うつつの中で
山の上でいつものように風よけの寝床をつくる。夕方にはまだまだ時間があるが、今日はその予定なのだ。
「どう?」
長生が街道を見張るところに、ヒナがやってきて聞く。
「ヒナがいたことを、薄々は知っていたようじゃな。武装した騎馬が駆け抜けて行ったわ。まあ、師直殿が出した足利領への使いに出会うだけじゃ」
「空振りして、戻ってくる。そのときは、どうする?」
彼女の問いに、長生はヒナの頭をグリグリする。
「どうもせん。アホな妹を連れて上方に向かうバカっぽい武家に会うだけじゃ」
ヒナギクはうれしくなる。
「アホとバカじゃな。犬もそんな感じじゃ。でも、実は賢いのじゃ、犬もな」
ニヤニヤ笑う。
「ヒナ、ここは水の便が悪い。今のうちにアホな犬連れて汲んで来い」
ヒナギクはうれしくて仕方ない。
「わかった。その代わり、今日は抱っこしてくれや。ヒナをいっぱい眠らせてくれや」
かわいいな、と思う。クシャクシャと頭をなでてやった。
持ち運びに不便なものは持ってこなかった。だが、高師直らがいろいろと用意してくれたのだ。
火打石も油も、えらく使い勝手がいい。薄く大きな布は旗にも使うものだと言っていた。でも、それが風をよける価値ある覆いになった。
「これは温かいぞ。寺社や屋敷よりも、長生とツキと過ごすここが極楽じゃ」
屋根になる枝葉の下に敷かれた薄黒い布の中にヒナギクは入り、そう言っていた。
「今日は、鳩ともらってきた米を煮た。うまいぞ」
ツキが興奮気味だ。鍋をずっと見ている。その鍋も、軽く薄い鋼のものを師直に与えられていた。同じ材質の器も3つあった。
それぞれに具材をとり、犬以外のものに味をつける。
「食おうか。ヒナと長生、ツキ、いつもの家族の飯じゃ」
長生が少ししゃれて言う。でも、ヒナが少し止まる。ツキもなぜか、止まった。
「家族、なんじゃな! 長生という豪傑で策士が、アホな娘と、食い意地だけの犬の棟梁になってくれるのじゃな?」
ヒナが変に感動するので、長生はうなずく。それくらいは、どうということないのだ。
「娘と犬くらい、食わせてやるが……」
うれしい。ヒナギクはそれがうれしい。
(よかったですなあ!)
犬も喜んで彼女をべろべろとなめる。長生は不思議な気分になる。
「いいから、食え」
言うと、娘と犬が食い物に飛びついた。
「おいしい! うまい! 最高じゃ」
娘と犬が喜んでいる。変な話なので、長生は言う。
「もっとうまいものはこの世にたくさんあるぞ」
ヒナがニィーっと笑う。犬も目をキラキラさせて見ている。
「ない。長生とツキと食うものほど、おいしいものはない! なあ、ツキ?」
(おっしゃる通りですわ!)
聞かれた犬がくるくると走り回る。空になった器をくわえ、長生の前に置く。
「ツキ、おかわりか?」
(くだされ。ぜひにくだされ!)
ツキは地面をかいてねだる。長生を必死に見る。
笑いながら、鍋から具を注いでやる。さっそく、犬がガツガツと食う。
「ヒナも食うやろ。しっかり食べて、元気なええ娘になれ」
彼女の椀にもよそう。
「うん。しっかり食べて、長生の嫁になるんじゃ。長生が、かわいい、かわいい、と止まらんような、美しい姫になるんじゃ」
ヒナギクがうれしそうに言う。
「もう、ヒナは十分にかわいいぞ。健やかであってくれ。長生はそれで十分」
そう返す。でも、ヒナギクは止まれない。
「いやや! もっともっと、長生に好かれたい。ずっとずっと、かわいいと言われたい!」
必死だった。生まれてはじめて、安心できる場所を見つけたのだ。もう、次はないとさえ思う。ヒナギクは、この時間こそをつなぎたい。
長生も、そこに気づく。
「ヒナ、大丈夫。長生はどこにもいかん」
急にヒナギクは安心してしまう。何にせよ、今日は長生とツキしかいない夜。涙がボロボロとこぼれる。
「今日は、抱っこして、ね。夢の中じゃなく、このうつつの中で……」
ヒナは必死に言う。長生は彼女を引き寄せた。腕の中に小さな命を抱えて、この夜を過ごせばいい。