①
大理石の床に反射する燭台の炎が、黄金のような輝きを放っていた。帝都の中心、大聖堂――ここで代々の皇帝が帝位を継いできた。
白銀の柱が並ぶ神聖なる空間に、荘厳な鐘の音が響き渡る。民衆も貴族も、誰もが息を呑んでいた。
玉座の前に立つのは、エレオノーラ・フォン・アウルム帝国皇女。
ブロンドの髪が陽光を映し、蒼碧の瞳はまっすぐ前を見据えている。背筋は伸び、白い軍装に似た礼服の上に赤いマントを纏った姿は、もはや一人の女性ではなく、帝国そのものの象徴だった。
――皇帝は病に伏せ、もう立ち上がることはない。
帝位継承は、この日、この瞬間に行われる。
「帝国の未来を、この身に誓おう」
剣を掲げるエレオノーラの声は、澄んだ鐘の音のように響き渡った。
だが、その誓いの直後――。
「お待ちいただきたい!」
堂内に重々しい声が轟いた。
現れたのは皇帝の弟、アレキウス。その横には、怯えた様子の少年が立っていた。
彼もまたブロンドの髪に碧眼。だが、細い体は頼りなく、エレオノーラのような覇気は感じられない。
「皇女エレオノーラよ。皇位を継ぐ資格はそなたにはない!」
アレキウスは少年の肩を掴み、群衆に示す。
「ここに真なる後継がいる――陛下の血を引く男子がな!」
ざわめきが広がる。王族の証を持つ『男子』――帝国の伝統では、男子こそ皇帝。
「まさか……!」
エレオノーラの母、サンドラ皇妃が愕然と息を呑んだ。
「そのような子が……」
エレオノーラの青い瞳が怒りに揺れる。
「父上に隠し子などいるはずがない!」
「信じたくなければ信じるな。しかし――」
アレキウスが合図すると、堂内に待機していた兵士たちが一斉に武器を構えた。
その大半は、彼の側に寝返っていたのだ。
「正統なる後継者の為に剣を掲げろ!」
叫ぶ大聖堂に響いたアレキウスの声と同時に、兵たちが雪崩れ込んできた。
エレオノーラを守るように前へと踏み出したのは、護衛騎士イリアス。
「エレオノーラ様には指一本触れさせん!」
鋭い剣閃が走り、数人の兵が倒れる。イリアスの目は猛禽のように鋭く、命を賭して主を守る決意に燃えていた。
「母上、下がってください!」
エレオノーラが叫ぶが、サンドラ皇妃は微笑を浮かべ、彼女の肩を強く抱き寄せた。
「エレオノーラ……あなたは、この国の未来。生きなければならないのよ」
その目は涙に濡れながらも、揺らぎはない。
「来るなッ!」
イリアスの剣が火花を散らし、血飛沫が床を汚す。だが敵は多勢、次々と押し寄せてくる。
「早く、隠し通路へ!」
サンドラはエレオノーラの背を押す。
「母上! 一緒に……!」
「いいえ。私はここに残ります。あなたは前を向いて進みなさい!」
叫ぶ間もなく、イリアスが振り返り、凛とした声で言い放った。
「エレオノーラ様!生き延びてください!生きて、必ずやこの国を導いて下さい!」
その声とともに、エレオノーラは母と騎士の決意を背に、暗い隠し通路へと押し込まれた。
※※※
通路は湿り気を帯び、石壁から水が滴っていた。
エレオノーラは裾を掴み、走った。胸は締め付けられるように痛み、耳には剣戟と悲鳴がこだまする。母の声が、イリアスの声が遠ざかっていく。
――死なないでくれ…!
祈るように走り続け、やがて地上に出た頃には夜が訪れていた。息は荒く、足は傷だらけ。それでも、ただ一人、信じられる者の元へ向かった。