皇の剣
「お、めずらしく、うまそうな匂いがするの」
ひとりの中背の武者が廊下を渡ってくる。後ろには、大柄な者。
庭先で鍋を食っていた者らがひれ伏す。高師直さえ、そうした。
「ヒナギクの君、ですな。少し、向こうでお話でも。その鳥鍋の椀をふたり分いただければ、なおいい」
色の白い中背の武者は言う。
「高氏やな。せっかくやから、お食べ。後ろの御人も。ただし、家臣の関長生も剣を手に同席じゃ。師直も来い。ええな!」
ヒナギクに言われた高氏が笑う。後ろの武士が長生を見ていた。
「ほぉ、これはうまい!」
この足利屋敷の主である、足利高氏が肉を口にして言う。隣に座った大柄の武士も食っている。
「うまい、ですな。味噌と山椒、あとノビルの香りがいい。ありがたい」
武骨に笑う。
座にはこのふたりと、上座にヒナギク。離れたところに、関長生と高師直。
「ヒナギク君とは、数年ぶりになりましょうか?」
高氏の言に、ヒナギクが応じる。
「武家の屋敷をウロウロするのが私の役目。そんなものだろうな」
高氏が少し複雑な顔。
「少し変わられましたか? 何か、大胆で、安心しておられる」
ヒナギクがニヤニヤ笑った。
「ひとりでなくなったからな。私には家臣ができた」
高氏が長生を見た。長生は頭を下げるしかない。
すると、高氏の横にいた大柄な武士が声をかける。
「関長生と言うたか? あの、上野、武蔵の関羽と呼ばれる?」
長生は頭を上げない。ヒナギクが少し驚く。
「長生は有名なんか?」
大柄な武士が笑う。
「有名も何も、三国志、蜀の左将軍、関羽のような武勇と呼ばれております」
この時代、知識層には、すでに唐土の千年前の歴史書である『三国志』は知られていたのだ。そして、長生の方を見る。
「はじめてお会いした。関長生殿、新田小太郎義貞と申す」
そうあいさつし、高氏に言う。
「知っとるか、高氏殿、関羽の元の名は、長生らしい。この武者はその生まれ変わりと言われとるのだ」
長生はようやく言う。
「おふたりの前で、名乗るほどの名ではございません」
まあ、たしかにそうだった。足利は鎌倉幕府を開いた源頼朝の血統が滅んで以降、源氏の棟梁的血筋だった。だから、北条得宗家はその血を婚姻で取り込むことで、地位の正当性を得ようとした。
新田の場合は、鎌倉幕府成立時から源家との分離感があり、幕府で重きを得ることはなかった。しかし、足利以上に源家の棟梁的血統にあった。表向きは足利の分家のように見えながら、新田こそ源家と思う武家も多いのだ。
「長生、恐縮なんかするな! お前は私の剣じゃ! 足利、新田、ナンボのもんじゃ!」
ヒナギクが言う。長生はこの期待に応じなければならない。
「皇の剣、ということですな」
高氏の言をヒナギクは否定しなかった。
「少し、見てみたい、というのは、傲慢ですかな?」
高氏は軽く脅す。たまらなくなって、高師直が言う。
「私がもう見ております。長生殿の弓馬の術は、鎌倉ではめずらしいほどの域。さすが、皇の剣かと」
師直は高氏にやめろ、と暗に言った。
でも、高氏は肯んじない。
「武というのは、守るべきものあるからこその強さ。坂東武者はそれがあるから、強い。皇の剣とやらの、それは本物か?」
高氏はわざと長生を挑発する。師直は何らかの形で自身が長生と打ち合おうかと思った。気に入ったヒナギクたちとの関係を丸く収めたかったのだ。
すると、新田小太郎義貞が笑う。
「長生殿、棒切れで勝負せんか? 関羽の豪剣、味わってみたい」
義貞を見る長生。うなずいた。
足利屋敷の庭で、それは急に実現した。
この時代、鎌倉の近くでさえ、人や物の行き来には防犯上の不安があった。でも、圧倒的な実績を誇る用心棒がいた。
社会に肯んじない存在、つまり、悪党と呼ばれた者のひとりであり、大太刀を振るう。それが関長生だったのだ。
対して、正統武家の側にも豪傑とされる人がいた。新田小太郎義貞。新田荘の主で、物流拠点を差配しながら、剛健な身体で武勇を轟かせていたのだ。
「新田殿の名誉のために、負ければ、よろしいか?」
棒切れを手に、長生は義貞を見据える。しかし、奥から声。
「長生、負けるな!」
ヒナギクだった。それで、長生はシャンとする。棒を剣のようにぶら下げる。
「ならば、勝ちましょう」
長生の言に、義貞は少し笑った。
「こういう男だったか」
義貞はつぶやいた。ヒナギクの声を聞いた途端、関長生の棒は切っ先に殺気をはらんだ。
ヒナギクは絶対的な守護対象なのだ。
次にどう動くのか、わからない。ならば、強引に動く。そして、探る!
義貞は鋭く突いて出る。
長生の足が動くと同時に棒が走った。
はじかれた! 逆、方向?
感じたときには、目の前に踏み込んできていた。棒を立てる。防ぐしかない!
バンッ!
長生の棒が義貞のそれを打って、砕いた。
義貞はその事実を受け入れるのに少しの時間が必要だった。