第1話① 出会い──それは突然に あとついでに運命的に
「はあ……」
思わずため息が出ちゃった。
もう昔のこと。そう思っていたのに。
時間がたっても。あの時のことはまだはっきりと覚えている。まるで、昨日のことのように。
いや、むしろ、明日のようでもあるかも。
またああいうことが起きるかも。そんな不安が、かげぼうしのようにぴったりと私の後ろをつきまとう。
あの時のことは、昨日のことのように、明日のことのように、私──田辺 穂をしばりつけてくる。
「田中 沙織」
教室のドアの横に張られた新入生のクラス名簿の中にその名前を見て、胸がきゅーってなる。
入学……私、もう少し明るい気分で迎えられると思ってた。
「うわ、まだそんなの好きなの?」
「ねえみんな、この子、お人形さんでおままごとなんかまだやってんだって」
突然昔のことが記憶の奥底からはい上がってくる。
あの時田中さんに言われたこと言われたことが暴れ回って、私の心をぐちゃぐちゃにかき乱す。
これから入学式なのに……。
私はドアにあるガラスに自分の黒いショートボブが映っていることに気づいて、目をそらしながらドアを開ける。
今の私、どんな顔してるかしら。見るの、こわい……。
入学式。中学校三年間のスタート。そんな行事も、ぼーっとしてたら終わっちゃってた。
新しくて、ちょっとブカブカな制服に身を包んだ男の子に女の子……。
今の私には、まぶしすぎるよ。
「二中の制服って、けっこーかわいいよね」
六年生のときに、そんなことを話してたことを思い出す。
私も、この制服を着るのをとっても楽しみにしてた。
実際、公立中学にしてはかなりオシャレ。茶色いジャケットにえんじ色のスカートで、ジャケットには同じくえんじ色のリボンが付いてるの。
今日の朝に袖を通したとき、鏡の前で小躍りしちゃった。肩にちょっと届かないくらいの黒い髪が、我ながら制服に似合ってない? なんて思っちゃって。
私の朝の舞は、弟に見られて……。
すぐやめたけれど。
でも、制服着れたのがうれしくて、ママに見せびらかしたっけ。
弟の反応はそっけなかったけどね。
そんな風に新しい学校にワクワクしてたのが、もう遠い昔みたいに思えてくる。
ワクワクは、「田中沙織」の名前を見てふっとんじゃった。
今は、新しいクラスのホームルームをしている。
でも、私はうわの空。
考えごとをしちゃうの。
だって……。
運命のイタズラか、それとも神さまが私を嫌いなのか。
どっちか分からないけど、「田中沙織」は私のすぐ前に座っている。
私は田辺で、あの子は田中。
名前の順だから、仕方ない。
そう分かっていても、ため息が出ちゃう。
もちろん、前の田中さんに聞こえないように、小さめに……。
入学式の日は、たくさんのプリントが配られた。先生が列ごとに配って、前から後ろへと回されていく。
田中さんは、私のすぐ前の席。
プリントを回すたびに田中さんは私の方を向く。
田中さんは髪の毛が長くて、パーマでふわふわしてて、明るい茶色なの。茶色もパーマも天然みたい。羨ましいよね。あと、顔もいい。ツンとした感じで、目も鼻もシュッとしてる。特に鼻が高くて、「美少女」って感じ。かわいくて、りりしいの。
ふわふわの髪をゆらして、私にプリントを回す。りりしい目も、目線を右に左にキョロキョロ。
目が合いそうで、合わない。
田中さんも、意識しているのかも。
気まずいよ……。
ホームルームが終わって、私はのんちゃんにトイレに誘われた。
のんちゃんというのは飛鳥田 花音ちゃんのこと。
ポニーテールでちょっとつり目の、強い女の子。
走ると、その明るい茶色の髪の毛がなびいて、とってもカッコいい。
強いだけじゃないよ。とってもやさしいの。
私とは違って、スポーツ万能で、クラスの人気者。いっつも周りには友達がいる。
私とは全く違うタイプなんだけどね、なんかずっといっしょにいる。
「親友」。お互いにそう言ってる。
のんちゃんと違って、友達が少ない私にとっては、大好きでかけがえのない親友。
のんちゃんがどう思っているかはわからない。
ちょっぴり不安になるときもあるけど、りんちゃんは私によく構ってくれるし、遊んでくれるし、私の話を聞いてくれる。
そんなのんちゃんとも同じクラスになれたのは、ほんとにうれしかった。
のんちゃんと私でトイレに向かう途中、しばらく黙って歩いた後、のんちゃんが口を開く。
「なあ、りんちゃん……」
のんちゃんは私のことを「りんちゃん」と呼ぶ。
のんちゃんと私は、保育園の頃からいっしょ。
最初の頃は「みのり」に「ん」を付けて「みのりん」なんて呼ばれてたっけ。
「ねえね、みのりん。みのりんの、りんってとこかわいいな」
「そう?」
「りんりんって感じだもん。みのりんっぽい」
「わあ、うれしい! よくわかんないけど!」
「じゃあ、りんちゃんってよぶ」
「うん。じゃあ、かのんちゃんは……かのん、のん……のんちゃん!」
こんなよく分からないノリで互いの呼び名が決まって、それからずっとこう呼び合っている。
あれから、のんちゃんはスポーツが上手になり、強く、かっこよくなった。あんまり人のことを「ちゃん」ってつけてよばないけれど、私のことはずっと「りんちゃん」ってよんでくれる。
それが、とってもうれしい。
「……田中、すぐ前だな」
のんちゃんは、唇を噛みながら言う。
「……うん」
「……大丈夫?」
「そんな……心配しないで。私、大丈夫」
私は、ちょっと無理してそう答えた。
親友に心配させたくない。
のんちゃんは、保育園の頃から泣き虫の私を守ってくれてた。これ以上心配をかけるのは悪いよ……。
「大丈夫ならいいんだけどさ……」
のんちゃんは、いつものはつらつとした顔を曇らせた。
「あっ……」
のんちゃんは突然小さくつぶやく。
私が顔を上げると、トイレから田中さんが出てくるのが見えた。
田中さんも私達に気付いたみたいで、一瞬固まっちゃていた。
田中さんは、ぶつからないように私達を大きくよけて通っていく。
お互いにお互いのことをとっても気にしているのに、目は絶対に合わない。合わせられない。
なんか、落ち着かないな……。
田中さんも、きっとそうだよね……。
私が心配することじゃないかもしれないけど、なんだか田中さんの気持ちも想像しちゃって、私……。