小話① 「静かな午後に、名前のない会話」
昼と夕方のあいだみたいな、少しだけ風のぬるい時間だった。
大学の講義が終わって、夜のバイトまでは少しだけ空き時間。
行きつけのコンビニでおにぎりをふたつ買って、いつもの石段に腰をおろす。
少し離れた場所に、猫が一匹。
こっちを見てるわけじゃないけど、なんとなく、見られてるような気がした。
「今日はツナマヨと、たらこ。どっちがいい?」
もちろん、返事なんてない。
でも、そういうのは別にどうでもよくて。
人に言ったら変だと思われるだろうし、実際バイト先の誰かに見られてた気もするけど──
まあ、今さら気にしても仕方ない。
俺はそっと、たらこおにぎりの包装を開けて、端っこをちぎって石の上に置いた。
ツナマヨを口に運びながら、隣にいる猫の背中をちらりと見る。
猫は黙って、こちらを見ることもなく、風に揺れていた。
それでも、ちょこんとちぎったたらこの欠片を、あとで静かに口に運ぶだろうことはわかっていた。
こういう時間が、たまにほしくなる。
誰かといるのも嫌いじゃないけど、話すのがしんどいときもある。
それでも、黙ってそばにいる“誰か”がいたら、少しは楽になる気がして。
「……新しい子、バイトに入ったんだよな」
ふと、口をついて出た言葉に、自分で驚いた。
別に、どうってことないはずだったのに。
なんで思い出したんだっけ──あの、よく喋る子。テンションがちょっと高めで、でも接客のときは緊張してたっけ。
「……猫ってさ、人間の感情とか、わかんのかな」
俺が訊くと、猫はゆっくりとこちらを見た。
鳴かない。目も細めない。ただ、見つめるだけ。
「だよな」
くすっと笑って、残りのおにぎりを頬張る。
そろそろ行かなきゃ、って時間を見て、立ち上がる。
石の上に残ったたらこの欠片は、少しだけ風に押されて転がった。
それでも、あとできっと食べるんだろうな。
いつもそうしてたみたいに。