表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
鷹の妻  作者: Rin
12/13

第十二話 初めての温もり

第十二話 はじめての温もり

 お市の懐妊が知らされたのは、蒸し暑い夕べのことだった。

 湿った風が障子を揺らし、手元の紙がふるえて読む気にもならず、すずはただ膝を抱えて座っていた。

「おめでたいこと……のはずなのに」

 つい口から漏れた声は、思った以上に小さかった。

 そこへ、長政が静かに入ってきた。

「……具合でも悪いのか」

 振り向いたとたん、顔が熱くなる。

 言うつもりなどなかったはずの言葉が、喉に詰まって動かない。

「その……お市様には、お子ができたと聞きました」

「ああ」

「……では、どうして私には……」

 言い終えた瞬間、全身が一気に熱を帯びた。

 何を言っているのか自分でもわからない。

 長政は驚いたように目を見開き、それからそっと歩み寄った。

「すずに無理をさせたくなかった。まだ幼い身体を、急かすわけにはいかぬと思っていた」

 その優しい声音に、胸がじんと痛む。

「……わ、私は……嫌では、ありません」

 自分の声が震えているのがわかった。

 殿の表情がゆっくりとほどける。

 そのまま膝をつき、すずの両手を包み込む。

 指先が触れただけで、心臓が跳ねて苦しい。

「すずが、望むのなら」

 低く落ちてきた声は、耳の奥で残響した。

 顔が熱い。息も浅い。

 長政はそれを見て、少し困ったように笑う。

「そんなに赤くなるほど、恥ずかしいのか」

「わ、わからないです……どうしてか、勝手に……」

「大丈夫だ」

 長政はそっとすずの肩に触れ、指先で軽く髪をすく。

 肌に触れたのはほんの一瞬なのに、すずの顔は火でもついたように熱くなる。

 灯がゆらりと揺れる。

 長政はその灯りに手を伸ばして、少しだけ明かりを落とした。

「今夜は、無理はさせない。すずの顔が、狂おしいほどに可愛いからな」

 耳元に落ちた声に、全身が震えた。

 長政の手がそっとすずの頬に触れ、額に柔らかい口づけが落ちた。


 ◆


 灯が落とされると、部屋の中はほの暗くなり、行灯の弱い明かりが揺れた。

 外では、初夏の夜の虫の声がかすかに響いている。

 胸がどきどきして、息をひとつ吸うのにも勇気がいる気がした。

 長政はすずの頬に触れた手を離さないまま、ゆっくりと体の向きを変えた。

 近い。

 いつもよりずっと近い。

 触れられているのは頬だけなのに、全身が熱に包まれたようだった。

「そんなに緊張しなくていい」

 長政は小さな声で言う。

 でも、その声がまた胸に響いてしまい、緊張はほどけるどころかむしろ強まっていく。

「……どうして、そんなに優しくするんですか」

 すずは自分でも何を言っているのかわからなかった。

 ただ、黙っていることが苦しくて、絞り出した言葉だった。

 長政は少し驚いたように目を細め、微笑んだ。

「すずが、怖がっているからだ」

「こ、怖がって……」

 図星を指されて、顔がさらに熱くなる。

「焦らなくていい。今夜、すずが望まないことはしないから」

 その言葉に、すずの胸が少しだけ軽くなる。

 だが同時に、逃げ場も奪われた気がして、心臓がまた跳ねた。

 長政はすずの手をそっと取った。

 指先が触れた瞬間、身体の奥までしびれるような感覚が走る。

 手のひらに触れられただけなのに、こんなにも恥ずかしい。

  こんなにも、うれしい。

「すずの手は、いつも温かいな」

 低い声で囁かれる。

 それだけで胸の奥が甘く締めつけられる。

 長政はすずの手をそのまま自分の胸元へ誘った。

 布越しに触れた体温が、驚くほど熱くて、息が止まる。

「……殿のほうが、ずっと温かいです」

 そう言うのがやっとだった。

「いや、これは――」

 長政は、すずの手を包み直す。

「すずが触れたから、こうなったんだ」

 長政が照れたように目をそらしたのを見て、胸の奥がふわりとほどけた。

「……殿でも、そんなふうに?」

 思い切って聞いてしまった。

 殿はすずを見つめ、それからゆっくりとうなずいた。

「すずが、可愛いからだ。愛おしいからだ。……す、好きだからだ」

 その言葉は、胸の奥に深く沈んでいった。

「すずは、本当に……可愛いな」

 その声が甘くて、胸がじんと熱くなる。

 長政はすずの背へ腕を回し、そっと引き寄せた。

 お互いの体が触れた瞬間、全身が熱に包まれる。

 長政の胸の広さ、腕の力強さ、それに反して驚くほど優しい抱きしめ方――

 それらすべてが、すずを溶かしていく。

「怖いか」

 耳元で囁くように聞かれる。

「……怖い、です。でも……殿となら」

 言い終えると同時に、長政の呼吸が少しだけ深くなるのがわかった。

「なら、安心させてやる」

 そう言って、長政はすずの額に、続いて目元に、そして頬に、ゆっくりと口づけを落とした。

 一つ一つの場所に触れられるたび、身体が甘く震える。

 唇はまだ触れられていないのに、息がうまくできない。

「すずの心が落ち着くまで、ゆっくりする」

 優しい声が、胸の奥にしみ込む。

 長政の指が、すずの肩のあたりに触れた。

 そっと着物の襟元を整えながら、目を合わせてくる。

「嫌なら、ここでやめよう」

「……嫌じゃ、ないです」

「本当か?」

「はい……殿が、そばにいてくれるなら」

 長政は深く息を吸い、微笑んだ。

 今まで見たどの笑顔よりも、苦しげで、優しくて、嬉しそうだった。

「じゃあ――すずを抱く前に、一つだけ言わせてくれ」

  長政はすずの頬に両手を添え、ゆっくりと言葉を落とす。

「すずを大切にする。どんなときもだ」

「……はい」

 唇が触れる直前――

 その温もりに心が全部奪われそうになったところで、

行灯の火がふっと揺れた。

 甘い夜が、静かに始まろうとしていた。

ついに今回すずと長政の間に進展が。

ちなみにお市はこの頃二人目を身籠りました。

のちの常高院、またの名を『初」といいます。

かの有名な浅井三姉妹の次女ですね。

彼女の話をすると作者の語り癖が暴走したり、ネタバレを含んだりしますので、それはまたのちの

ち。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ