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姉が婚約破棄されてそいつが私と結婚すると言っているのですが、普通に姉の方が大事なんだが。姉を不義理な男と結婚させるわけにはいかないので略奪女を演じます

作者: 広路なゆる

「リリアナ! 貴様との婚約はこれをもって破棄する! そして私は、真実の愛を見つけた……貴様の妹、アイリスと結婚する!」


 王城の舞踏会場。

 シャンデリアが煌めくその中心で、この国の第三王子であるジェラール殿下が叫んだ。

 周囲の貴族たちがざわめき立ち、扇で口元を隠しながらひそひそと噂話をし始める。


 婚約破棄を宣告されたのは、私の姉であるリリアナだ。

 プラチナブロンドの髪に、慈愛に満ちた青い瞳。

 誰が見ても完璧な淑女であり、次期王太子妃としてこれ以上ないほど努力を重ねてきた人。


 対して、妹の私、アイリス。

 自分で言うのもなんだが、いつも姉の影に隠れて本ばかり読んでいる地味な女だ。


 ……でだ。

 いま、この王子、なんて言った?


 私の思考は一瞬、フリーズした。

 婚約破棄までは、まあ百歩譲ってある話だとしよう。

 ジェラール殿下は最近、公務をサボりがちで、姉様がその尻拭いをしているのに逆ギレしているという噂を聞いていたから。


 でも、その次だ。

 私と結婚する? 寝耳に水どころか、熱湯をぶっかけられた気分だ。

 私と殿下なんて、挨拶くらいしか交わしたことがない。

 いつどこで「真実の愛」とやらが育まれたというのか。私の知らない平行世界の話だろうか。


 あまりの事態に、私の顔の筋肉がひきつった。

 「え、なにそれ?」という困惑と、あまりの馬鹿馬鹿しさに漏れ出そうになった苦笑。

 それが混ざり合い、私の口角は奇妙な形に吊り上がってしまったらしい。


「アイリス……?」


 姉様が、信じられないものを見るような目で私を見た。

 その瞳が揺れ、絶望に染まっていく。

 

 あ。これ、まずい……。

 姉様、私が殿下と通じていて、姉様を追い落としてその座を奪い取ったと勘違いしてる。

 違うんです姉様! 私の顔がニヤついているのは、単に状況が理解不能すぎて苦笑いしてしまっただけなのです……!


 弁明しようと口を開きかけた、その時だった。


 ……いや、待てよ?


 私の脳内で、さして性能の高くない計算機がフル稼働する。

 ジェラール殿下は浅慮な男だ。

 自分の婚約者がどれほど優秀で、どれほど自分を支えてくれていたかも理解できず、こうして大勢の前で恥をかかせるような不義理な男。


 こんな男と結婚して、姉様は幸せになれるだろうか?

 いや、なれるわけがない。

 一生、この男の我儘に振り回され、尻拭いをさせられ、心をすり減らす未来しか見えない。


 姉様は優しすぎる。責任感が強すぎる。

 放っておけば、「これも王家のため」と耐え忍んでしまうだろう。


 ならば……。

 いっそここで、私が……。


 決意を固めた私は、ひきつった笑みをそのまま「勝ち誇った悪女の笑み」へと昇華させた。

 扇をパチンと閉じ、姉様を見下すように一歩前へ出る。


「ふふ……ようやく気づいてくださいましたのね、ジェラール様」


 言ってて吐き気がするほど甘ったるい声を出した。

 私はジェラール殿下の腕に絡みつく。殿下は鼻の下を伸ばして「おお、アイリス、愛しい僕の女神」なんて言っている。

 幸い、ドレスの上からは鳥肌は見えないはずだ。


「お姉様。そういうことですの。堅苦しくて面白みのないお姉様より、私の方がジェラール様に相応しいということですわ」


「アイリス、あなた……嘘でしょう?」


「嘘ではありませんわ。さあ、身を引いてくださる?」


 姉様の目から涙がこぼれ落ちた。

 胸が張り裂けそうだ。ごめんなさい、姉様。あとで絶対、一生かけて償いますから。でも今は、この男から逃げて。


「……そこまでだ」


 凛とした声が響いた。

 衆人環視の中、進み出てきたのは第四王子のルクス殿下だった。

 ジェラール殿下の弟でありながら、その聡明さと冷徹さで知られる方だ。黒髪に切れ長の瞳が、どこか底知れない光を宿している。


「兄上。婚約破棄を宣言された以上、リリアナ嬢を城に置いておくわけにはいきませんね」


「ふん、ルクスか。その通りだ。私の視界に入れたくない」


「では、辺境伯領への追放処分といたしましょう。北の果て、極寒の地へ」


 ルクス殿下の提案に、会場がざわめく。

 北の辺境伯領といえば、魔物も出る厳しい土地だ。


「いいだろう! リリアナ、貴様は辺境へ行け!」


 ジェラール殿下が得意げに叫ぶ。

 姉様はガクリと膝をつき、衛兵に連れられて会場を後にした。

 去り際、姉様が私に向けた、裏切られた悲しみと愛憎入り混じった視線が心に刺さる。

 

 ん……?

 

 ふと気づくと、ルクス殿下が私を見ていたような気がした。

 無表情だったが、その瞳の奥が、何かを探るように光った気がした。



 それから数ヶ月。

 ジェラール殿下の執務室は、地獄の様相を呈していた。


「ええー、ジェラール様ぁ。また書類仕事ですかぁ? 私、退屈ですぅ」


 私はソファに寝そべり、わざとらしく不満を漏らす。


「ま、待ってくれアイリス。これが終わったら……。くそっ、なんだこの計算は! どうして予算が合わないんだ!」


 ジェラール殿下が頭を抱えている。

 当然だ。

 今までその膨大な書類仕事を、完璧に、かつ迅速に処理していたのはリリアナ姉様だったのだから。

 殿下は「最終確認のサインをするだけ」で自分が有能だと錯覚していたに過ぎない。


「前の予算案、どこにあるか知らないか?」

「えー、知りませーん。お姉様がやってたことなんて、私にはわかりっこないですもん」


 私はあくびを噛み殺しながら答える。

 本当は知っている。棚の二段目、右から三番目のファイルだ。

 そして、この予算申請には重大なミスがあることも気づいている。東地区の治水工事費が計上されていない。

 これを承認すれば、次の大雨で下町が水没し、殿下の評価は地に落ちるだろう。


 もちろん、教えない。

 なぜなら、私は「無能で我儘な略奪女」なのだから。


 姉様がいなくなってから、ジェラール殿下の派閥は急速に力を失っていった。

 的確な根回し、貴族たちへの配慮、季節ごとの贈答品の手配。すべて姉様がやっていたことだ。

 それがなくなった今、殿下を支持していた貴族たちは次々と離れていき、代わりに台頭してきたのが第四王子、ルクス殿下だった。


 そして、運命の日はやってきた。


「いい加減にしろッ!!」


 ジェラール殿下が、机を叩きつけて立ち上がった。

 血走った目で私を睨みつける。


「毎日毎日、遊び呆けやがって! 少しは手伝おうと思わないのか!」

「だってぇ、私、そういうの苦手ですしぃ」

「リリアナはできた! あいつは言わなくても全て完璧にこなしていたぞ!」


 今さら姉様の名前を出すな。

 私は心の中で舌打ちをしつつ、怯えたふりをする。


「ひどい……私と結婚したいって言ったのはジェラール様じゃないですか」

「間違いだった! 貴様のような無能で、金のかかる女だとは思わなかった! 顔だけの阿呆が!」


 殿下の暴言が止まらない。

 自分の無能さを棚に上げ、すべての責任を私になすりつける。予想通りの展開だ。


「貴様との婚約は破棄だ! 出て行け! 二度と私の前に顔を見せるな!」


 きた。

 待ちに待った言葉だ。


「……わかりましたわ。そこまでおっしゃるなら、お別れです」


 私は涙を拭うふりをして、部屋を飛び出した。

 廊下に出た瞬間、私の背筋はピンと伸びた。

 終わった。やっと終わった。

 この数ヶ月の苦行、長かった……!


「ふぅ……」


 大きく息を吐き、凝り固まった肩を回す。

 まあ、いいか。これで私は自由の身。実家に戻れば父様には怒られるだろうけど、事情を話せばわかってくれるかもしれない。それに、「無能すぎて婚約破棄された女」というレッテルがあれば、今後面倒な縁談も来ないだろう。

 あとは、ほとぼりが冷めた頃にこっそり北へ行って、姉様に土下座して謝り倒そう。

 

 などと思料している時であった。


「お疲れ様。見事な演技だったね」


 不意に、背後から声をかけられた。

 心臓が跳ね上がる。

 振り返ると、そこには壁に寄りかかり、面白そうに私を見ているルクス殿下がいた。


「ル、ルクス殿下……? 何のことでしょう?」

「とぼけなくていいよ。最初から見ていたからね。あの舞踏会の夜、君が『え、なにそれ?』って顔をした瞬間から」


 うわ、見られてた。

 冷や汗が流れる。この方、やっぱり食えない。


 ルクス殿下は私の前に歩み寄ると、くすりと笑った。


「君は姉君を守るために、わざと悪役を演じたんだろう? ジェラール兄上のような男に、大事な姉君を任せられないと判断して」

「……買いかぶりすぎです。私はただ、性格が悪いだけですわ」

「ふーん、そう?」


 などと言いながら、ルクス殿下は突然、一歩距離を詰め、私の顔を覗き込む。

 整いすぎた顔が近くて、思わず後ずさる。


「リリアナ嬢なら、北の辺境で元気にやっているよ。現地の特産品を活かした新事業を立ち上げて、領民から『聖女様』なんて呼ばれているらしい」

「本当ですか……!」


 ああ、よかった。姉様、やっぱりどこに行っても有能なんだ。

 安心感で膝から力が抜けそうになる。


「それで、だ。アイリス嬢。君はこれからどうするつもり?」

「実家に帰って謹慎します。その後は……まあ、どこかの修道院にでも入ろうかと」

「それは勿体ないな」

「え……?」


 ルクス殿下は私の手を取り、跪いた。

 ……はい?


「ねぇ、いっそ僕と婚約しない?」


 軽い。

 今日の天気の話をするようなノリで、王族からの求婚が飛んできた。


「はぁ!? な、何を仰っているんですか! 私は姉の婚約者を奪った挙句、捨てられた尻軽女ですよ? そんな私と殿下が婚約なんてしたら、殿下の評判まで落ちてしまいます!」

「評判なんてどうでもいいよ。僕は君が欲しいんだ」

「…………ちょっと嫌です」


 即答してしまった。

 だって、尻軽女と思われそうで嫌だもの。それに、王族と関わるのはもう懲り懲りだ。


「ははは、いいね。王族の求婚を『ちょっと嫌』で断る令嬢なんて、君くらいだよ」


 ルクス殿下は声を上げて笑った。

 そして、私の手を強く握りしめ、捕食者のような笑みを浮かべる。


「でも、悪いけど拒否権はないよ」

「え?」

「王族の命令に逆らうのは、不敬罪にあたるからね。僕と婚約してもらうよ、共犯者さん」


 ちょっと強引すぎませんか!?

 でも、その瞳は真剣で、どこか楽しげで。

 私はため息をつきつつ、その手から逃げられないことを悟ったのだった。

 


 それから、私は無能であることをやめた。

 ルクス殿下の婚約者として、彼の補佐を全力で行ったのだ。


 私の特技である情報分析と、姉様を見て学んだ実務能力。それにルクス殿下のカリスマ性と政治力が組み合わさり、私たちは次々と国政の課題を解決していった。

 ルクス殿下の評価はうなぎ登りで、次期国王は彼で決まりだという声が日増しに強くなっていった。


 一方、ジェラール殿下は没落の一途を辿っていた。

 私を追い出した後、彼は新しい婚約者を迎えたようだが、誰も彼の杜撰な管理能力をカバーできず、失態を重ねていた。


 そしてある日の夜会。

 私とルクス殿下が腕を組んで挨拶回りをしていると、やつれた様子のジェラール殿下が乱入してきた。


「アイリス! どういうことだ!」


 彼は私の腕を掴もうとして、ルクス殿下に遮られた。

 ジェラール殿下は私を睨みつける。


「貴様、無能じゃなかったのか!? ルクスの下では次々と成果を上げていると聞いたぞ! なぜだ、なぜ私の時にはそれをやらなかった!」

「……」

「騙していたのか! 私を陥れるために!」


 喚き散らすジェラール殿下。

 周囲の貴族たちは、冷ややかな目で彼を見ている。

 かつての私なら怯えていただろうか。いや、今の私は、隣に自分を信じてくれる人がいる。


 私は扇を閉じ、まっすぐにジェラール殿下を見据えた。

 もう、演技をする必要はない。


「えぇ、そうです! 完全に騙しておりました! はなからあなたになんてこれっぽちっも興味はありませんでした!」


「なっ、なぜだ……!?」


 ジェラール殿下の顔が歪む。


 私は一歩踏み出す。

 今まで溜め込んでいた本音を、言葉に乗せる。


「貴方には、姉様はもったいない。以上……!」


 会場が静まり返る。

 ジェラール殿下は顔を真っ赤にして、言葉を詰まらせた。


「き、きさ……っ!」

「さあ、行ってください、兄上」


 ルクス殿下が冷たく言い放つ。


「これ以上、私の婚約者に無礼を働くことは許容できない」


「っっ」


 ルクス電化の言葉に、ジェラール殿下は言葉に詰まる。

 そして、舌打ちをして去っていく。


 ざわめきが戻る会場の中で、ルクス殿下が私に耳打ちする。


「せいせいした?」

「はい、とっても」

「それはよかった。じゃあ、これからは僕のためにその才能を使ってくれるね?」

「……善処します。……不敬罪が怖いので」


 私が皮肉っぽく答えると、ルクス殿下は嬉しそうに私の腰を引き寄せた。


 数日後、北の辺境から手紙が届いた。

 姉様からの手紙には、元気でやっていること、そして素敵な騎士団長様と良い雰囲気になっていることが綴られていた。

 どうやら私のことはルクス殿下から伝えられていたようだ。

 そして、追伸には、『あなたの婚約の報せを耳にしました。アイリス、どうかお幸せに』とあった。


 最後までお読みいただきありがとうございました。

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