第五話 どうしてくれる長政
第五話 どうしてくれる長政
夢から覚め、すずは身を起こす。
――そうだ、私、浅井家にお嫁に来たんだ。
隣をふと見ると、夫となったばかりの長政が横たわっていた。
彼はまだ夢の中らしい。
すずは夫を起こさないようにそっと褥(布団)を出、顔を洗って身支度を整えた。
まだ如月。寒い。
嫁ぐ前までは家族にご飯を作ったりなんかもしていたが、この屋敷の構造がまだわからないため今日は特に何もすることがない。
黙って夫の寝顔を見ることにした。
――綺麗。こんなに綺麗な人が私の夫なんだ…。
整った鼻筋、伏せられた目、形の綺麗な唇。
淡い月明かりに照らしだされる夫の美貌に、少し意地悪をしてみたくなった。
夫の顔に手を伸ばす。
――よし、起きる気配はないな。
その瞬間。
「ん……」
「うわっ!?」
長政が起きたのである。
「ん……ああ、すずか。おはよう」
長政はあくびをしながら家族の一員となった少女の名を呼んだ。
すずは悪戯に失敗したことと、名前を呼んでもらったことで恥ずかしくなり、顔が赤く染まる。
「ははっ、すずは可愛いなぁ」
「……可愛くないし」
長政がすずの左頬に手を伸ばしたのに対し、すずは反射的に反対側に顔を背ける。
長政は少し驚いた様子だったが、「この頃の女子は複雑だ、無理もない」と深入りはしないでくれた。
◆
「今日は我が正室の市と対面することになってあるからな」
「はい」
どんなお方なんだろう、とすずは思う。
長政にはすずの他に正室がいた。
その正室というのが、織田信長の妹・お市。
ちなみに正室とは、主に政略結婚で結ばれた妻のことで、妻の中では最上格である。
主な役割は跡継ぎを産むことや、夫の政務を支えること。
さらに場合によっては嫁ぎ先・夫の監視をすることもあるという。
反対に側室という身分も存在する(すずはこれである)。
側室は正室と異なり、夫が気に入った女子であれば身分問わず自分のもとにおける。
側室は厳密にいうと妻ではないのだが、この時代においては妻の待遇を受けることがほとんどだ。
長政の後について行き、お市のいる部屋へと向かう。
「市、おはよう。昨日嫁いできた側室を紹介したいのだが」
長政が声をかける。
「どうぞ、お入りになって」
中から可愛らしいような声が聞こえた。
すずは恐る恐る「失礼しまぁす…」と呟き、お市の部屋に入る。
市は布団から身を起こして座っていた。
なんで起き上がらないんだろう、とすずは思った。
だがそんなことも忘れるくらい彼女は美しかった。
大きく潤んだ瞳、長いまつ毛、淡い紅色の頬、整った形の唇。白い肌と黒髪の美しいコントラスト。ふっくらとした豊かな胸。
こんな人が城下町にいたなら、誰もが二度見はするであろう。
「あなたがすず様ね。殿からお話は聞いております」
「あっ…はい。お市…様ですね。末永くお世話になります」
すずは三つ指をついて腰を折る。
「こちらこそ。よろしくお願いしますね……すず様」
お市はにこやかに微笑んだ。
だがしかし一瞬で鋭い目つきに変わり、すずの名前を呼んだ。
明らかに声のトーンも下がった。
――え、怖ーーーー正妻様怖ーーーー
お市に睨みつけられて、すずの小さな身体全体にぞくぞくとした恐怖が走る。
すずが女の恐ろしさを知った瞬間であった。
◆
長政の計らいもあり、なんとかコミュニケーションは取れたものの、すずはお市とはあまり関わりたくないなと思った。
そこにさらに地雷が投下される。
「茶々をこちらに」
――茶々?誰?
長政が呼んだ名前をすずは反芻する。
しばらくして乳飲み子が侍女に抱かれてやってきた。
「先月生まれた娘、茶々だ」
長政が紹介してくれた。
まだ首も座っていない赤子がこちらを見ている。
それはそれで可愛いのだが、すずは市が起き上がれない理由を察し、内心大焦りする。
――二人の子どもってことだよね!?茶々様って。
てことはお市様は命懸けで姫君をお産みになられて、やっと安心しつつあった頃合いで見知らぬ女が夫のものになったって考えると相当まずくないか、これ!?
市の心境を察したすずは、出て行く時に挨拶だけしてそそくさと自分の部屋に戻った。
すずが退出したあと、すぐに長政もお市の部屋を出た。
◆
「すず様、ね」
市は布団の上ですずを回想した。
「嫁入り道具に刀持ってきた姫って聞いたから、どんな豪傑な女子かと思ったら。あんなに小柄で華奢で。刀も振れそうにないじゃない」
お市はすずを嘲笑うと同時に、羨ましくなった。
「あんなに若くて可愛らしくて…何より殿が欲しがられたなんて…。存在が不愉快だわ」
お市の部屋の火鉢の火がパチッと音を立てて燃えた。
浅井長政の正妻、お市の方。
高校の資料集には肖像画とともに必ず出てきます。
そんな彼女は戦国一の美女とも呼ばれていますが、実はまだまだ不明な点も多く存在します。
そんなミステリアスな部分も現代の我々を虜にする彼女の魔性なのかもしれませんね。




