『風の大国』─4
Part 4
「う……ん……エスフ、止め……」
わらを敷いた上に木の板を組み込んだ寝所。洗い立ての白い布が硬さをおさえている。王女はルーシェが手配した宿屋にいた。
街中を探し回り、ルーシェを見付けた時、辺りはすでに暗くなりだした頃。王女が疲れているのを察したルーシェは行きつけの宿屋へと訪れた。
ルーシェが今迄、何処にいたのか問うたが気の抜けた返事をし、言葉を濁すばかり。
呆れた王女は早々に寝所へ入った。今までいた場所から考えると、お世辞にも居心地が良いとは言い難い宿屋。
簡素な造りの部屋には寝所と外窓が1つ。窓から差し込む月明かりを最後に、寝所に体を横たえ目を閉じた。
追われるように各地を行き来した王女の身は重く動かない。エスフも側で丸まり寝つく。夜明けと共に街に明かりがいきわたり、人々の声が聞えだした頃。
目覚めたエスフは、いまだ眠る王女の顔を覗き込むと舐めだした。それが王女の眠りの妨げとなり、現実へ誘う。
まだ寝たりないとばかりに手で払いのけるが、エスフは止めない。根負けした王女は寝所から抜けだした。
窓を開くと、早朝の澄んだ匂いが風に乗り辺りに充満する。ふと、地に目をやると黒い影が通り過ぎていく。
その影を追うように視線を空へやると、飛竜が見えた。ゆっくり旋回しながら街の外れ辺りへ、その姿が消えていく。
「あれは飛竜? こんな時間に珍しい」
既に飛竜が見えなくなった空を、いつまでも眺める王女。街をおおう朝霧は徐徐に晴れだし始めていた。
そんな頃、佇む王女の背後、扉から何者かが訪ねる音が部屋に響き渡った。
「誰?」
「俺だ、ルーシェだ。起きているか?」
聞き慣れた声。
王女はその声の持ち主である扉向こうに待つルーシェに会うため、簡単に身支度を済ませ、扉を開いた。
廊下前に居るはずのルーシェ、その姿が見当たらず身を乗り出し辺りに目を配らせる。少し離れた位置で壁に背をつけ、腕を組み待つルーシェの姿が映り込んだ。
「おはよう」
「ああ、よく眠れたか? 朝食は下の主人に頼めば何でも出してくれる。俺はまだ用事があるから暫くこの国にいるが、アンタはどうするんだ?」
「私は……」
まだルド祭に出る事を伝えていない王女。明後日まで、この街にいなくてはならない。
普段から気だるそうにするルーシェだが、その反面謎も多い。一体、何者なのか王女は気になっている。その問いに答えようとした時、ルーシェの言葉が先に遮った。
「ここから港のある街まで、そう遠くない。朝食を済ませたら向かうといい。そこにロップという宿屋と、酒場を兼用した場所がある。そこの主人を訪ねるんだな。俺の名前と事情を話せば、アンタの行きたい場所まで船を手配してくれるから」
ルーシェは、そのまま“じゃあな”と言い残すと王女の前から立ち去っていく。王女は慌てて跡を追い、階段の側へ駆け寄ったが、ルーシェの姿はすでに見当たらなかった。
「……まぁ、いいか」
たとえ成り行きとはいえ、短い間でも共に過ごした仲。きちんとお礼を言いたいのが心残りであるが、王女はルド祭が終わればルーシェから聞いた港街へ行くつもりだ。皆が待つ、聖円の紋へ戻るために。
別れが少し早まったのだと言い聞かせる。昨日はあまりにも疲れ、何も喉を通さず寝ついていた王女。大きなお腹の鳴る音が1つ、辺りに鳴り響いた。
「あっ……」
その音に少し頬を赤らめる王女。宿屋の主人の元へと足を運んだ。ルーシェの言う通り主人は嫌な顔一つ見せず、王女の座る席へ隙間なく豪快に料理を並べていく。
あまりの量に戸惑う王女。主人はルドイシュ国ではこんなものだと王女の肩を一叩きした。食べきれない時は残しても構わないと。
王女の事情をある程度ルーシェから聞いているのか、国を離れる時にはルドイシュ国にある教会を訪ねるようにと勧め、自分の居場所へ戻って行く。
旅の祈り、薬など色々揃う教会。まだ、まばらに席につく人々を眺めながら、王女は一度、教会へ訪れる事を決めた。早朝、見掛けた飛竜も気になるために。
「シャトンさん、お疲れではないですか? 粗末なものですが寝所をご用意しますよ?」
「いえ。私の事は構わずに。それより司教様、この地に赴いている12騎士の行方をご存じありませんか?」
黄砂混じりの石畳を進む人影。ランネルセの命を受け飛竜に乗り、ルドイシュ国へ着いたのは先程の事。早馬でも気の遠くなる距離を、休まず飛び続けてきた。
行く手を岩肌や砂漠で阻まれる地上と違い、何もない空では簡単に進む事が出来る。ましてや、イブフルー神殿きっての飛竜ともなれば。
領土を侵さないよう細心の注意を払い、フィラモ神聖国を抜けてきた。12騎士は人並み以上の資質を問われるため、飛竜の上で少し仮眠を取るだけでも十分魔力の温存は可能である。
若さも手伝い、シャトンの顔色には疲れが見えない。シャトンを案内する司教も、その様子を悟り笑顔を見せて足を進めた。
「12騎士のお1人なら、行方を知っていますよ。今日は丁度、こちらへ来られますから」
「本当ですか?」
「はい」
シャトンは教会の進んだ先、中庭に通された。暫く待っていれば12騎士の1人が、ここに来ると言うために。
見上げる空は晴天。
シャトンは立ち去る司教を見送りながら、腰本に抱えた銀の筒へ手をやった。何が書かれているのかは内密のため、シャトンすら開く事は許されていない。
「……しかし、いつ通るんだ?」
何分、何十分と過ぎた頃、シャトンは怪訝な顔をしていた。司教から“いずれ通る”とは聞いたものの、12騎士らしい人影は見当たらない。祈りを捧げる民衆が時々、通りかかるのみ。
そんなシャトン、辺りをうろつく姿に好奇の目が注がれる。ルドイシュ国とは明らかに違う風体も含め、目立つために。
特に女性が通ると、一層その声も強まる。“素敵ね”“何歳くらいかしら”“可愛いわ”など。その度にシャトンの頬は少し赤みがかり染まっていく。
深い溜め息と共に付近の花壇のへりへ腰を下ろす。早く12騎士に会い、その安否を確かめねばならないため、会えない苛立ちが募る。
ルドイシュ国へ任務に当たっている者、1人の名前は聞いているが、その名前に面識はない。普段から女性と接する機会が少なく、どちらかといえば、女性は苦手意識が強い。
だが、目を配らせる。見過ごさないようにと。
「……?」
不意に背後から強い気配を感じたシャトン。辺りを囲む樹木の葉に隠れていて、その姿が確かめられない。ゆっくり視線を動かしながら、振り向く。
辺りの葉が揺れ動いた瞬間、シャトンはその者に素早く掴みかかった。足がもつれるように後退り、何者かはシャトンに追いやられ尻餅をつき、木の幹に身を押し付けられた。
「い、痛いよ……シャトン」
「! ティリシア様?」
両腕を掴まれた王女。辺りに葉が散る中、見上げる顔に驚くシャトンが映り込む。慌てて、シャトンは掴む手を放す。
「何故ここに? いえ、よくご無事で! ルドイシュ国へ逃れていたのですか」
戸惑う表情を向けられた王女は、溜め息混じりに口を開いた。宿屋をあとにした王女は早速、教会へ訪れた。
そこで見慣れた者を見掛け、確かめにきたのだと。それがシャトンである。2人が中庭の真ん中に再び姿を現した時、教会の通路で悲鳴にも似た声が聞こえてきた。
その声の方に振り向く2人。見知った顔に王女は驚き、シャトンは何故か青ざめている。
「シャトンちゃん? シャトンちゃんじゃない!」
甲高く、甘えるような女の声が教会の静寂を打ち消していく。