知らない横顔
バイトを始めて、そろそろ三週間。
店の制服にもやっと慣れてきて、出勤前にネームプレートを逆につけることも減ってきた。
「奏多くん、あれで意外とモテるからね〜」
そんなことを言ったのは、白石先輩。大学四年生。バイト歴2年半、らしい。
その日も休憩室のベンチでアイスコーヒー片手にくつろぎながら、足を組んでいた。
前髪は軽くピンで留められていて、肩くらいの髪を無造作に結んでいる。
涼しげなメガネ越しのまなざしは、いつも誰かを「観察してる」感じがする。
「え、そうなんですか?」
「なんか信じてない顔してるけど、あんた、けっこう顔に出てるよ」
「出てないですってば」
私、日和は大学一年生。十九歳。
背が高いわけじゃないけど、動きやすさ優先でまとめてる髪と、
少し声が大きめなせいか、「元気そう」って第一印象を持たれやすい。
……元気は、まぁ、だいたい合ってる。
白石先輩は、女子だけど喋り方がさらっとしてて、男子のノリにもすぐ乗れる。
でも面倒見がよくて、わからないことはさりげなくフォローしてくれるし、
仕事ができるから、店長よりも正直頼れる。
「まぁね〜、あの人、ぼんやりしてる割にはさ、やたらタイミングよく助けてくれたりするじゃん?
そういうの、ちょっとずるいんだよね〜。なんか放っておけない感じ」
「……なんですか、それ」
「ほら、また顔に出た。」
奏多さんは、私より二つ上。二十一歳。
高い身長とゆるっとした髪のせいか、遠くからでもすぐにわかる。
制服の着こなしはラフなのに、清潔感はあって、
なんというか──無造作なのに絵になるタイプって、たぶんああいう人のことなんだと思う。
先輩の軽口に、私はカップを持ち上げて、そっとそっぽを向いた。
……いや、別にそういうんじゃないし。たぶん。
“ちょっとだけずるい”って、その言い方が、なんか引っかかった。
* * *
数日後のバイト。
シフトは私と奏多さんのふたりだった。
私はバックヤードで飲料の検品をしていて、彼はレジにいた。
お客さんの波が落ち着いて、少しだけ店内が静かになったころ、
奏多さんが裏にひょっこり顔を出した。
「氷、補充しといた。ついでにストックも見に来た」
「ありがとうございます。助かります」
冷蔵庫の前でちょうど箱を抱えていた私は、少しだけ体をずらして通路を開けた。
奏多さんは「よいしょ」と言いながら、棚に手を伸ばして補充用のアイスを取り出す。
その横顔が、なんとなく静かだった。
普段みたいな力の抜けた感じじゃなくて、
ふと、何かを考えてる人の顔。
ほんの数秒だったけど、私はその表情に言葉を飲んだ。
「……なにか、ありました?」
思わず聞いていた。自分でも、こんな声のトーンを出すつもりじゃなかったのに。
奏多さんは、その問いに驚いた様子もなく、
アイスの袋を手にしたまま、こちらに視線を戻した。
「ん? いや、別に。なんでもないよ」
「そう、ですか……」
なんでもない。
そう返されて、私はそれ以上聞けなかった。
──でも、なんでもなくなさそうに見えた。
あの一瞬だけ、少しだけ。
目の奥が、寂しそうに揺れていた。
その揺れが、私の中に、小さな波紋みたいに広がっていく。
私はこの人のこと、
出会ってから少しずつ知ってきたつもりだった。
でもたぶん、
まだほとんど、なにも知らないんだと思う。
──もっと知りたいって、
気づいたときにはもう、思ってしまっていた。