間章②「うちの兄は、ちょっと不器用」
最初にその人の名前を聞いたのは、兄の独り言みたいな会話の中だった。
「……今日、また入ってたな。あの子、結構頑張ってるよ」
テレビを見ながら、ソファに寝転がっていた兄がぽつりと呟いた。
誰のことかなんて、聞かなくてもわかった。
最近バイト先に入ったって言ってた、コンビニの新人さん。日野さんっていう、私と同じ年の女の子。
「ふーん。どんな子なの?」
そう聞いても、兄ははっきりとは言わなかった。
「明るい」「頑張ってる」そればっかりで、あとはちょっとだけ照れたような顔をして、話題を変えた。
わかりやすくて、わかりにくい。
うちの兄は、昔からそういう人だ。
人のことをよく見てるくせに、自分の気持ちは言わないし、変なところで不器用。
* * *
大学の別キャンパスに、たまたま学食を食べに来たときのことだった。
近くのテーブルにいた子たちの会話の中に、聞き覚えのある名前が聞こえた。
「ひより!窓際、空いてるとこあった! あそこ行こ!」
「ナイス!」
その声に、思わず振り向いてしまった。
言葉は軽いのに、どこか真っ直ぐな印象。
笑顔でツッコミを入れてるその子は、なんだか自然で、ちゃんと周囲に馴染んでいて。
(この子かも)
私は半ば確信した。兄が言っていた子だって。
* * *
「私、鈴木莉子っていいます。奏多の妹です」
そう声をかけたとき、日野さん──日和さんは、ちょっと驚いたような顔をした。
でも、私が「名前だけは前に聞いてて……」と説明すると、すぐに表情をやわらげてくれた。
「兄が、“日野さんって子が頑張ってる”ってよく話してて。さっき、お友達が呼んでるのが聞こえて、もしかしてって」
それを聞いた日和さんが、少しだけ照れたように笑ったのが、なんだか印象的だった。
ああ、たぶん、兄が話していた“明るくて頑張ってる子”って、本当にこの人なんだ。
少し会話を交わしただけだったけど、
きっと兄も、こうやって惹かれていったんだと思う。
(……でも、気づいてないんだろうな。うちの兄、ほんとに鈍いから)
だから、ちょっとだけ手伝ってあげようかなって。
そんな風に、私は思った。