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キッサキハシレ、ツキトワラエ  作者: 葛城 聡
一章 恋々風塵
4/85

足利屋敷

 鎌倉へは、朝比奈の切通しから入った。これが足利屋敷には近く、さらに鎌倉に捕捉される率が低いからだ。

 足利屋敷の搦め手(からめて)で、長生(ながたか)は低い声で言う。

「やんごとなき姫をお連れしました。ヒナギクの君、とお通しください」

 少し待つと、裏門から通される。

「姫はこちらへ」

 そう言われたヒナギクが、まず、一発入れた。

「私をひとりにするな。関長生(せきのながたか)と犬のツキは家臣じゃ。その護衛なき限り、どこにも行かん。誰とも会わんぞ」

 取り次いだ武士が驚く。そこで、長生が目を合わせて笑う。

(姫様のご機嫌を損なわぬように)

 そんな合図を送る。相手が理解する。庭先のある客室に2名と1匹で通された。

 ニヤニヤ笑うヒナギク。庭にはツキもいる。

「こんな感じで長生を侍従のように扱えばいいのじゃな」

「ある程度は、それで行ける。犬は離されそうになるごとに、泣きわめけ。ヒナは変人として、理解される」

 小さな声で応じる。

「まあ、私は変人じゃ。遠い解釈ではない」

「長生は変人を好いたとは思っておらんが」

 さらに小さな声で言うと、ヒナギクは安心したような顔になる。

「大好きじゃ。長生」

 もっと、その声は小さい。


得宗(とくそう)様は闘犬好きで、あんなにお犬を大事にしておるのに、なんや、お前らは!」

 翌日、庭先でヒナギクが怒った。担当の武士がひれ伏す。ツキに適当にエサをやろうとしたからだった。

(どうしましょう?)

 ツキが情けない顔をして見ている。

「でもまあ、わからんでも仕方ない。ならば、今日はツキと鶏でも食おう。長生、ツキ、少し裏山にでも出よう」

 担当は驚き、止めようとする。

「鳩をふたつみつ、射るだけじゃ」

 ヒナギクは押し通した。

 そして、実際に山に出る。長生は弓を絞って、鳩を射た。ツキが走って持ってくる。どうということない、武士的な時間。

「せ、関殿の弓は神技のようですな」

 いつしか、担当武士の感覚も変わっていた。

 それだけではない。夜は庭先でその鳩を鍋にして煮た。野営のときと違い、器も調味料もたくさんあった。長生があれこれと調理する。

「お前も、ごくろうさん。おいしいから、お食べ」

 担当武士は仕方なく食う。そして、驚く。

「おいしいやろ? だから、犬のツキは私の家来じゃ。鳥を射る長生も同じじゃ」

 ヒナギクに言われて、長生は黙ってひざまずく形にする。ツキは、まあ、食っている。

「おっしゃる通りです。姫様は坂東武者(ばんどうむしゃ)の生活を、誰よりもご存じのようで、恐縮いたします」

 そうなのだ。これこそが、武士が興ったこの地の生き方なのだ。担当者は感動さえしていた。

「関殿の弓も犬のツキ様の動きも、まさに武士の生きざまです。しかも、この鍋は恐ろしくうまい……」

 どうやら、警護につけられたこの武者の心も、ヒナギク一行は手に入れた。

「名は何という?」

高師直(こうのもろなお)と申します」

 ヒナギクは微笑む。

「師直、うまいなあ。お前も家来になるか?」

 彼女の笑顔に、師直は少し以上に、心が揺れた。


 高師直の影響を受け、足利屋敷では長生の弓術を学ぼうという者が多発した。理由は、うまい鍋が食いたいからだ。

 ヒナギクの拠る客間の庭先で、長生は弓の講義をする。幕府の政治官僚的に育ってきた若い武士たちにとって、それは、少し日常を変える刺激だった。

「矢はまっすぐ飛ぶものではない。こう矢が飛ぶという線を心に描き、そこにちょうどよく、矢を乗せる」

 そう言って、長生は弓を射る。見事に当たる。

「この腕で、長生は私の家来になった。おぬしらも、精進せいよ」

 ヒナギクが笑う。この快活な姫は、なんとなく、足利屋敷の華になりつつあった。小柄で美しい姫と大柄かつ屈強な武人、白くマヌケな犬という取り合わせが、少しの幻想を感じさせたのかもしれない。

「で、鳩の鍋はされるのですか? 今日は最後に米を入れてみたいと……」

 参加した若手たちが口にする。

「長生、教えたれ!」

 ヒナギクが言う。長生は前に出て説明する。

「鳩でもキジでも、量が足りれば、いい出汁が出る。その汁を米に吸わす。まあ、うまい。足りるくらい、射てみい」

 若い武士たちが小躍りする。この好奇心は、軍は強くするだろう。

「ヒナギク君、長生殿、なるほど、若い者をそう導くか!」

 言ったのは師直だった。

「みんなでおいしいもん食べたら、強くなるんよ。せやから、ヒナとツキと長生の主従は、もう、国士無双(こくしむそう)なのじゃ!」

 ヒナギクが笑う。

 夕方には、ヒナギクが居座る客間の庭に、盛大に複数の鍋が設けられた。長生が味を調えるように鍋の周りを走る。

「長生殿だけにやらせるな! 気を遣え」

 師直が言う。貴族的に何もしないことが身についた連中が、急に動き出す。

「長生殿! 何をいたしましょう?」

 どいつもこいつも聞く。顔をゆがめる長生。師直を見ると、やってもいいと、うなずいている。

決めて、長生が怒る。

「いちいちお前らのこと考えられるか! ワシの頭はひとつじゃ。人の指示待たずに、うまい鍋に何がいるかを考えい。ムダでも誰も怒らん!」

 ヒナギクと師直が笑う。

(そうですぞ。おいしゅうなるようにそれぞれ役を果たすんですわ)

 ツキが若者らの周囲で暴れはじめた。

 器を用意する者が出てきた。盃や酒を持ってくる者もいる。そして、長生に声をかける者もいる。

「味噌は入り用ですか?」

 長生はハッキリ返す。

「必要じゃ。さらに、酒、ネギかノビル、ショウガ、山椒、昆布がない。なくてもいい。でも、あればさらにうまくなる」

 若者は驚き、次に動いた。

「いくつかをそろえられます。少しだけ、お待ちを!」

 あわてて、屋敷内に駆け込む。


 庭に煮られた鳥の香りが満ちる。

 参加した若手の武士たちが、野趣あふれる味に舌鼓を打つ。

「狩りで得た鳩やキジ肉とは、こうもうまいものか!」

「最後に米を入れることを長生殿に了承してもらった。腹いっぱいに食えるぞ」

 小さな狩りの興奮と、その後の飾らない時間に、みんな楽しくなる。

「おいしいやろ? 生きてるって楽しいなあ」

 ヒナギクが言う。参加者の全部が、彼女の素性を知らない。でも、分け隔てないこの姫を、みんなとても大事に思う。

「ヒナギク様! 本日は私共にもこのような御振る舞いいただき、かたじけなく……」

 若い武士が言うと、ヒナギクはめんどくさそうにさえぎる。

「かたくるしいのは、やめ。おいしいもんには、正直に向き合いなさい。私は、そんな人が好きよ」

 彼女の言葉に、武士たちが少し呆ける。珠のように美しい姫だと思ってしまう。



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