表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
キッサキハシレ、ツキトワラエ  作者: 葛城 聡
一章 恋々風塵
3/85

もう、泣くな

 明日は鎌倉に入るという前夜。この日はキジを早々に射ており、ヒナギクもツキもそれが楽しみで仕方ない。路銀もあったので、長生(ながたか)は宿所を使うことも考えたが、犬がいるし、やはり、危険にも感じた。やはり、人の少ない山に入ることにした。

 日没にはかなりの時間があるが、進むことをやめる。

「芋や香草もそこらにあった。みなで採りに行こうか」

 少しの荷物を風通しのいい場所に置き、ヒナギクとツキを誘う。三つ葉などをむしり、芋を掘る。泥だらけになって遊ぶヒナギク。

 

「そこの川原で少し身体を洗ってこい。何かあったら、ツキに叫べ」

 ヒナギクはうなずき、犬と川原に走る。その間に倒木を立ち木に渡し、風よけをつくる。火を起こすかまどをしつらえる。

「長生、気持ちいいぞ。お前も洗え!」

 戻ったヒナギクが濡れた髪を後ろで結んでいた。美しい娘だと、思ってしまう。

 その横で犬が身体を震わせ、水をはじいている。

 なんとも平安な景色だった。

「そうさせてもらおう。火は起こしておいた。少し、見ていてくれ」

 川原まで行き、顔を洗い、髪を水にくぐらす。何とも気分がいい。衣を脱いで、ざぶんと浸かる。手拭いで身体を拭く。キジを肉にし、芋を洗う。

 多くの時間を使わずに、戻る。


「おお、よい男ぶりじゃ。長生は女子に好かれような」

 ヒナギクが笑ってこちらを見ている。長生も笑うしか応じようがない。

「ツキも、キレイになった。ホンマ、お月様みたいな犬じゃろ」

 その白い犬は後ろ足で耳をかいている。

 鍋には湯が沸いていた。肉と芋を放り込む。

「おいしいんやろうなあ。楽しみやなあ」

 ツキをなでながら、ヒナギクは鍋を見つめる。

「途中で味噌を少し購った。特別にうまくなる」

 長生は荷物から小さくくるまれた竹の皮をとりだす。人の多い宿でこっそりと買っていた。そういう場所は逗留せずにやり過ごせば、人目は引かないものだ。

 鍋が煮えてきたところで、ツキのためにある程度の具をとりだしておく。そして、味噌と香草を入れる。香りが広がる。

 長生がいつものように大きな葉と椀に取り分ける。自分は今日の棒切れを手にする。

「食おうか!」

「いただきまーす!」

 犬と娘が、それぞれの食い物に飛びつく。長生も棒切れで肉を口に持っていく。

「はぁー、うまい」

 顔を見合わせて笑う。犬は食っている。

(うまいですわ。沁みわたりますわ)

 本当にうまそうに食う犬だ。長生はこの時間が好きだった。


 風よけの中で、ヒナギクは寝ているツキの背中をなでていた。長生が注いでやった椀の汁を口にし、彼を見る。

「こんなに(さち)を感じたことはない。私は長生と過ごす、この時間がよい」

 今日で最後なのだ。明日はほどなく鎌倉だ。いや、鎌倉には深く入らない。その離れにある足利屋敷に着く。

「ヒナ様からいただく、格別のお言葉。長生は恐悦至極でござる」

 そう笑ってやる。でも、ヒナギクは満足しない。

「長生、ツキはどうする気じゃ? ヒナの家来じゃ」

 それについては思案していた。

「ツキはヒナギク君の大事なお犬ゆえ、ゆめ離すことなきように、そう、お伝えするつもりだが」

 ヒナギクが安堵の顔をする。でも、すぐに不満な顔に戻った。

「長生は、どうするんじゃ? お前も家来で、しかも、友じゃ」

 まっすぐにヒナギクが見ている。月明かりがその白い肌を照らしていた。美しく通った鼻筋の脇に、大きすぎる瞳が揺れていた。

「そうは言っても、ワシは腕っぷししか取り柄のない悪党じゃ。ヒナを送れば、そこまで……」

 当たり前のことを返すしかない。でも、怒るヒナギク。

「そういう、当然至極を聞いているのではない!」

 どうしたらいいのか、長生にはわからない。

「長生は、何も学ばないアホじゃ。何度も言うたぞ。そういうときは、相手の手を握れと」

 そうだった。この娘の不安は、言葉ごときでなくなるものではない。

 長生の手がヒナギクのそれに重なる。でも、ヒナギクは叫ぶ。

「そんなんでは足らん! 私はずっとひとりじゃ!」

 また、驚く。孤独なのだ。当然だろう。でも、よく考えれば、自分もそうだ。だから、この娘と、犬との時間を幸せに感じてしまったのだ。

 でも、ヒナギクは止まらない。

「私の生は寒いばかり! 暑くなったら焼き殺されるときじゃ! ちょうどようせい。このアホ長生!」

 理解した。反射的に長生はヒナギクを引き寄せた。両腕の中に抱え込んだ。

 ヒナギクが泣く。ただ、泣いた。

 愛おしかった。長生はどうにもならない。腕の中の小さく、美しき命を、ただただ、大切に思う。

「なんや、長生の腕って、どんだけ長いねん。私ごときの命なんか、全部包めるやん」

 そうだった。この娘の不安くらい、自分の両腕さえあれば、何とでもなるはずだ。

「私は小さい自分が嫌いやった。でも、はじめて、小さくてよかったと思うよ。長生が全部包んでくれる。暑かろうが寒かろうが、あなたの中で生きていられる」

 ヒナギクはさらに長生に近づいた。彼の中に潜り込もうとした。

 この両腕はこの命を包むためにあった気がする。それをしてこなかった自分を恥じる気分にさえ長生はなる。

 小さな笑いが、無意識に出た。

 何かが、心の中で変わった。

「なあ、関長生(せきのながたか)はそなたのために生きようか?」

 ヒナギクは長生を離さなかった。そのまま、うんうん、とうなずいた。

「ならば、ヒナ、もう、泣くな」

 また、ヒナギクはうなずく。

 犬は顔を上げて見ていた。少しあくびをして、また寝た。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ