『神具』─9
Part 3
パトロド大陸の北に位置するイブフルー神殿。そこから、南下を続けて極寒の地を無事抜け出た一行。
向かう時と同じく、街道沿いにある町へ立ち寄り、体を休める事となった。
交易の関係で、様々な商いが盛んに出入りするラッカルの町へと。
辿り着いた時には昼をとうに過ぎており、聖円の紋へは翌朝向かう事になった。
トアルだけは報告も兼ねて先に聖円の紋へ向かうために、休む事なく1人馬を走らせ、離れていった。
大通りに面した2階建ての建物。太い丸太で組まれた木造建て。
古めかしい感じがする宿屋に、残った王女達は居る。
「トゥベル、部屋を凍らせるのは止めてもらえないか?」
「……何だ? 駄目なのか?」
色褪せた木目色の床に佇むシャトン。
部屋に入ると、トゥベルが直ぐ様、元の通りの姿に戻り、部屋を凍らせ始めたのを目にした。
イブフルー神殿で出会った場所と同じく、凍りついた部屋では、冷気が漂い始める。
対峙するように、怪訝な顔を向けるシャトン。
「部屋が凍れば周囲も気付く。とにかく、元に戻して下さい!」
その行為に飽きれながら伝えると、シャトンはトゥベルの部屋をあとにした。
大きな物音を残して閉まる扉に、トゥベルは部屋を凍らせる事を諦め、魔力を抑えた。
「凍らせた方が、私は過ごしやすいのだがな……」
トゥベルの呟きが聞こえたのかは解らないが、シャトンは閉めた扉を背に、1人、廊下で佇んでいた。
泊まる部屋は全て2階になっていて、階段を真ん中に左右部屋が並んでいる。
皆、それぞれの個室で過ごしている。シャトンも自室へ足を向けた。
窓も無く、日差しも入らない廊下に吊り下げられたランプ。薄暗い足元を照らしている。
「シャトンさん! まだ夜まで時間があるし、町を見てきても良いでしょ?」
突如、背後より掛けられた声。その声のする方へ振り向くと、幼さの残る12から15歳程の少年が佇んでいた。
柔らかな褐色の髪と同じ色の大きな瞳。上下、短目の衣類に身を包み、その穴から出された素肌が健康的に映り込む。
「エスフ? その姿は?」
普段は褐色の魔物として行動を共にするエスフは、人間に化ける事が出来た。
トアルとシャトンは王女の捜索時に、人間になっていたエスフと出会っている。
ジュブルの森で王女を守るためとはいえ、最後には魔力を全て使い果たし、倒れていた。
「イブフルー神殿へ行ったら魔力が戻って、この通りなんだ」
両手を広げながら、体を軽やかに回転させ、人間になれた事を嬉しそうに微笑む。
そんなエスフを眺めていたシャトンは、慌てて肩を掴んだ。
「エスフ、ティリシア様にその姿で会ったのか?」
「え? まだだよ?」
その返事に、シャトンは心から安堵の溜め息を溢した。再びエスフの顔を覗き込む。
「そうか。ならば今後、ティリシア様や他の者には、その姿が本当は魔物であるエスフ自身だという事を、悟られないようにな」
「何で?」
何処か落ち着かない様子のシャトンを、不思議そうに眺める。
シャトンは魔物であるエスフが聖円の紋へ来る事や、自分達と行動を共にする事をあまり快くは思っていない。
そればかりか、王女がエスフを肩に乗せて歩く程、気に入るとは考えていなかった。
これ以上の問題を避けるべく、エスフの人間に化けた姿は隠したいと考えていた。
トアルから心配ないと言われているが、やはりいまだに怪しさを隠せないでいる。
「シャトン、ここに居たのか。エスフの姿が見当たらないが、知らないか?」
やりとりをする2人の背後より、聞き慣れた声がした。王女である。
シャトンはエスフを隠すように、身に纏った白地のマント後ろへ、追いやった。
王女はその慌てた様子を見過ごさず、背後に隠された何かを確かめるよう、覗き込んだ。
そんな王女の視線を別の方へ向けようと、シャトンも合わせて動く。
だが、白地のマント背後より覗かせた顔が、王女の目に止まってしまった。
「何? その子は?」
その声に反応するように、王女より幼さある少年がシャトンの体を押し退けて姿を現した。
「僕はエスフだよ。王女」
その言葉の続きを遮るように、慌ててエスフの口を塞ぐシャトン。
身動きが出来ないように、首へ片腕を回して。そんなシャトンからエスフは逃れようともがいている。
2人の様子を戯れているように見えたのか、特に怪しむ事のない王女。
「エスフ? その名前……よくあるのだな。私の仲間にもエスフという魔物がいる。可愛い褐色の毛に包まれた小さな姿だ。君はシャトンの知り合い?」
意外と鈍い王女の反応に、心中で胸を撫で下ろすシャトン。
その少し力が緩んだ瞬間を逃さず、エスフはシャトンから離れ、王女の手を掴むと駆け出した。
「シャトンさん、王女と一緒に外を見てくるね」
「な、何を!」
シャトンが怒鳴るより先に、2人は木造の軋む音を残しながら階段を下りていく。
1階は酒場と食事処を兼用しているため、朝早くからでも他の客で溢れている。昼時になれば、一層その数が増す。
直ぐ様、シャトンも追うべく、階段の手摺に手を掛ける。
だが、2人は既に人込みへ紛れており、その姿を見失ってしまった。
「エスフめ! ティリシア様を連れ出すとは……」
言葉と共に深い溜め息を漏らす。暫く考え込んだシャトンの足は、自室へと向かった。
ラッカルの町は商いで賑わうために、聖円の紋から騎士が治安を守るため派遣されている。
特に大きな問題が起きる事は無いだろうと考えたのだ。
日が暮れるまで、シャトンは休む事なく歩いた旅の疲れを癒すため、2人を追う事はしなかった。
「はぁ、ちょ、ちょっとエスフ! 何処に行くつもり?」
手を掴んだままのエスフは、黄砂混じりの土を踏みしめて、人の行き交う大通りを駆け抜けていく。
半、引っ張られるようにして、その後ろにいる王女。
自分より背の低いエスフを眺めながら、疲れ始めたのか、息が荒くなっていた。
「僕、この町は初めてだから、色々と見て回るつもりだよ?」
丁度、大陸と結ぶ通り道。十字路の広場の噴水前まで来た時。エスフは立ち止まり、王女の方へ振り向いた。
純粋に大きな瞳を輝かせるエスフに、何故だか心が和む王女。
思えば異界の門より戻ってから、息をつく事も無かったために。
「では、私が案内する。この町はそれなりに来ていたし、私も色々と見て回りたいから」
辺りを見渡しながら、一度はイブフルー神殿へ行くためだけに通り過ぎた町並みを、懐かしんでいる。
「本当? 有り難う王女!」
エスフは嬉しさのためか両手を広げ、王女の体に抱きついてきた。
その行為に戸惑いながらも王女は受け入れ、頭を撫でる。
兄弟がいればこんなものかもしれない。と、無邪気なエスフに顔が緩んだ。
「でも、エスフ。私の名前はティリシアで良い。“王女”では人目もあるから」
「うん。解ったよ、ティリシア」
見上げるエスフの瞳には、王女の微笑みが映り込んだ。
2人は交易の通り道として様々な物で溢れるお店を訪ね歩いた。
古い文献や魔具を扱うリザルマリーの店、食べ物など。
いつしか人が途切れる裏道に差し掛かった時、空は茜色に染まりだし、小さな輝く星が幾つも並んでいた。
宿に居るシャトンも、そろそろ心配し始める頃と思い、王女はエスフと共に元来た道を引き返す事にした。
曲がり角に差し掛かった時、音もなく忍び寄る人影が王女の背後へと迫っていた。
「動くな。ティリシア王女、こんな所で騎士も連れず出歩くとは、危険だな」
耳元で囁く声と共に、白銀の輝く短剣が一瞬で王女の喉元に突き付けられた。
剣を握る掌は大きく、自分の頭上から響く低い声は男であるのを王女は理解する。
自分の名前を知る何者か、そんな考えを巡らせて佇む。
だが、王女は素早く身を屈めた。首元に回された腕をすり抜け、片肘を男の腹部に勢いよく打ち込んだ。
唸る声を漏らす男。
その怯んだ隙をつき、短剣を掴む男の手をひねりあげると、顔へ足蹴りを入れる。
鈍い物音と共に、反動で少し浮いた男の体。そのまま仰け反り、地面へと崩れ落ちていく。
砂埃が舞い上がる中。王女の背後では、前を歩いていたエスフが気付いて、その光景を眺めていた。
「何者か!」
辺りに落ち着き払った声が響く。昔から1人、城を抜け出す事が多かった王女。
町でのいさかい事などに出会う機会も多々あった。その度に、護身術や剣技を使っている。
「ま、待て! わしじゃ! 相変わらずなお転婆振りじゃの……」
男は強く蹴られた痛む顔を摩りながら、頭から全身に纏った褐色の衣を脱ぐ。
そこから姿を現したのは、身なりの良い真紅と黒の衣。
端整な顔立ちと、後ろにまとめた艶ある黒髪が映える、風体の良い男であった。
王女は、その見覚えある容姿に目を丸くしている。
ラッカルの町より東南へ進むと、カナルデの書に記されている6つ大国の1つ、レブレア国が存在する。
その大国を治める人物であるために。
「レブレア王?」
「久しいの。ティリシア王女」
動揺の色を隠せない王女。その顔を見上げながら、レブレア王と言われた男は大口を開け笑っている。
その背後では、王を気遣う家臣とおぼしき者が王女に頭を下げていた。
新たなキャラ画を4枚アップしています。また次話にも何か用意したいと思います。
最近はペースが守れているようで、このままの調子なら後、数話の更新で第3部は完結します。夏頃になります。
それでは、ここまで読んで頂き有り難うございました。