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あとがき

物語『閾値』は、人間が「殺せない」存在である理由をめぐる問いから始まった。


 最初に浮かんだのは、ひとつの矛盾――

 「人は、殺せないから殺せないのか。殺せるから殺せるのか。」

 この単純な構文の中に、私たちが生きている現代社会の倫理的な不安定さがすべて含まれていると感じた。


 私たちは理性によって世界を測り、観察し、分類しようとする。

 けれども、その理性が極限まで進むと、**「観察すること自体が暴力になる」**瞬間が訪れる。


 本作の主人公・一ノ瀬は、まさにその境界線上を歩く存在だ。

 彼は決して悪意の人間ではない。むしろ誰よりも善良で、学術的誠実さを信じている。

 だが、彼の“観察”が一歩ずつ倫理を侵していく。


 教授・榊はその象徴であり、理性そのものの擬人化でもある。

 久遠は「理解することの危険さ」を体現し、

 綾香は「人間であることの温度」を守る存在として、彼を現実に繋ぎとめようとする。

 だが、最終的に誰も完全には救われない。


 私はこの作品を通して、「理性が罪を生む」瞬間を描きたかった。

 人間が“倫理的”であろうとするその努力そのものが、時に最も残酷な実験になる。

 理解とは、必ず“越えてはいけない境界”を越えてしまうものなのだ。


 そして最終章で、一ノ瀬が辿り着いたのは**「沈黙」**だった。

 沈黙とは、敗北ではない。

 それは、言葉を尽くしても届かない場所でなお生き続けようとする「存在の証」だ。

 彼が最後に書いた「観察、終了。」という一行は、

 世界を見届けることをやめた人間の静かな祈りであり、同時に“理性の赦し”でもある。


 『閾値』は、最初から終わりまで、静かに燃えている物語だ。

 人間が“理解する”という行為の根源にある残酷な美しさを、

 どうか読者の中でもう一度、反芻してもらえたらと思う。

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