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鷹の妻  作者: Rin
9/12

第九話 正室対側室

今回は自殺に関する不適切な表現があります。

苦手な方や不快に思われる方は他の話をご覧ください。

第九話 正室対側室

 お市は無性にすずに嫉妬していた。

 すずは長政が願って妻に迎えた女子で、しかも十年以上も昔から互いに知っているらしい。

「私は政略結婚なのに……!」

 市は政略結婚だから、愛も恋もなく押し付けられた結婚だ。

 長政は優しく、夫婦仲も良好だから結果オーライ…であったのだが…。

「すず様が嫁いできてからは私と茶々に見向きもしてくれなくなった。私の方が断然顔も身体も良いのに。いっそすず様なんか……」

「お市様、正室が側室なんかに嫉妬するのはよろしくありませんよ」

 お市の侍女が注意する。

「あら、でも私の兄のことを忘れたの?兄は織田信長…『尾張(おわり)のおおうつけ』よ?うつけの妹はうつけ。理にかなってるでしょ?」

 ちなみに『うつけ』とは、馬鹿者、道理から外れた者を意味する。

「すず様には身の程をわきまえていただかなくては…。」

 お市は冷ややかな笑みを顔に浮かべた。


 ◆


 嫁いできて三月は経ったすずは浅井家での生活にも慣れ、自分の周りの家事をし始めていた頃であった。

 すずは仰天した。

 突然部屋にお市が押しかけてきたのである。

「あ…お市様……なにか、御用でしょうか……?」

 すずはお団子結びをし、たすきで袖を上げてまるで侍女のようである。

 お市は無言で距離を詰める。

 すずも詰められた距離分後ずさる。

「あ……あのぅ……?」

「すず様。あなたのその侍女……いいえ、下女のようなみすぼらしい格好は殿の妻だとは思えません。うなじをさらけ出して、男でも誘っているのですか?もっと清潔な身なりをするように」

「あ……え……でも……」

「身の回りのことは侍女に任せておくこと。姫の基本です。まぁ、田舎娘のようなあなたは慣れることはないでしょうけど」

 ふふっ、と冷笑を浮かべお市は去っていく。

 すずはお市の言葉を反芻していた。

「身の回りのことは侍女に任せるって……?」

 そんなのできない、とすずは思う。

 なぜならすずの周りには男性しかいなかったから。

 すずの母は高齢出産であったため、すずを産んですぐに亡くなった。

 兄弟も男のみ、親戚も男だらけ。

 侍女はというと、持とうとしなかった生前のすずの母の意思を受け継ぎ、すず自身も実家では自らの手で家事を行っていた。

 侍女を持ったのは嫁ぐ直前。

 人に任せられるのは得意であるものの、人に任せることは不得意。

 どうするべきか…。


 ◆


 次の日もお市が部屋に押しかけてきた。

 その次の日も、そのまた次の日も。

 その度に「今日の朝飯の味が薄い」とか「掃除は侍女に任せろ」とか文句を言ってくる。

 終いには「着物の色が派手すぎる」とか「身長が低い」とか、妻に関することではなくなった。

 これは嫌味……。

 長政に訴えてやりたかったが、そんな時に限って彼の仕事が忙しくなり、構ってもらえそうにない。

 お市の気持ちもわからなくはないのだが……。


 ◆

 

 すずは一人で苦しみを溜め込んでいた。

 侍女たちに相談すれば「お市様がごもっとも」と言われそうだし、岡崎(実家)に手紙を送っても何かしてくれるというわけでもなさそうだし、長政は多忙で来れないだろうし。


 満月の灯りのもと、すずは叔父が打った刀を持って、小谷山を降りた。

 夜に静まる城下町を抜け、辿り着いたのは静かな琵琶湖の湖畔。

 夜の冷たいような温かいような柔らかい風が吹きつける。

「……叔父様。刀を使う時が来たみたい」

 鞘に入った刀をまじまじと見つめる。

 刀は本来突くものでなく、引いて切るものだ。

 包丁やノコギリはこの特性を活かした道具だと言える。

 一番辛くない死に方は太い血管が通る首や手首などを切ること。

 これでも多少痛みは伴うが、体を突き刺して死ぬよりはまだマシである。

 さっすが刀匠の姪、よく知っている、と自画自賛する。

「まあ十年鍛冶場に顔を出してりゃ当たり前だよな〜……いや、時間が勿体無い」

 刀を鞘から引き抜く。

 叔父・則實が打った刀は、本当に見事としか言いようがない。

 刃文、刀身の反り、適度な長さ。

 さらに私に合わせて軽量化してくれた。

「さすが叔父上……でももうすぐさよならだね」

 小袖(こそで)を脱ぎ、襦袢(じゅばん)(下着)姿になる。

 琵琶湖の潮風を感じながら、すずは思った。

「お市様に虐められて苦しむくらいなら、この世を捨てた方がマシだ」と。

 月光に反射して光る刀を首に当てる。

 首を斬ろうとした、その時。

「すず!何をやっている!」

「と……殿…!?」

 後ろから声がして、驚いて振り返る。

「こんなものは持ってはいけない。さあ、城に戻ろう」

 長政は刀を取り上げ、すずの手を引く。

「嫌です!城に戻るのは……」

「なぜだ!理由を話せ」

 強い剣幕で長政に怒鳴りつけられたすずは、拍子で涙が溢れる。

「お市…様に……嫌味、とか……散々言われて……辛くて……」

 胸の内をしゃくりあげた。

「なぜ俺に話さなかった?市への注意ならするのだが」

「……最近殿は忙しそうで。ここ数日は顔も見せてくれなかったし」

 長政は気づいた。

 ここ最近、すずはおろかお市にすら構えてやれていないことを。

 その後長政は泣きじゃくるすずをおぶって城へ戻り、お市に注意をした後、すずにも人に頼れば良い、嫌味なんて気にするなと教えてやって、この一件は解決した。

 もっともすずは、市が不機嫌になったのを見逃さなかったが。

実際、正室が側室に嫉妬する事例はよくあったそうです。

というのも、側室は夫が気に入って連れてきた女だから。

ただ、正室は嫉妬しても感情を表に出してはいけません。

心の中で耐えなければなりませんでした。

市のように、嫌がらせをしたりするのはかなり異例です。

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