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老いた囚人の対話  作者: 美祢林太郎
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7 仇討

7 仇討


 「おはよう」

 「おはようございます」

 「頭の中はすっきりしているか」

 「今は大丈夫です」

 「それじゃあ、始めるか」


 「ぼくは、母から魂を抜いて廃人にした教団に、仇討することを決めたんです。ぼくの個人的恨みで教団関係者を殺したのではありません。魂を抜かれてこの世から抹殺された母の無念のために、仇討をしたんです」

 「ああ、母親の仇討ね。いい言葉を引っ張り出してきたじゃないか。浅野内匠頭の仇討ね。赤穂浪士だ。今回はおまえ一人しかいなかったけどな。しかし、おまえの母親は浅野の殿様のように死んではいなかった。どこが仇討なんだ」

 「だから、母は魂を抜かれて死んだも同然になっていたんです」

 「おふくろさんはおまえが元大統領を殺した後でも生きて、以前と何一つ変わらないように教団に献金をしていたんだろう。スーパーマーケットのバイトで稼いだなけなしの金をな。たとえおまえの言う仇討をしても、おまえのおふくろは何一つ変わっていないんだよ。仇討にはなっていなかったのさ。おまえがしたことは、自己満足の殺人以外の何物でもなかったんだ。問題は、おまえが今でも満足していないことなんだよ。今でも釈然としていないんだろう。なんとか仇討ということで自分を納得させたいだけなんだろう」

 「いや、そんなことはありません」

 「ほらほら、冷静さを失ってきた。そもそもおまえの母親は一方的な被害者なのか? おまえの母親は他人に対して入信を働きかけなかったのか? おまえの母親によって入信させられた人間はいなかったのか? いるだろう。絶対にいるよ。おまえの母親は被害者であるかもしれないけど、間違いなく加害者でもあるんだよ。そんなことくらい頭の良いおまえだったらわかっていたはずだ。それを自分の心の奥底に隠して、自分の母親を美化するのはどうかと思うがね。この監獄ではもっとオープンに行こうぜ。もう秘密にすることは何もないはずだ」

 「いや、ぼくは母を美化しているわけではありません。だけど、あの時、ぼくの母親を救えるのはぼくしかいなかったのは、間違いありません」

 「おまえ、結局、母親を救えたのか?」

 「・・・・・・・・・・・・」

 「心配ないよ。おまえでなくても、おまえのおふくろは信者仲間によって救われているよ」

 「どういうことです」

 「だから、おまえのおふくろはおまえが事件を起こした後もずっと脱会していないんだろう。事件の前からおまえによって救われるなんて、これっぽっちも期待していなかったし、ましてやおまえの起こした事件によって救われたなんて露ほども思っていないさ」

 「ぼくは無力だったのですか」

 「おまえはいったい何様のつもりなんだ。おまえによっておふくろさんが救われることはあり得ない。相手は似非であろうと、邪悪であろうと、クズであろうと、神を名乗っているんだぜ。おまえのおふくろが信じていたのは神なんだ。その神とおまえが対決できるなんて思う方がおこがましいというものだ。そもそもおまえは真面目に神と対峙しようと思っていなかったはずだ。まさか元大統領を殺したくらいで、神を抹殺できるとでも思っていたのか? おまえはおふくろさんを救えるとでも思っていたのか? そんなこと、おまえだって思っていなかったはずだ。おまえが殺人を犯した後でも、おふくろさんが神様ボケでいることは、おまえだって事件前から十分に推測できていたはずだ。おまえは何も解決できなかったんだ。おまえは怖くて本質を見つめることができなかったんだ」

 「いや、あれは仇討だったんです。母の仇討だったのです」

 「おふくろさんが魂を抜かれたことを恨んだんだろう。それはやっぱり私怨じゃないのか」

 「ぼくがひもじかったり、貧乏になったことを恨んで事に及んだんじゃないと言いたいだけなのです。それすらも許してもらえないのですか」

 「ここが微妙なところだな。おまえのおふくろは自分の敵を討ってくれっておまえに頼んだことがあるのか?」

 「いや、頼んでいません。魂がなくなったんですから、ぼくに敵を討ってくれとは言える状況じゃなかったのです」

 「おふくろさんはおまえに敵を討ってくれって言っていないんだろう。おまえが勝手にやったことなんだろう。おまえはおふくろの意志を忖度したんだろう。まるで元大統領の意志を忖度した馬鹿な部下たちのようにね。おふくろさんはおまえが元大統領を殺して、喜んでいるのか?」

 「いや、悲しんでいるようです。カルト教団の熱烈な支援者の元大統領が殺されたことをとても悲しんでいたそうです。ぼくが殺人者になったことについては、どう思っているのかわかりません」

 「そうだろう。多分、いや絶対に、おふくろさんはおまえのことを非難しているよ。だから、おまえはおふくろさんのためなんかじゃなく、自分のために元大統領を殺したんだ。おふくろのせいになんかにしちゃあ駄目だ。自分が惨めになるだけだぜ」

 「いや、いつかきっと母もわかってくれるはずです。教団の洗脳が解かれたら、ぼくが元大統領を殺した意味がわかるはずです」

 「おまえ、どこまでも自己中だし楽天的だな。おまえのおふくろさんはおまえの都合良く生きていやしないよ。おまえが物心ついた頃にはカルト教団に入っていたんだろう。おまえのおふくろは骨の髄までその教団に浸かっているね。信心深さでは間違いなく教祖以上だ。もし、カルト教団が潰れたらおふくろさんは死んでしまうかもしれないぞ。

 そう言えば、おまえのおふくろも相当いい年になっているんだろう。おれたちだって、もう70歳くらいなんだから、確実に90は越えているんじゃないのか」

 「母の歳ですか・・・。いったいいくつになるんだろう。確かぼくより27歳上だから、97歳くらいですか」

 「生きているのか?」

 「連絡がないから、わかりません」

 「一度くらい手紙を出したか? 絶海の孤島にあるこの監獄だって、メールは駄目でも、手紙を出したり手紙をもらうことはできるんだからな。机の引き出しに紙と鉛筆があるじゃないか」

 「手紙を出したことは一度もありません。世間と接触を持ちたくありませんでしたから」

 「おれには一人も知り合いがいないから、手紙を出そうにも出すところがないんだけど、おまえにはおふくろや妹、親戚がたくさんいるんだろう。多分、心配している奴もいるはずだから、葉書の一枚も出してやればよかったんだよ」

 「誰も心配していませんよ。それに監獄に入って30年くらい経つんですよ。突然、ぼくから葉書が届いたら何事かと思うでしょう」

 「いいじゃないか、母親が生きているか、訊いてみるだけでもいいだろう」

 「もうそのことはいいですって。手紙を出す気はさらさらないのですから」

 「まあ、おまえのことだから無理強いするわけにもいかないしな。おふくろさんは何年も前に死にましたと教えられたら、おまえ取り乱すかもしれないしな」

 「取り乱しません」

 「おふくろさんはまだ元気で、今は教団の幹部になっています、と連絡が入ったら、おまえどう思う」

 「あなたの妄想です」

 「そうだな。おれたちは外の世界のことは知らない方がいいんだな。おれたちが殺人を犯して、そのことによってみんながどうなったかなんて知らない方がいいんだよな」

 「そうです。ぼくは決して世の中を変えようなんて思って、元大統領を殺したわけではないのですから」

 「おれなんて、無名のおふくろを殺したって、初めから世の中が変わるなんて思っていなかったぜ。おまえの場合、元大統領なんだから、少しは変わると思っていたんじゃないのか」

 「ぼくも社会を変えようと望んでいたわけではありません。できればカルト教団が消滅してくれればいいと思っていましたが、正直なところ、元大統領を殺しても、たとえ教祖を殺したとしても、カルト教団がなくなるなんて思ってはいなかったですね」

 「そうだろう。やっぱりカルト教団はなくなっていないだろうな。カルト教団は風呂場の黴のようなもので、拭いても拭いても、消毒しても消毒してもなくならないんだよ」

 「そうですね」

 「おまえのおふくろみたいな痩せ細った有機物を食べて、あいつらは増殖していくんだ。おまえのおふくろさんみたいな辛気臭い奴がいなくならない限り、カルト教団はいつまでも蔓延るんだ」

 「母がカルト教団に入信しなければ、我が家も人並な生活をやっていけたんですけどね」

 「人並みか・・・。やっぱり他人と比べているんだな」

 「そうですね、言われてみるとそうなのかもしれませんね。他人と比較して自分の幸せを確かめるなんて、なんか情けないものがありますね」

 「それにおまえの恨みもとんでもなく激しいものだと思っていたのに、人並みに幸せだったら恨みも失せるのか。そんなちっぽけなものだったのか?」

 「はい、ちっぽけなものだったのかもしれません」

 「今日は疲れたのか。弱気になってきたんじゃないか。もうそろそろ今日の話は終わりにしようか」

 「そう言えば、ぼくが高校生の頃、炎天下で応援団の練習に励んでいた頃、カルト教団への恨みはまるで起こってきませんでした。ずっと、カルト教団を恨み続けていたというのは嘘になります。忘れていた時期だってありました。人間が30年も片時も休みなく恨みを抱き続けるなんてできないことかもしれませんね」

 「まあ、そうした紆余曲折はあっても、おまえは曲がりなりにも30年間恨んでいたのは事実だろう。一人の人間が30年も恨み続けるなんてすごいことだと思うけどな。そういうことを権力者は頭の隅に入れておかなければならないんだ。

 おまえは幸せになったら、その恨みがなくなるということがわかっていたならば、どうしておまえは高校を卒業して大学に進学しなかったんだ。金がなくったって奨学金を借りて大学に行くことだってできただろうに。おまえ、頭が良かったんだろう。世の中には奨学金で大学に行く奴だってたくさんいるんだろう」

 「そうですね。ぼくは高校を卒業して、自立しようと思ったんです」

 「その話は次回以降にしよう。今日はここまでだ」

 「おやすみなさい」

 「ああ、おやすみ」

  

          つづく

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