春の日差しに、はじめましてを
「ひより〜、今日こそ早めに行こうね。席、埋まるの早いから」
「はーい、了解〜。でも私、スープ付きのセット頼むからちょっと遅れるかも!」
昼休み、学食へと向かう通い慣れた道。春風が通り抜けて、木漏れ日が教室棟の壁をやわらかく照らしていた。
横に並んで歩いているのは、いつも一緒の友達・彩花。背が高くて、ポニーテールの似合う子。どこかサバサバした雰囲気だけど、気配り上手で誰とでも仲良くなれるタイプだ。
「今日も“彩り野菜とチキンのサラダプレート”?」
「うん。最近ちょっと野菜不足感じてるし」
「ひよりってさ、地味に女子力高いよね〜。私、パン2個で済ませようか迷ってるのに」
「昼はちゃんと食べなきゃダメだよ〜。午後眠くなるし」
そんな話をしながら、私たちは学食に到着した。
ちょうど昼休みど真ん中、テーブルはすでに半分以上埋まっていた。
「ひより!窓際、空いてるとこあった! あそこ行こ!」
「ナイス!」
二人でトレイを置き、ようやく席に腰を下ろした。
ふぅ、と息をついて、温かいスープに手を伸ばす。
「いただきまーす」
そう言ってフォークを手に取ったところで、ふいに前から声をかけられた。
「……あの、すみません。日野日和さん、ですよね?」
顔を上げると、少し緊張したような笑みを浮かべた女の子が立っていた。
ベージュのワンピースに、ネイビーの薄手ジャケット。春らしい装いで、目元にどこか見覚えのある面影を感じた。
「あ……昨日、駅前で……」
彼女はおずおずと微笑む。
「私、鈴木莉子っていいます。奏多の妹です」
なぜ、私のことを知っているんだろう……
そう思ったとき、莉子さんが察したように言った。
「日和さんってお名前だけは、前から兄から聞いてて。さっき名前を呼んでるのが聞こえて……もしかして、って」
莉子さんは、少しだけ照れたように笑った。
その言葉に、胸の奥でカチッと何かがはまる音がした。
昨日、駅前で見かけた──彼の隣にいたあの女の子。あの子は彼女なんじゃないかって、そう思ってしまって、ずっと胸の奥がざわついていた。
「妹……だったんですね」
「はい。驚かせちゃってごめんなさい。兄から、“日野さんって子が頑張ってる”って話を聞いてたから……どんな人か気になっちゃって」
私のことを、話してくれてた。
その事実が、ふわっと胸に広がる。
「えっ、わざわざ探して来てくれたんですか?」
「ううん、今日はたまたま。経済学部の授業がこっちの棟であって。そしたら偶然お見かけして……つい、声をかけちゃいました」
莉子さんは小さく笑ってから、私の隣に自然に腰を下ろした。
なんとなく空気の読み方が上手な子で、緊張感よりも居心地のよさの方が勝っていた。
「こちらは……」
「佐藤彩花です。ひよりの友達で、たぶんツッコミ役です」
「ふふ、よろしくお願いします」
三人の会話は、思ったよりもすんなり始まった。
莉子さんは物腰が柔らかくて、言葉の選び方も丁寧だった。
「兄、いつも無愛想で誤解されがちなんですけど……私には、小さい頃からずっと優しい兄でした。バイトの話をするときも、いつも日野さんのこと、真面目な子だって褒めてるんですよ」
「え……そ、そんな」
「私、大学に入ってからは会う機会が減ったんですけど、それでもふとしたときに兄の話を聞くと、安心するんです。ちゃんといい人たちと出会ってるんだなって」
その言葉を聞いた瞬間、胸がきゅっとなった。
少し距離を感じていた兄妹の関係も、それでも“信頼”がちゃんとあるんだなって、そんな風に伝わってくる。
「莉子さん、いい妹さんですね」
「そう見えてると嬉しいです……。」
莉子さんは少し照れくさそうに笑った。
なんだか、彼女のことが好きになれそうだと思った。
「私、あんまり人に自分のこと話すの得意じゃないんですけど、なんだか日野さんと彩花さんには話しやすくて」
「私たちも話せてよかったです。ね、ひより?」
「うん。ありがとう、莉子さん」
会話のテンポも、空気の流れも、気づけば自然になっていた。
* * *
食事を終え、トレイを片づけてから、建物の入口で立ち止まる。
「今日は、声かけてよかったです。あの……よかったら、またお昼ご一緒してもいいですか?」
「うん。私もまた話したいです」
「ありがとう。じゃあ……連絡、送りますね」
「うん、楽しみにしてます」
莉子さんは、小さく手を振って去っていった。
背中が見えなくなるまで、私はその場で立ち尽くしていた。
「……ひより、優しい子と友達になれたね」
隣で彩花がぽつりとつぶやく。
「うん。なんか、嬉しかったな」
昨日まで、心の中でざわついていた気持ちが、ようやく静かにほどけていった気がした。
心の奥に、ふんわりとあたたかい風が吹いた気がして──
私は、また一歩、前に進めた気がした。