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老いた囚人の対話  作者: 美祢林太郎
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6 25セント硬貨

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 「母は騙されていたんですから、教団になんの疑いも持っていませんでした」

 「だろう。おふくろさんにしたら、おまえにカルト教団を攻撃して欲しいなんてさらさら思っていなかったんだよ。ましてや、元大統領を狙うなんて、お門違いも甚だしいところだ。おまえの恨みはあくまで自分本位だったんだ。家族を巻き添えにするんじゃないよ。それじゃあ、兄妹も決して喜ばないぞ。おまえが一人でおふくろさんを殺せばそれで事は済んだことなんだ」

 「ぼくが母を殺せば、兄妹が泣くでしょう。そしてぼくは兄妹に恨まれたはずです」

 「ああ、兄妹は号泣するだろうな。だけど、そんなことを気にかけて人を殺せるか? 誰かが死ねば、誰かがその死を悼む。当たり前のことじゃないか。おまえの母が死ねば、兄妹は悲しむだろう。だけど、かれらの心の中に間違いなく安堵感が沸き起こったはずだ。そのくらい、優秀なおまえなら容易に推測できたはずだ。そりゃあ、兄妹はその安堵感を胸の内に封印して、他人に悟られないために、おまえを責め続けるだろう。おまえは兄妹に憎まれるのがそんなに怖いのか。そんな覚悟もなかったのか。殺人者にしては随分甘っちょろいな」

 「ちょっと待ってください。母親殺しのあなたには、ぼくが母親を殺さなかったことが不満なようですが、そもそもぼくが殺さなかったのは母親だけじゃありません。ぼくたち一家に愛想をつかした親戚の人たちも殺しませんでした。兄妹だって食べる物を持ってこないぼくをずっとなじり続けました。こうした連中はみんなぼくの絶望に加担したと言えます。近所の人たちもぼくたち一家を怪しいものを見るようにして毎日監視していました。学校の同級生だって、我が家が貧しいことを薄々感づいていたはずです。憐憫の情を持ってぼくを見下していたという意味では、同級生たちも同罪だったのです。しかし、そんな連中を殺したりしますか? きりがないでしょう」

 「頭の良い人間は、何でも理由をつけて他人のせいにするのが上手だな。加害者の拡大路線だ。おれもおまえにあやかることができていれば、おふくろを殺さなくてもすんだかもしれないな。だけど、おまえが親戚や同級生、近所の人を殺しても、やはりそれは元大統領を殺したように、八つ当たりというものだ。問題の核心から逸れている。核心はあくまでおまえのおふくろにあるのだ」

 「どうしてそんなにぼくの母を責め立てるのですか」

 「おまえを不幸にした元凶はカルト教団かもしれないが、直接おまえの不幸に手を下したのは、紛れもなく教団に献金をしたおふくろさんだからだよ。おまえが殺した元大統領は、おまえを間接的に不幸にしたに過ぎない。

 おふくろさんと元大統領を因果の糸で結び付ける前に、カルト教団の教祖とおまえの母親を繋ぐ者がいただろう。おまえの母親に霊感商法で高価な壺やお守りを売りつけたのは、教祖や元大統領じゃあないだろう。母親に言い寄って入信させ、詐欺師のように次々に言葉巧みに色々な物を売りつけた奴がいただろう。おまえが恨むなら、元大統領の前にそいつを恨むべきだったんじゃないのか?」

 「言われてみると、そうかもしれませんが、母に壺を売った信者さんだって母と同じ被害者の一人ですよ。そんな人を恨んでもしかたないし、ましてや殺すことなんてできるわけがありません」

 「売りつけた奴を知ろうともしなかったくせに」

 「知らなくてもよかったんです」

 「まあ、いい。その件はひとまずおこう。それでどうしたと言うんだ」

 「ぼくたち一家は、母がカルト教団に入信して、奈落の底に転がり落ちていきました。ですけど、母が入信した頃は、ぼくが殺した元大統領は政治家になっていませんでした。その頃のかれはただの実業家に過ぎなかったのです。母が入信した当時の教団とかれとは何の関わりもありませんでした。もしかれが政治家にならなければ、そして大統領にさえならなければ、かれは教団とかかわりをもたなかったでしょう。30年後、ぼくと彼の運命が交差するなんて、神だってわからなかったはずです」

 「おまえが一方的に関係を持ったんだろう。少し格好つけすぎじゃないのか。少し芝居がかっているんじゃないのか。おまえは耄碌したのかもしれないな。田舎芝居だぜ」

 「他人は言うでしょ。ぼくが一方的に元大統領に接近しただけで、元大統領はぼくに殺される瞬間まで、ぼくの存在を知らなかったとね。ぼくが片思いのようにかれに近づいて行っただけじゃないかとね。だけど、ぼくはネットで元大統領がカルト教団の式典に送ったビデオメッセージを観たことがあるんです。その時、かれがぼくに私を殺せるものなら殺してみろ、というメッセージを寄越したんだと思いました」

 「勝手な言いぐさだな」

 「かれのメッセージは家族の幸福を強調するメッセージだったんです。白々しかったですよ。ぼくの一家がどうなっていたか、かれはそれを知っていましたか? 日本中のいたるところに、カルト教団が不幸な家族を作り出していることを彼は知っていましたか? かれがこの教団を褒めちぎったのはどうしてですか? かれはただの何も知らない愚か者だったのですか? いや、かれは知っていて目をつぶっていたはずです。自分の権力を保持するためならば、ぼくたち一部の国民が犠牲になってもいいと思っていたはずです。かれが幸せな家庭という言葉を口にしなければ、ぼくはかれに殺意を覚えなかったでしょう。教団も元大統領も、言っていることとやっていることが真逆だったのです。世界中の家族を不幸に陥れようと言ってくれた方が、正直でよかったのです。嘘をつく人間なんて信用できないのです」

 「ああ、嘘をつく奴は糞だ」

 「ぼくは正直であることが生きていくうえでもっとも基本的な価値だと思っているんです。もし、誰もが正直でなくなったら、地球は明日にでも薄汚くぐにゃぐにゃに曲がるかもしれません。正直でなければ、世界はパニックに陥ってしまうんです」

 「仰々しいな。嘘つきは世に蔓延っているけど、世界はパニックに陥っていないよ。おれが訊きたいのはおまえが元大統領を殺した理由やいきさつなんかじゃない。そんなことにははなから興味がないんだ。元大統領を殺した理由や方法は。警察や検察、精神科医、それにジャーナリストからおまえは何度も訊かれ続けただろう。おまえはそいつらがほのめかすことにただ頷いてきただけなんだろう。何も考えずにな。おれには元大統領殺しのことは、さらさら興味がないんだ。おれに興味があるのは、どうしておまえがおふくろを殺さなかったかということだけだ。おまえは元大統領を殺すことで死刑になりたかったのか?」

 「いくら元大統領で裏の最高権力者であっても、この国では一人を殺したくらいでは過去の判例をみても、死刑にはならないくらいは頭にありました。どこかの独裁国家とは違って、この国はあくまで民主的な法治国家ですからね」

 「おまえはそこまで計算して殺人を行ったのか」

 「そうです。あなたの言う通り、あくまでこれは殺人事件なのです。決して、政治的なテロではないのです。あくまで一個人が起こした恨みから発した殺人事件なのです。しかし、ぼくは別に死刑を逃れたいとは露ほども思っていませんでした。今でも終身刑よりも死刑の方がよかったと思っているくらいです。生き長らえて、いったい何をすることがありますか。犯行の際にぼくのポケットには25セント硬貨一枚しか残っていなかったのですから。もはやパン一個を買う金もぼくにはなかったのです。貧しさも終着駅に着いたのです」

 「おまえはそれすらも計画的だった、とおれは思っているんだ。おまえはどうして25セント硬貨一枚をこれ見よがしにポケットに残していたんだ。おまえはそれを使い切るか、捨てることだってできたはずじゃないか。おまえは硬貨が一枚だけ残るように仕組んだんだろう。金がなくて、世をはかなんだことを演出するためにな」

 「ぼくはそんな安っぽい演出家じゃありませんよ。行き当たりばったりの性格なんですから」

 「行き当たりばったりか。周到な殺人計画を練ったんじゃないのか」

 「忘れてしまいました。耄碌したんじゃないですかね。それにしても、どうしてあなたはぼくに興味があるんですか。根ほり葉ほり訊いてくるけど、司法関係者ですか? それともジャーナリストですか? もう事件から30年も経って、世間でもすっかり忘れ去られている事件なのに、どうしてあなたはぼくのことを執拗に訊いてくるんですか。まさかあなたは看守に賄賂を渡して、あなたの前の独房にぼくが入るように仕組んだのですか」

 「監獄生活が長くなると、おまえみたいな頭の良い奴でも妄想が膨らんでくるんだな。それとも頭の良い奴だから膨らむのか。おまえは42歳で殺人を犯した。十分に分別のある年ごろだった。それにおまえは元大統領を殺すために用意周到に準備をした。発作的な犯行でなかったことは確かだ」

 「十分、計画を練りましたよ」

 「そうだろう。衝動的な殺人ではなかったはずだ。自分でインターネットで調べて鉄砲を自作し、何回も試射を繰り返したんだからな。頭の良い人間の犯行はいつも計画的だ。おれのような馬鹿はいつも後先を考えずに衝動的だ」

 「本当に衝動的なのですか? 衝動的だと思いたいだけじゃないのですか?」

 「今度はおまえがおれを尋問するのか? まさか、衝動的殺人の方が計画的殺人よりも刑が軽いから、おれがそれを知ってて、裁判所でそのように抗弁したと思っているんじゃないだろうな」

 「すでに刑は三十年前に確定しているんでしょう。テレビの刑事ドラマで、一度決まった判決は再審議されないという「一事不再理」の原則くらい、あなたでも知っているでしょう。あなたがここで何を述べても刑が重くなることはありません。ああ、我々は終身刑でしたね。これ以上重くなりっこありませんね」

 「何か、話が足踏みを始めたみたいだ。今日はこのくらいでいいかな。おれ、眠くなってきたよ」

 「何時になるのか、わかりませんが、そろそろ寝ましょう。続きはまた明日」


     つづく

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