知らない誰かに向けた笑顔
授業が終わって、バイトまで少し時間が空いた。
だから、駅近くのパン屋で買ったサンドイッチを手に歩いていたら──
前方のコンビニ横、自販機のそばで誰かの笑い声が聞こえた。
ふとそちらに目を向けて、私は思わず立ち止まった。
奏多さん。
コンビニ制服じゃない、私服の彼が立っていた。
その隣には、ひとりの女の子。
セミロングの髪、白いブラウス、どこか落ち着いた雰囲気。
ふたりは自販機前で並んで立って、同じ紙パックのカフェオレを持ちながら、何か楽しそうに笑っていた。
その距離が近いとか、
肩を軽く叩いたとか、
そういうのじゃない。
ただ、あの笑顔が──
どこか特別に見えた。
「……誰?」
自分でも、そんな言葉が口から漏れていたことに驚いた。
気にならないはずなのに。
関係ないはずなのに。
心の奥が、じくじくと痛むような、ざわつくような。
そんな感覚に、思わず胸元を押さえてしまった。
そういえば。
奏多さんが大学生だって聞いたのは、バイトを始めて間もないころだった。
「奏多くん、大学三年生だよー。ちょっと変わってるけど、いい人だよ」
って、白石先輩が教えてくれた。
そのときは「ふーん」で流せたのに。
今日のその笑顔だけは、どうしても流せなかった。
* * *
その日のバイトは、いつもと同じ時間に始まった。
なのに、自分だけが別の世界にいるような、ふわふわした気持ちだった。
レジで隣に立つ奏多さん。
いつもと変わらない。変わらなすぎて、逆に気になってしまう。
あの子にも、
こうやって、やさしくするのかな。
そう考えてしまう自分がいやだった。
なのに、気づけば何度も、彼の顔を盗み見ていた。
……そんな自分が、いちばんいやだった。
バイトが終わって、スマホをいじっていると。
冷蔵庫から取り出したペットボトルを差し出される。
「これ、あまってたやつ。飲む?」
「……いいんですか?」
「うん。冷えてるよ」
その優しさが、たまらなくやさしくて。
同時に怖かった。
「……ありがとうございます」
「ん」
それ以上、何も言えなかった。
──だって、聞いてしまったら。
今よりもっと、気になってしまいそうだったから。
……誰なの、あの子。
……なんでそんなに、気になるの。
まだ名前も知らない恋に、
私の心がゆっくりと、染まり始めていた。