第一話 猿と鈴
第一話 猿と鈴
一五五八年、近江国(現滋賀県)に浅井氏という一族がいた。これは『北近江の鷹』と呼ばれる最後の当主とその妻の物語である。
◆
備前の木漏れ日揺れる山間の道を中年男性と女子が歩いている。
男の背には刀が差してあった。
備前といえば平安時代末期から続く名刀の産地で、特に『備前兼光』や『備前長光』などが有名だ。
この男は岡崎則實という。備前国を治める戦国大名、浦上氏の重臣を務める一族に生まれた次男坊で、家督が継げないことがわかると、刀に魅せられ修行を積んだ。
「ねぇ、おじさま。なんで近江に向かってるの?」
則實の少し後をついてくる幼い女子。それこそがこの物語の主人公、すずである。
彼女は岡崎家先代当主、岡崎秀實の一人娘であるにも関わらず、よく屋敷を抜け出し工房へ顔を出すのだ。
「それはな、近江の大名浅井久政様のご愛刀が折れてしまわれたらしい。そこで名刀の産地として有名な備前に声をおかけになられたのだ。今回その刀が出来上がったので届けに行くのだぞ」
「はい!」
すずは元気よく返事をしたが、話の内容を理解したかはわからない。
彼女は数え四つなのだから。
「ねぇ、おじさま」
もう一度すずが問うた。
「厠(トイレ)行きたいです」
「おい ここ山だぞ」
◆
なんやかんやあって、近江に着いた。
すずは初めて備前を出たのでわくわくしている。
備前から近江へやって来たのは相当大変で、途中宿泊もしたが、本当に大変なのはこれからなのである。
「すず、小谷城は小谷山の頂上にある。ついてこられるか?」
すずは「はい!」と元気よく言うものだから、ついてこさせた。
だがしかしすぐに「疲れた」だの「戻りたい」だの駄々をこね始めた。
「まだ半分も来てないぞ?」
すずは落胆した。
ちなみに小谷山の標高は四九五メートル。現代風に言うならば立派な登山コースである。そのため幼子が登るには相当酷なのである。
仕方なくすずをおんぶし、残りの山を登る。
頂上までもう少しのところで、人が見えた。
「わざわざ備前から近江まで…お疲れ様です」
そう挨拶したのは、浅井家二代目当主、浅井久政だ。
彼は先代・浅井亮政や息子の活躍に隠れがちだが、川に井関を作るなど内政に優れたと伝わる。
「当主様直々にお出迎えなされるとは…!」
則實は深々と頭を下げる。
「父上、その方々は?」
誰かがこちらに向かってくる。
すずが顔を上げると、少年が立っていた。
「猿夜叉、客人であるぞ」
猿夜叉、と呼ばれた少年はこちらを見て微笑んだ。
「猿夜叉と申します」
「す、すずです。よろしくお願いします…猿」
隣で聞いていた則實は顔が青くなる。
若君を『猿』呼ばわりなど幼子でももってのほか。
いろいろな心配が頭を駆け巡った。
しかし猿夜叉本人はというと。
「夜叉つけて!!夜叉!!」
――ツッコミを入れるほど意外と乗り気であった。
◆
久政と則實は場所を移し、城内で話し合う。
その間すずは猿夜叉に面倒を見てもらうことにした。
「これからの時代、戦で刀は使われなくなっていくでしょう。現に刀の名産地として名高い備前でさえも注文が減っていますから…」
則實がため息をつく。
「そうですか…」
久政もそれに同情する。
刀の需要が減ると、当然鍛治屋は売れなくなり、潰れる。
則實の場合、岡崎家の身内なので多少の保護を受けることはできるが、仲間やライバルが落ちぶれてしまうのは見苦しいのだ。
「ですので今回、お声をかけていただいたことが嬉しかったのです。それが遠く離れた近江だとしても…」
◆
すずは猿夜叉と小谷山を散歩しながら話していた。
「すず様にご兄弟はおられますか?」
我が家は姉と弟、妹がおりますが、と猿夜叉が問う。
「兄が三人。一人目の兄は低身長、二人目の兄は馬鹿、三人目の兄は運動音痴です」
実際は一番上の兄、隆村は現岡崎家当主。二人目の兄、秀隆は武勇に秀でている。三人目の兄、義實は品行方正で知略に優れる。
聞く相手間違ったか…と一瞬後悔する猿夜叉であった。
◆
則實は久政と面会を終え、帰る支度をした。
すずにも声を掛ける。
「すず、父様の下へ帰るぞ…」
「やだ。猿と一緒がいい」
すずはすっかり猿夜叉に懐き、離れようとしないのだ。
則實は仕方なく猿夜叉からすずを引き剥がし、小谷山を降りる。
だいぶ日も傾いた。
疲れ果てて寝てしまったすずをおぶった彼と彼の影は、備前への帰路へと差し掛かった。
初めまして。歴女のRinです。
今回は小説第一弾ということで私の一推し武将、浅井長政の妻の物語にしてみました。
すずと質は存在しませんが、実在の人物も多数登場しますので、お楽しみに。
ちなみに岡崎秀實(すずの父)は作者の実の先祖です。




