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キッサキハシレ、ツキトワラエ  作者: 葛城 聡
一章 恋々風塵
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デイジイ

 ヒナギクは思っていた。長生(ながたか)が抱いてくれればいい。

 うまくいけば、自分はどこの馬の骨かわからん悪党の子を宿すことになる。

 もう、自分の役割は終わる。価値がなくなる。

 そもそも、価値はなかったのだ。卑賎(ひせん)の身に生まれた母の子だった。でも、父がそうでなかった。それでも、貴族社会であれば無用だ。でも、武家には意味があった。子どものころに京を離れ、武家と寺社をことごとく回った。いずれ、自身を与えられる場所を探すためだ。

 正しき名は名乗れない。いや、正しき名などない。でも、父が思うべきことを成したとき、自分は価値になる。そのとき、名をつけられ、必要な相手に与えられる。それが自分だ。

 生まれて、生きて、死ぬ。その流れを考えたとき、いつも涙が出た。母とともにあった摂津で、咲いては枯れる花を知った。

「かわいい花。なんて名前?」

 少し物知りな船乗りが教えてくれた。

「デイジイ。遠い異国では、どこにでも咲いてる花らしい。小さな菊みたいなもんじゃ。ヒナギクとでも言えばいい。でも、ここでは夏を越せん。咲く場所を間違えたな」

 その花が、好きになった。春を過ぎるころにだけ、港近くの土くれの上にこっそり咲く。そして、枯れる。

「私みたいな花じゃな」

 その儚き花が好きになった。いつも俗称が必要な生き方だった。だから、それを名乗った。


 いつか、殺される運命を生きているとはわかっていた。

 局面ごとの勝ち負けを決める中、その駒に与えられるのが自分だ。局面が変わる中で、駒は価値を失い、自分は死ぬ。そして、忘れ去られていく。

 そういうものだと、あきらめていた。

 でも、そこにも至らないわけのわからない中、横死すると思った瞬間がきた。

 こんなところで死ぬのだと、自分のつまらなすぎる運命を呪った。

 でも、目の前の左利きの男は、使わない右手を精一杯に広げ、死なない道があると教えてくれた。

 必死にうなずいた。

 男は信じられぬ剣さばきで、自分の生を伸ばしてくれた。


 美しき偉丈夫に見えた。だから、切ない問いを心で投げた。届くはずはない。

(キミハ、ナゼ、ワタシヲ、タスケタ?)

 男は通りすがりの犬を大事にした。次に自分に笑った。血の匂いがする中なのに、とてもやさしい。ヒナギクはその顔が忘れられない。

「食おう」

 そう言って出された食事は、心の奥が温かくなるほどにうまかった。犬を抱いて、偉丈夫に守られて眠る夜も温かかった。幸とは、こういうものの気がした。

 次の朝、このうつつの景色が違って見えた。

 笑ってくれる偉丈夫を見て、何もかもわかる。

(キミガ、スキダ!)

 心にそんな言葉が浮かぶ。ウソだろう、と思った。もう一度、その人を見る。胸が大きく鼓動する。まっすぐ見るのが、つらい。でも、見ていたい。

 生まれてはじめてのことだった。


「長生、寒い。約束を果たせ」

 風よけの中で犬と横になっているヒナギクが言う。

「もう少し、火の番をしてから、ヒナの横に行く。心を安んじて眠ればいい」

 長生が返すと、ヒナは少し怒った顔になる。

「長生がおらんと、心は安んじられん。来るのじゃ」

 久しぶりなので、甘えたいのだろう。仕方なく、長生はヒナギクの横に寝転がる。

 うれしそうに彼女が笑う。長生の手を両手で握って遊ぶ。

「長生はヒナを好いてくれておるな?」

 そういう話がしたいのだろう。だから、笑う。

「そうじゃ。ヒナが好きで好きで、どうにもならんのが長生じゃ」

 そう返してやる。ヒナギクは笑うと思った。

 でも、違う。もっと切羽詰まった顔になる。どうした? と思ったときに不意を突かれた。

 ヒナギクは握った長生の手を、自身の衣の合わせの間に突っ込んだ。彼女の小さなふくらみに触れてしまう。

「長生、私を女にしてくれ」

 驚く。だが、乱暴に離れてはいけない。いや、離れられなかった。身体が男として反応してしまう。うろたえる。

「私に幸を与えてくれ。長生が好きじゃ。ずっとずっと、温かくしてくれ」

 ヒナギクが必死なのだとわかる。だから、そっとゆっくり手を離し、彼女の頭を抱え込む。小さな唇が見えた。自分のそれを重ねる。両腕の中にヒナギクを収め、そのまま動かなかった。

 少しして、離れる。指でヒナの涙をぬぐってやる。

「ヒナはワシの宝物じゃ。だから、もっと温かいところで、夫婦になりたい。もっと心安んじられる場所で、ヒナを慈しみたい」

 でも、彼女は顔を振る。

「いやじゃ! 今がいい。いつ、離れてしまうかもしれん!」

 何を言ってもムダなのだろう。だから、長生は強く彼女を抱きしめる。男であることも隠さなかった。


 信じられないほどの幸福感が、頭の先まで突き抜けていく。

 ただ、長生の腕に抱かれただけだった。でも、その人の心を強く感じた。同時に自分はまだまだ娘なのだと思う。彼の全部を受け入れる準備ができていない。

 なのに、長生はウソをつかなかった。隠さずに、自分を大切にしていることを示してくれた。うれしくて、心地よくて、どうにもならない。

「ごめん。なんでもいいから、長生と一緒になりたいと思ってしまった。もっともっと、幸ある未来を見ていなかった」

 ヒナギクはなんとか言葉にする。長生が、また強く抱きしめてくれた。

「ヒナはかわいいな。大好きじゃ」

 その言葉と温かさで、今日は十分だった。

「私はこんなに幸せじゃ」

 心地よさの中、眠りが訪れた。



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