった衣から、光が放たれた。
「ルド」
近付く2人に狙いを定めた風の刃が、枝や葉を切り裂きながらその身に迫る。
「私があの衣の男を相手にしようか?」
「いや……俺が……」
「そう? じゃあ、お願いね」
唱えられた魔法を避けながら、シスアが先に地面へ降り立った。双方対峙するのも間もなく、シスアが大臣へ素早く近付く。
再び唱える魔法の声。それに呼応するよう、続いて降り立ったルーシェの声が木霊した。
「クレイス」
手中に握り締められた白銀の剣から、地面を削るように這いながら現れた白刃の光。その輝きを増しながらワート達に迫る。
風の刃が双方の間で重なり、爆発した。突風と共に、樹木や葉の破片が過ぎていく。
風属性の中でルドは初級魔法に値している。魔力によってその威力も異なるが、相殺した事でイルヴァムールの手が止まった。
衣に隠れてその表情は窺えないが、意外な者を見るように。その間も迫るシスアの槍が大臣へと近付く。
「イルヴァムール様!」
「デュガブ」
地面を這うように現れた紋様にシスアの勢いが止まった。淡く光る緑の紋様。
イルヴァムールを中心に側のワートを含め、囲むような円陣が浮かび上がる。
「この紋様は……古の文字?」
張り詰める空気。
神官将の役目柄、必要とされる魔法の知識。
好んで文献をあさるシスアでも、初めて見る魔法を前に足を止めた。
舞い落ちる葉が紋様に入り込んだ時、更に光を増した紋様から放たれた何かで一瞬で塵となり、その形が失われた。
「風の上位魔法か」
「ルーシェ、どうする?」
爆風により、薙倒された樹木。先程の爆発に気付いた兵達が集まり始め出していた。
灯りの明るさが一層強まり出す。ワートがイルヴァムールの背後に隠れながら、その様子を窺っていた。
「これ以上ここに居ても時間の無駄だな」
「了解」
そんな言葉を残し、再び樹木上に姿を消した。2人を見送るように、ただ眺めているイルヴァムール。
やがて地面の紋様も安全を確認したように消え失せた。
「あの、何故奴らの息の根を止めなかったのです?」
「……」
その返事が返って来る事はなかった。
やがて兵達と共に国へ戻ったワート。王の寝所へ赴き早速、事の次第を伝えた。
その手には、今日の出来事と何か関わりがあるかもしれない書簡を携えて。
「そうか、イルヴァムールめ……」
「ルベナ様、それはそうと、いつご訪問なさいますか?」
「何がだ?」
真っ白な布におおわれた寝所に深く腰掛けるルベナ。その手に広げた書簡へ目を通しながら怪訝な声がした。
不機嫌で、その殺気立つルベナを恐れるよう、汗を掻きながら言葉を慎重に選ぶ。
「いえ、ですからフィラモ神聖国へは、いつご訪問されますか?」
手に握り締める書簡はフィラモ神聖国からの物であった。
ルド祭が始まる前に届いていたが、事が落ち着くまでルベナには渡さずにいたのだ。
その内容は何か話があり、フィラモ神聖国へ足を運ぶようにと記されていた。
フィラモ神聖国とは先代から交友関係をそれなりに持つルドイシュ国。そうそう断るわけにはいかない。
「用があるなら、フィラモ神聖国の方から来るのが礼儀であろう? 捨て置け」
「は、ですが……」
「もう用はない。お前も休め」
「はぁ……」
睨むルベナに急かされるよう寝所をあとにしたワート。聞こえない場所まで離れると、深い溜め息を漏らした。
国交もそれなりに大事であるが、現在のルベナは若さもあり、昔とは違う形で政治を行う。
その代わりにワートが赴く事が大半であった。だが今回はルベナの言う通り、書簡で返事をしたためる事を決めた。
後にこの事が、新たに迎えたフィラモ神聖国の王と亀裂を生んでいく事になるのだが。
「確か、この辺りのはずだが……」
アルジュの森に人影が浮かび上がる。背にした大剣に填め込まれた紅い魔石が、月明かりを反射し輝く。
「何者だ!」
歩く先、何者か人影が見えた気がした。道なき道を塞ぐ葉を掻き分け、その場所へ近付く。
少し拓けた場所の巨木まで来た時、聞き慣れた人をからかうような声がした。
「なんだ、まだ居たのか? ティリシアと一緒に行かなかったのか」
「ルーシェ!」
見上げた巨木の枝に佇むルーシェ。シャトンを見下ろし、怪訝な顔をしていた。
「シャトンちゃんは私を追い掛けて来てくれたのよね?」
巨木の幹、背後から現れたシスアが駆け寄り抱きついた。引き離そうとするシャトンの背に手を回しながら。
助け船を今度は出す気はないのか、ルーシェは含み笑いを漏らすと、巨木の幹を背にして座り込んだ。
アルジュの森から見上げる先、青白く輝く星々を眺めながら。
「私はまだルドイシュ国の用事が残っていて、戻っただけです」
「用事? もしかして、ランネルセからの? どんな内容?」
「それは……」
12騎士同士でも、お互いの任務には干渉せず、秘密裏に行われる事が多い。
少し躊躇いを見せたシャトンだが、情報を得るために正直に話す事にした。
ランネルセから預かった書簡の銀筒を見せながら。
「そういえば、シスアさんはルドイシュ国へ派遣される事が多いですよね? ブラフィールという者を知りませんか?」
ランネルセより書簡を渡す相手、12騎士の1人だと話す。
この者に面識のない自分には探し出すのも、更に警戒が強くなったルドイシュ国では容易ではないと。
何故か呆気に取られたシスアが、シャトンへ抱きつく事を止めた。そしてお腹を抱え、笑い始めた。
その様子を困惑して眺めるシャトンに、いつの間にか側に降り立ったルーシェが、手を差し伸ばしていた。
「……何だその手は?」
「その書簡、貰ってやるから早く渡せ」
「だから、何故貴様に渡さねばならんのだ!」
ぶっきらぼうな物言いと態度のルーシェに、怒りに満ちた大声が静寂を掻き消す。
「何故ってシャトンちゃん、その書簡はルーシェに宛てられた物だからよ」
笑いを堪え切れないシスアの声。その言葉の意味に気付くのに、そう時間も要さなかった。
硬直したシャトンから書簡を取り上げたルーシェ。その内容に目を通し始める。
12騎士の中でも長年、聖円の紋すら戻り、顔を見せる事のない者の話があった。
まだ12騎士になってから2年足らず。常にトアルと共に行動していた新米のシャトンでは、面識がなくて当然の事。
目の前に佇む、くえない放浪の先輩12騎士、ブラフィール。
ルーシェ・ブラフィールに動揺を隠せないシャトンであった。
側ではいつまでも止む事のないシスアの高笑いが木霊した。
次話で「風の大国」は完結します。ここまで読んで頂きまして、ありがとうございました。(^-^)