月と犬
犬が、見ていた。
油断したと思う。このあたりの川原で、野盗がいると思っていなかった。街道を外れている。まともな人間が夜を過ごす場所ではない。野党が待ち伏せするには、効率が悪すぎる。
でも、現実的にそれに出くわしている。前にいる男は兜と胴丸に袖つき。籠手や脛当も身につけ、そこそこの重武装だ。
そして、さらにふたりいる。背後に感じる。
かなり、まずい。
保護対象は、真後ろだった。これを守って、さらに3人を斬る必要がある。
右後ろは、弓だろう。左後ろは、保護対象を捕縛しようとしている。前方は重武装でこちらを引きつける気だ。
川面を風が動く。焚いていた小さな火が、パチパチと音をたてる。
何かが、動けばいい。
その隙さえあれば、弓に匕首を放てる。振り返って、左後方の男を斬る。首から上の数寸で十分だ。
目の前の防具は、上から叩き割るか、防具のないところを突く。
それが関長生の活路だった。
でも、きっかけがない。保護対象に向け、長く大きな手を広げて言う。
「娘、動くな。お前の位置が変わると、算段が狂う」
後ろで保護対象がうなずいてくれた。これで、活路が残った。
月が出ている。満月。明るさは双方に利した。だが、長生にはありがたかった。相手の位置が把握できた。
待つしかない。瞬間のきっかけを。たぶん、右後ろの弓が動く。それを避けさえできれば……。
そう思った瞬間だった。岩の上の犬が月を見た。天を向いた。
「オォオーン!」
吠えた!
包囲網が驚いた。長生は右後方へ左手で匕首を放った。弓手の右目に当たった。そのまま、右腰に吊った太刀を握る。
「えおぉっ!」
飛ぶと同時に切っ先が走る。左後方の賊の額をかすめた。十分!
振り返る。前に飛ぶ。犬が防具まみれの男の前で吠えていた。それを見た分だけ、防具は遅れた。これも十分!
長生はまっすぐに突いた。防具のない、胴丸の上。喉だ。
貫いた。
さらに左腕をひねる。兜を頂いた頭が不可思議な角度になる。命を絶った。
太刀を抜くと同時に振り返る。右目を失い、悶絶していた弓手に迫る。左後ろにいた男は脳を絶たれ絶命していた。
「娘をねらったか?」
喉元をつかみ、口に切っ先を突っ込んでいた。舌は切れていただろう。
男は涙を流しながら、うなずいた。
長生は少しだけ目をつぶり、次に左腕を突きだした。太刀は弓の男の喉を貫き、3人目が死んだ。
骸となった男の衣で太刀をぬぐう。弓と矢をもぎ取った。
振り返ると、犬が骸の匂いを嗅いでいる。恩のある犬だった。人肉を喰らわせたくはない。
「犬っ!」
強い声で言う。犬と目が合う。
「そんなもの、口にするな。よく見ろ」
言って、手にした弓に矢をつがえる。放つ。バサバサッと音が鳴る。
「とってこい。戻ってきたら、食わせてやろう」
すると、犬の顔が変わる。
(ホンマですか?)
そんな顔になった。大喜びして走る。
長生は保護対象である娘を見て、少し笑う。
「すまなかった。ここは血の匂いでむせる。場所を移そう」
娘はうなずいた。
川沿いを歩き、さらに丘へ離れた、林の中に場所を置いた。
犬は、なぜか射た鳩をくわえて長生らの元に戻ってきた。娘がうれしそうに犬をなでていた。長生は鳩の首を打ち。血を抜き、羽をむしった。はらわたを抜き、いくつかの草を突っ込み、火に投げ入れる。
肉が焼ける匂いがする。娘は犬と遊んでいた。
「真っ白でキレイな子。お月様みたいやわあ。お前をツキと呼ぼう」
娘は笑っていた。たしかに、犬はツキを呼んだ。おかげで生きている。いい名かもしれない。
焼けた鳩を長生は太刀で割った。
「ツキよ。褒美じゃ。食え」
そう言って投げる。
(こんなにいただけるんですか!)
そういう顔をして、犬はうれしそうにかぶりついた。
「ワシらは、これを食おう。ツキにやったとこと違い、ちゃんと塩もした。うまいぞ」
残った部分の食いやすいところを娘に渡す。
「おいしい。鳩って、こんなにおいしいんやね」
本当の名は、長生も知らない。「ヒナギク」と呼ばれてきた。鎌倉まで送れと、依頼されていた。
「ヒナギクの素性は聞くな。ただ、鎌倉の足利屋敷に連れていけばよい」
長生にそう言った男は、どこか雅やかで、かすかな京なまりがあった。
うまそうに鳩を口にする娘を見る。15をいくつか過ぎた歳だろう。暗く、下ばかり見ているように思えたが、虎口を脱したからか、犬と戯れたからか、腹が減っていたのか、元気に食っていた。
「何? 私の顔になんかついとる?」
素直な言葉に、長生は笑った。
「いや、闊達なところをはじめて見た。少し、驚いている。ついでに、口の周りが脂まみれだ」
娘はあわてて口をぬぐう。少し、非難めいた目で長生を見る。
「いじわる言うな。お腹空いてた。長生なんか信用してなかった。でも、ツキが来た。野盗も来た。長生が私を守ってくれるのを知った。お前は強いともわかった」
長生は少し面食らう。この娘の不安が、ようやくわかったからだ。誰だかわからない男に預けられ、野を枕に寝てきたのだ。
「すまなかった。信用してくれ、とは言わないが、私がそなたを守るのはたしかだ。それは理解して、心を安んじてほしい」
娘がまだ骨をかじっている犬を見る。少し笑い、長生を振り返る。
「アンタ、ツキに人を食わせるのを嫌がった。こんなおいしいもんを犬にやった。私にも、おいしいところくれた。悪くない」
長生は少し不思議な気分になる。褒められた、そんな気になったのだ。
「ツキっ! 今日は一緒に寝よか? 互いに寒くない。少しだけ幸せになれるぞ」
ヒナギクは言う。
(あたたかいのは好きです)
そんな顔で、ツキはうれしそうに走ってきた。