9.JA(農協)悪玉論について【米流通を独占している】
(1)米流通を独占している理由
JAの前身は国家が食糧流通を統制するために作られた半官半民の農業会で、その後に農協に看板は掛け替えましたが、食管法により米の生産者は農協に売って農協から政府が米を買って、農協に指示して指定米卸売業者に販売するという米の流通を独占的に担ってきました。
この体制が崩れたのちも、米流通の実務能力があるのがJAと指定米卸売業者しかいなかったため、事実上の独占的地位を占めていました。
そもそも国家が食糧流通を統制しようとしたのは、食糧(≠食料)の安価での安定供給というのは政府にとって、とても重要な案件だからです。
全て市場原理に任せていたら食糧価格が高騰したり乱高下して国民生活に甚大な影響がでるので、自主流通米制度と同時に標準価格米精度を創設したように、政府は食糧価格の安定に努めていましたし、現在も安定させようとしているとは思います。
政府が全てを仕切る体制が破綻した後も、政府は農協法に基づいて全中(全国農業協同組合中央会)に経済的困窮者に配慮した価格での食糧供給の実行を依頼(実質的には命令)してきました。
それに応えてきたJAは、日本国民のために採算を度外視した食糧(≠食料)の安価での安定供給に尽力してきた組織という事もできるかと思います。
言い方が適切かは分かりませんが、政府の『食糧価格の安価での安定供給』という実務の主要な下請け実行機関だったのがJAと指定米卸売業者です。
JAと指定米卸売業者に米流通の大部分を事実上独占させる代わりに採算を考えない安価での安定供給を要求されていたととらえるのが実態に近いと思います。
新規参入を制限して既存業者に全てを独占させる体制というと、特権や利権という言葉を思い浮べるかもしれませんが、本当に利権があるのなら生産者もJAも米卸売業者も誰も儲からない安値で米が小売りされていた説明がつきません。
(2)主食用米と自由な市場原理との相性
相性はとても悪いと思います。
米に限らず、流通量がとても多い普遍的な物の中で必需性が高い物は、自由市場だと何かあると吹っ飛びます。
例えばトイレットペーパー騒動は、オイルショックやCOVID-19パンデミックの際に発生しています。
必需性が高いという事は、需要量も安定しているという事であり、安定した需要量に見合った供給能力しか持てません。
ある程度の余力は残しているでしょうが、需要量を大幅に上回る供給能力を持ってしまうと供給過多で事業継続ができなくなるからです。
これが大多数の人間にとって“あっても使わない”とか“あったら使うかもしれない”程度で“無かったら無かったでどうでもいい”という、必需性が皆無な趣味の嗜好品のような物なら仮に過当競争で潰れても社会に大きな影響はありませんから、無くなると困る人間や無くなるのが嫌な人間がその業界を支えればよい話です。
しかし、大多数もしくは全ての人間が無いと困るという必需性が高い物で、長期にわたる保管ができず、短期間で増産をできない物ならば、社会全体で『生産と流通の保全』をしないといけません。
トイレットペーパーは日持ちしますし、比較的製造に制約が少ないので何とかなるのですが、COVID-19パンデミック時のマスクはそれまでの需要が少なかったこともあり国の支援のもとで製造ラインが増設されるまではどうにもなりませんでした。
COVID-19の前に新型インフルエンザの懸念が凄く高まって法制度を整えたりしたことがあり、その時にマスクを備蓄していた企業がありました。
さすがに市販に回すのは厳しかったようですが、従業員に配布して品薄時をしのいだそうです。
米は何年も備蓄というのは厳しいです。
食味を度外視したら10年持つという説もありますが、3~4年の古古古米がアレですよ。
そして基本的に年に一回しか収穫できません。
だから米は『生産と流通の保全』をしておかないといけない物資の一つです。
では、どうやれば『生産と流通の保全』ができるのでしょうか。
簡単な方法は「新規参入をさせずに既存業者が割り当てで生産・流通させる」です。
これを国家が直接おこなうのが「専売公社などで国家専売にする」というものが分かりやすいと思いますし「国家が価格帯を定める」「許可制や認可制にする」「業界に働きかけて合併などを要請する」などで新規参入の障壁を高くして間接的に関与する方法もあります。
現在は違うと思いますが、以前は薬屋(薬局)や酒屋(酒類販売店)は近いところに同業店舗があったら開業許可が出ませんでした。
また、国家が直接間接には関与していなくても、業界が自主的に協調協力することもあります。
もっとも、業界が自主的に協調協力するのは、談合やカルテルといった「私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律(独占禁止法・独禁法)」に抵触するおそれもあるので何とも言い難いものもありますが。
こうした必需性が高い物は自由市場との相性が非常に悪いのです。
なにせ『自由市場に任せたら供給体制の維持に懸念がある』から『生産と流通の保全』をやるのですから。
人間は必需性が高い物が入手できなくなる事には非常に敏感です。
だから「必需性が高い物の不足が懸念される」という風説が流布されると、実際に不足するか否かに関わらず「普段より少し多めに入手しておきたい」という心理が働きます。
「普段は一つだけど次は無くなっているかもしれないから今回は二つ入手しよう」という人が十人に一人いたら瞬間的には需要量は1割増えますし、二人に一人いたら五割増えますし、「二つじゃなくて三つ四つ、何ならあるだけ」という人がいたら……
普遍性が高く必需性も高い物は、多少の余力はあったとしても平時の必要量を大幅に上回る生産能力は持っていない事が多く、物によっては原料の都合などで増産まで時間がかかる物もあります。
だからパニック買いが起きると、瞬間的には店頭からその品が無くなる店舗もでてくるでしょうし、そういう格好のネタがあればマスメディアなどが嬉々としてそれを拡散します。
そしてそれを見た人々が「“必需性が高い物の不足が懸念される”というのは本当だったんだ」とパニック買いに走り……そうなると、金の匂いを感じた者たちが……と悪循環に陥ります。
主食用米について言えば、ここまで異様な状態になっているのは、主食用米の取引が自由化されて自由な市場原理で動いている事も無関係ではありません。
(3)主食用米の取引の自由化までの歴史
戦中戦後は食糧営団やその後継組織の食糧配給公団が主食用米の統制をしていました。
その後、米の生産量が増えたことと行政が指定する業者(指定米卸売業者や指定米小売業者)による販売体制ができたことから昭和26年(1951年)に配給制は廃止され食糧配給公団も解散しました。
自主流通米の流通が安定化していったことから昭和57年(1982年)には指定制度から許可制(申請して許可権者(米穀の販売は都道府県知事)が審査して許可すれば有効になる)に移行して門戸が広がりました。
それまでは指定を受けた米穀店(米屋)しか主食用米の小売販売ができなかったのですが、それ以外の小売業者も申請して都道府県知事の許可がでたら主食用米の小売販売ができるようになり、スーパーマーケットなどで小売販売されるようになりました。
まあ、許可証や「米という字をモチーフにした許可の看板」とかを提示していた時代ですね。
食管法に代わる食糧法が施行された平成7年(1995年)には許可制が登録制(書類に不備がなければ台帳に登録され、台帳に登録されたら有効になる)になり、簡単に主食用米の小売ができるようになったため、コンビニなどでも主食用米が小売販売されるようになりました。
これでもまだ台帳を閲覧したら販売店が分かる時代です。
さらなる自由化で平成16年(2004年)に登録制から届出制(届出して受理されれば有効)になりました。
令和7年現在の主食用米の出荷や販売は年間20精米トン(精米した白米の重さが20トンに相当する量)以上の場合は届出をする必要があります。
逆に言えば年間20精米トン未満の取引は届出すら必要ないという事です。
それに、届出制は書式さえ整っていれば役所は受理しないといけないのです。
誰であれ管轄の官庁が開いている時間に届出をして受理してもらった瞬間から米の売買をしても違法にはなりません。
自由化しましたね。
『自由化された? とんでもない! JAの取引先は実質的には固定されていて、売ってくれって言っても門前払いされる閉鎖的な市場だ』『小売店が米を農家さんやJAから直接仕入れる事ができるようにすべきだ』と仰る方も見かけます。
まず初めに、固定顧客があるってのは毎年定量をお買い上げいただけるお得意様を優先するのは当然でしょう。
ちょっと話題になったからといって、これまで見向きもしなかった奴が売ってくれとやってきたときに、固定客をそっちのけでそいつに売ると、固定客が離れてブームが去ったら誰も買ってくれなくなります。
マスメディアなどに紹介されて調子に乗った飲食店の末路と同じです。
マスメディアで紹介されたからといって堅実にこれまでの固定客を相手に商売して余力でマスメディア由来の客をもてなしている飲食店は健在です。
食糧の実物取引はちゃんとしないと国民生活に悪影響を及ぼすので信用がある取引先としか取引しないのは義務に近い当然の話です。
それと、生産者やJAから直接仕入れている小売店はいくらでもあります。
外食チェーンとか小売チェーンは生産者と契約栽培を締結して仕入れていることも多いですし、生産者やJAから玄米を仕入れて自社で精米して販売しているところもありますし、JAや米卸売業者に作業料を支払って精米してもらって販売しているところもあります。
米が無くなると困る筆頭だろう外食産業が大手は大したリアクションが無かったのは生産者やJAや米卸売業者のお得意様で確保済みだからです。
今後新たに締結しなおす契約の価格はともかく、量は確保できるのです。
そういう米の直取引ができているところは『米の取り扱いが分かっていて』『以前から恒常的に取引していて』『信用がある』企業です。
そういう企業も長年に渡って信用を築いてきたから直取引ができます。
また、縁故米と言われる生産者から米を直接購入する個人もいます。
たいていは親戚など縁故がある人にだけ売っていた事が多かったので縁故米と呼ばれますが、信頼関係が結べて適切な価格設定だったら売ってくれる生産者もいます。
ただ、安く買えるとは思わないで欲しいです。
そういった信頼関係がない企業や個人が直取引をしようとしても、JAや大手米卸売業者は目先の金に転ぶとこれまで築き上げた自身の信用に関わりますから厳しい事も多々あると思います。
ただ、生産者の中には目先の金が欲しい人もいるでしょうから、そういう生産者を探せばぽっと出でも取引できると思います。
但し、情報の非対称性が高い取引なので「そんなこと知らなかった。騙された」など言わないようにね。
金に目が眩んで知らない事に首を突っ込んだ方が悪いんですから。
(4)主食用米流通の自由化の代償
オイルショックの時にトイレットペーパーのような米の買い付け騒動があったとは聞いていませんし、他の商品のような便乗値上げがあったとも聞いていません。
米余り状態で政府が決定した小売価格での販売が義務付けられている標準価格米がありましたので便乗値上げや買い付け騒ぎは起きにくいと思います。
高度経済成長期以降の日本で米の買い付け騒動があったのは平成5年の平成の米騒動と令和6年から続く現状の二回だけです。
その平成の米騒動の時の消費者米価の上昇は3割程度にとどまりました。
物理的に日本から主食用米が無くなる事態になったので売る物がなければ値段がつかないという見方もできるかと思います。
食糧情勢の混乱は国にとっても望ましいことではないので、JAに対して実質的な指導権限があったJA全中を通して働きかけはしたでしょうし、当時の米の出荷販売は許可制だったため、JAと米卸売業者の抑制が機能して買い溜め需要があるからといって出荷せず、翌年の早稲の収穫時期まで計画的な出荷を続けたことも大きいと思います。
許可制は行政(許可権者)が許可するか不許可にするかの判断をする余地がありますし、目に余る事をすると許可が取り消される恐れもありますから統制が利いたのです。
米流通業者と経路が寡占されていて相互監視しているような状態で不心得者がでにくいため、冷静に理性的に対応できたと思います。
しかし、そういう物は「特権・利権」として自由化推進の名の下に排除されてきたため、令和の世には食糧情勢の混乱を鎮静化する機構が失われてしまっています。
幾らJAや大手米卸売業者が鎮静化しようとしても逆行する者を掣肘する手段も法的後ろ盾も取り上げられてしまいましたから。
そもそもですが、米の流通が許可制から登録制になったのは平成7年(1995年)です。
役所は書類に不備がなければ台帳に登録しないといけないのですから、実質的には20世紀末には自由化されています。
平成16年(2004年)には登録制より簡素な届出制になっています。
けれど令和6年初夏以前には儲からないので話題に全く挙がっていません。
独占市場は、競争原理不在による高コスト構造や利権の温床といったリスクがあります。
一方で、自由市場には価格の高騰や暴落や乱高下のリスクがありますし、品質の低下や供給の不均衡が起きるリスクがあります。
令和6年初夏以降の消費者米価の高騰は自由市場のデメリットがでただけに思えます。




