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老いた囚人の対話  作者: 美祢林太郎
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5 尋問

5 尋問


 Yは毎日座って何かを考えているようだった。Wが声をかけても何の反応もなかった。こうして一週間以上が過ぎた。


 「そろそろ何か思い出したか」

 「時間は十分にあるじゃないですか。もうしばらく声をかけないでもらえますか」

 「ああ、時間はたっぷりあるからな。好きなだけ考えろ」


 一ヶ月の日が流れた朝、Yの方からWに話しかけてきた。

 「Wさん、話を聞いてくれますか」

 「ああ、聞いてやるよ。おれは待っていたんだからな」

 「母を殺そうと思ったことですが・・・」

 「ああ、そう言えば、そういう話題だったな。年を取ると、何を話していたのか忘れちまっちゃうよ。それで、何だっけ。そうそう、おまえさんがおふくろさんを殺さなかった話だったな。それで、おふくろさんを殺そうと思ったことはあったのか」

 「当時、何度も母を殺そうと思いました」

 「そうだろう。そりゃあ、そうだろう。それが当たり前というものだ」

 「母親殺しのことが、かなり頻繁に頭に浮かぶ時期がありました。でも、このことが頭に浮かぶとすぐに打ち消して、3秒と頭に留めることはありませんでした。正直に言うと、このことはあなたに言われてから思い出したわけではありません。ぼくはずっとこのことを覚えていたのです。あなたに問われた時も記憶にありました」

 「じゃあ、なぜあの時言わなかったんだ」

 「そうですね・・・。口に出すのが怖かったんでしょうね。母を殺す、ということが自分の頭の中にあったことを口に出すのが怖かったんです。当時、ぼくは母殺しのことが頭によぎると、すぐに自分でその考えを否定していました。なぜでしょう。ぼくだって母がとても憎かったのです。我家を不幸に陥れた母を許せないほど憎んでいたことは、間違いありません。まさか、一家みんな幸福に、というカルト教団の言いつけを守っていたわけではないのでしょうが・・・(Yは皮肉な笑みを浮かべた)」

 「やっぱり自分を生んだ母親を殺すことを、心の奥底でタブー視していたんだろうな。誰もそうだよ。おまえだけじゃない」

 「ぼくは元大統領を殺すことを決意した日、母を殺す邪念から解放されたのです」

 「元大統領は母殺しのスケープゴートか」

 「そんなわけではありません」

 「そうかな?」

 「母はずっとか弱い存在でした」

 「おっとそう来たか。か弱い奴はどこにでもいるし、それだけで犯した罪を免れるなんて思われたら困るぜ」

 「母はおとなしい性格で声を荒げたことはありませんでしたし、ましてや自己主張をすることもありませんでした。父が生きていた頃は従順に父に従っていました。この人には何か楽しいことはあるのだろうか、と思っていたくらいですから」

 「おまえが生まれた頃は親父は亡くなっていなかったんだろう」

 「ああ、そうでしたね。頭がこんがらがっているのかな」

 「年食ってるし、監獄生活も長いからな。頭も混線するというものよ。まあ、小さいことは気にしないようにしよう。話を混ぜ返して悪かった。話を続けてくれ。確か、おふくろさんのことを思い出していたんだよな」

 「そうですね。良い人でした」

 「おまえ、優しい性格してんだな。人殺しがみんな恐ろしい性格をしているわけではないけどな。おれなんか、誰からも思い出されるようなしっかりした人格を持ち合わせていなかったんだからな。おまえ母親に同情していたのか?」

 「そうかもしれませんね。生まれ持って、薄幸な人間っているじゃないですか」

 「そう、それがおれだよ。おれがその生まれ持った薄幸な人間だよ。おまえのおふくろなんていいところの育ちなんだろう。生まれ持って薄幸だなんてチャンチャラおかしいね。おまえみたいなぼんぼんに薄幸なんて言葉を使う資格はないんだ」

 「金のあるなしに関係なく不幸な人間はいるんです。生まれ持って貧乏なことを特権にしてはいけません。卑怯でしょう。金持ちも貧乏も、生まれた時には選べないんですから」

 「卑怯か・・・。おれにそんな気はないけどさ・・・」

 「あなたにはそれが見え隠れするんですよ」

 「おまえだって、貧乏に突き落とされたから、元大統領を殺したんだろう。金持ちのままだったら、殺しはしなかっただろう。嘘か?」

 「そうでしょうね。でも、仮定の話をしてもどうしようもないでしょう」

 「話は仮定で成り立っているんだけどな。まあ、いいや。それで、薄幸だった話だな」

 「ぼくはおそらく幸の薄い母を殺す気にはなれなかったんでしょう」

 「他人事みたいに言ってら。おまえは母殺しから逃げたんだ。おまえみたいな人間は母親が薄幸であろうがなかろうが、母親であるというたったそれだけの理由で、母親を殺せないんだよ。おまえは母親からどれほど折檻されようが、無視されようが、母に対しては憎しみが湧いてこないタイプの人間なんだ」

 「いや、そんなことはありません」

 「おまえを不幸に追いやったのはおまえのおふくろだ。認めろよ。おまえはその不幸を招いた対象に憎しみを向けることができなかったんだ」

 「母を憎んでいますよ。そりゃあ、母を憎んでいますよ。もし母がカルト教団に入信しなければ、ぼくたち家族は幸せな毎日を送ることができたのですから」

 「おまえのように母殺しができない臆病者がどうして元大統領殺しという、大それた殺しができたのだろうね。そんな発想はそんじょそこらの奴には湧いてこないぞ。おまえもしかしたら、おれが考えている以上の大物か? それともおまえは英雄願望が強かったのか?」

 「そんなことあるわけないじゃありませんか。大物でもなければ、英雄願望もありませんでした」

 「すると、もしかしたら、おまえが殺そうと思っていたのは、母親以外だったら誰でもよかったんじゃないのか? おまえは人を殺して警察官に捕まるのが目的だったんじゃないのか? おまえは死刑が目的だったんだろう。今は廃止されてしまったけど、当時は死刑があったからな」

 「言われてみると、ぼくは誰だってよかったのかもしれませんね。不幸に終止符を打ちたかっただけなのかもしれません。ぼくがどうして元大統領に刃を向けたのか。そう言えばよく考えていませんでした。ただ元大統領に照準を定めて、ひたすら突っ走って行っただけなのかもしれません」

 「元大統領にターゲットを定めて、それから撃ったその日まで相当時間があったよな。そもそもどうして元大統領に絞ったんだ」

 「やっぱり人を殺すのには、自分を納得させるためのなんらかの理由が必要だったです。我家の不幸、その不幸の原因となったのはカルト教団、これならば自分も納得するし、世間も納得するだろうと考えたのです。このために、ぼくは初めはカルト教団の教祖を狙うことにしたのですが、教祖の警備が万全だったので殺すことを諦めざるを得ませんでした。それならば、カルト教団を半ば公然と支持していた元大統領がターゲットとして最適だと考えたんです。誰でも納得できるはすです」

 「他の奴らが納得しても、おれは納得しないね。あまりに論理が飛躍しすぎているんだ。頭がいかれている奴ならば、自分の不幸を自分以外の何物にでも転化できるだろうけど、おまえの頭はいかれていないし、その逆に、明晰だ」

 「これじゃあ、尋問じゃないですか。まさかあなたは警察かはたまた検察が送り込んだスパイじゃないでしょうね。あなたのような尋問は、散々警察や検察、病院で受けてきました。今さら何をぼくの口から聞き出そうとしているのです」

 「おれが警察の犬? そんなことはない。ただ退屈しのぎをしているだけじゃないか。そんなにむきになるなよ。頭がおかしくなったと思われるぜ。おれはおまえと同じ殺人犯だ。違うのはおまえのように元大統領殺しという大物ではなくて、母親殺しという小物なだけだ」

 「あなたは本当に母親を殺したのですか?」

 「ああ、殺したよ」

 「あなたは母親を殺せたのですか」

 「ああ、殺せたよ」

 「母親殺しのあなたには、ぼくを尋問する権利があるとでもいうのですか?」

 「だから、これは尋問じゃないっていうんだ。ただおれは知りたいだけなんだ。そもそも母親殺しがそんなに偉かあないからな。曲がりなりにも自分を生んだ母親を手に掛けたんだから、おれはただの糞野郎だ」

 「あなたはどうして母親を殺したんですか」

 「心配しなくても、そのうちおれのことは後でゆっくりと教えてやるよ。それよりも、先にどうしておまえが母親を殺さなかったのか教えて欲しいんだ。おまえは自分が不幸になったので、そうさせた奴を恨んで殺したかったんだろう。おまえを不幸にしたのは間違いなくおまえのおふくろだぜ。直視しろよ。おまえのおふくろがカルト教団に入信しなければ、おまえたち一家は不幸にならなかったはずだ。いや、仮定の話じゃなく、間違いなくおまえの家は順調にいった。おまえのおふくろが不幸の原因なのにそれをすっ飛ばして、どうして他の犯人を探そうとしたんだ。他の奴を探してもいいけど、とりあえずおまえの母親を殺せよ。それが筋というものじゃないか」

 「母親も被害者なんだ。ぼくと同じ被害者なんだ」

 「そうか。おまえの恨みは個人的なものじゃなかったんだ。家族全員の恨みだったんだ。少なくともおまえはそう考えたんだ」

 「そうです、その通りです。母も兄妹もぼくたち一家が不幸になったのは、カルト教団があったからなんです」

 「そうしたらどうしておまえの兄妹と一緒にカルト教団を狙わなかったんだ。おまえの兄妹はカルト教団を恨んでいなかったのか?」

 「ああ、恨んでいましたよ」

 「おまえのおふくろはカルト教団を恨んでいたのか?」

 「・・・」


       つづく


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