第4話⑥ こんにちは異世界
マーシャちゃんには、ナツキちゃんの様子をまた見に行ってもらった。
あと、ナオフミさんが家出をまったく心配してないっていうのは勘違いだってことも、マーシャちゃんに伝えた。起きたら伝えてもらうの。
ナツキちゃんはマーシャちゃんに任せて、私はこのおじさんのお菓子作りのお手伝い。
なんかヘンテコな状況ね……。
……まあいっか。
今考えても仕方ない。
さてさて、チョコを刻んで、卵を黄身と白身にわけて、お湯を沸かして……。
慣れない料理にぎこちなく動きながらも、ナオフミさんは少しずつ進んでいった。
チョコレートを湯煎して、卵の白身と砂糖をよく混ぜる。そこに溶かしたチョコレートとバターを入れて、生地を作っていく。
ここまではいいんだけど……。
卵白に砂糖を入れて、メレンゲを作る。これがも~大変。私ならハンドミキサーとか使っちゃうところ。でも、この世界にはなさそう。結局、ナオフミさんが何十分もまぜまぜまぜ……。
私は応援するくらいしかできなかった。
代わりますよって言っても断られちゃったから。
何十分もそんな感じで、やっとなんとかそれっぽくなってきたところで、生地にメレンゲと小麦粉を入れるの。で、混ぜたら完成。
型に入れて、オーブンで焼くの。
オーブンの火加減だけは、食堂の料理人さんが手伝ってくれた。
オーブンで焼いてる途中、火をぼーっと見ながらナオフミさんが言った。
「ここまで親切にしてくれるなんて、思ってなかったよ。……なんで?」
「なんで、でしょうね。ナツキちゃんの友達だからですよ」
友達だから、というのはウソだ。まだ会ってちょっとしか経ってない。
でも、私は説明できる理由がなかった。
なんでだろう……目の前でナツキちゃんが困ってたから、としか言いようがない。
「ナツキの口から、あんたら二人みたいな人のこと、聞いてないけどね」
「……」
「特にあのマーシャって子。だいぶヘンだ。ま、穂さん、あんたもヘンだけどね。特にその格好。いったいどこからきたのか知らないが……」
うう、バレバレ……。
ごまかすにも限度があるかぁ……。
なんて考えてたら、
「ありがとう、な」
ってナオフミさんが言った。
直球の感謝の言葉。なんかうれしいな。
別にこれを言ってほしくて色々やってるわけじゃないけれど。それでも。
言ってもらえると、やってよかったなって思えるわ。
あっ……そうだっ!
「ふふ。いーいこと考えちゃったわ!」
「いーいこと?」
そうしてできたお菓子は、店の氷室のすみに置いて冷やして持って行った。
「あ、穂!」
マーシャちゃんだ!
私とナオフミさんはガトーショコラを持って、ナツキちゃんがいるという山にやってきた。
ってことは、この辺にナツキちゃんがいるはず……。
「ナツキ……」
ナオフミさんが見上げるその先には、木の枝で組み上げた秘密基地が、木の上にあった。
「ナツキ!」
ナオフミさんが呼ぶと、むにゃむにゃ言いながら、ナツキちゃんが起き上がる。
寝起きだから、状況がイマイチわかってない感じだったけど、五秒くらい遅れてナオフミさんに気づく。
「パパ! なんでここに⁉」
「お前に渡したいものが……」
「私のことなんて全然考えてないくせに……」
ナオフミさんの言葉をナツキちゃんが遮る。木の上から見下ろして、ナオフミさんをにらんでいる。
「それは誤解だ。俺はお前が家出してるって思ってなかったんだよ。ただ遊びに行ってると思ってたんだ」
「ウソだ。だって、オーナー室に家出したって手紙置いといたはず!」
「なかったんだよ。それが……」
「そんなはず……」
「ね~、その紙、ポケットに入ってる、その紙な~に?」
マーシャちゃんが会話に割って入る。
ナツキちゃんはその紙に今さら気づいて、緑の服のおしりのポケットから取る。
「なにこれ……家出しま……」
途中まで読んで、ナツキちゃんは顔が真っ赤になった。耳もほっぺも全部真っ赤っか。
「あ、え……これ、忘れ……?」
「はあ……もうちょっとこう、あれだな、家出するにしても、もそっとスマートにだな……」
「……」
ナオフミさんの茶々に、何も言い返せてない。
「まあ、つまりだ。誤解なんだよ。家出してるって知ってたら、もっと心配してたよ。これほんと。パパウソつかない」
「……わかった。それは信じる」
ナツキちゃんはこくんとうなずいた。
「これ、一緒に食べよう」
ナオフミさんは二つのガトーショコラを出す。
そして、私が提案した通り、アイシングで文字が書いてあるの。
「ごめん 父より」
って。
なんかそっけないけど、ナオフミさん、一生懸命書いたんだから。
大きくて、文字が書いてある方を木の上にあるナツキちゃんに投げ渡す。
ナツキちゃんはキャッチして、食べ始める。
ナイスキャッチ。ナツキちゃん、まるで猿みたいに木になじんでる。よく遊ぶのかな。
ナツキちゃんはガトーショコラを一口食べる。そのまま、無言で二口目。そして三口目……。
一気に食べちゃった。そんな様子を見て、ナオフミさんはニヤリと笑った。
食べ終わって全部飲み込んでから、ナツキちゃんは、
「甘い……でも。手紙読んだでしょ? ホテルも食堂も、だと大変。私、ちょっとだけさみしい」
「それは……すまん。無理だ」
「……なんで? それってやっぱり私が……」
「違う。絶対に。でもな。このホテルも食堂も、お前の母さん……お前は会ったことないな。でも、写真は見せたろう。その母さんの家が経営してきたものだ。流れ者で不良だった俺は……母さんに恋した。不覚にもだ。燃えるようなのをね。母さんの父さん、つまりお前にとってはおじいちゃん、やっぱりお前は会ったことないな、まあそれはともかく、そのおじいちゃんに土下座で約束して、婿養子にさせてもらったんだ。絶対にこのホテルと食堂を潰さない、母さんを絶対に幸せにするってな」
「……」
ナツキちゃんは何も言わない。
唇にきゅって力が入っている。
何も言わないっていうか、何も言えないって感じ。
「母さんは、一人娘だったんだ。だから、お父さんを説得するの、すっごい大変だった。なんだこのクソじじいって、心の中で思ったもんだ。でもな。お父さんの気持ちも、やっぱり正しい。……親には親の理屈があるんだって思った。母さんも、自分が育ったこのホテルが大好きだった。俺にできることは、このホテルと食堂を守ることだ」
ナツキちゃんは、ナオフミさんをじっと見つめてる。
「……それ、なんで早く言わなかった?」
「ん、まあ、照れくさいから」
「……そっか」
ナツキちゃんはくすっと笑った。
ナオフミさんも笑った。
「店を守るって想いが空回りしてたところがある。めんどくさい客がお前にイチャモンつけてきたときに、お前を守らなかったのは、親失格だったなって思ってる」
「うん……反省して」
言葉はトゲトゲしてるけど、ナツキちゃんの目がキラッと瞬いた。
それを誰にも見せまいと思って……なのかはわからないけれど、ナツキちゃんは枝を両手でつかんでくるっと回りながら下に降りてきた。
なんてアクロバティックなのかしら。
ナツキちゃんはパパに抱きついて言った。
「反省したから……許す」
「ああ……ありがとう。さみしい思いさせてごめんな。これからもさせると思う。これからも、こうして許してもらえると、俺は助かるよ」
「うん……でも、ごめん。パパの仕事、このホテル。まだ好きになれないや。だって、さみしいのはさみしい。変わんない。でも、パパのことは好き。えーと、あと、あのケーキみたいの、甘くておいしかった。あんなのパパが作ってくれたの、初めて」
ナオフミさんの目にも流れ星が見えた気がした。
ナオフミさんはナツキちゃんの体をそっと包み込むように抱き返した。
「もっとあーゆーの、作って。それくらいの時間を、もっと家族に使って……」
「ああ……ごめんな……分かったよ」
二人を夕方の眩しい光が包む。
私とマーシャちゃんはそれを、ちょっと離れたところから見守るくらいしかできない。
やけに優しい光が、私の目を照らしたの。