4 元大統領殺し
4 元大統領殺し
「そんなに驚くことはないだろう。だから、どうしておまえは自分のおふくろを殺さなかったかっていうことさ」
「殺した人のことではなく、殺さなかった人のことをぼくに答えろというのですか。これまでぼくが答えてきたのは、元大統領を殺した動機や方法、経緯ばかりです。殺していない人のことを訊かれるのは、予想外の質問ですね。警察でも検察でも、精神鑑定でも訊かれなかったことです」
「そりゃあ、訊かれないだろうよ。この問いには、元大統領の代わりにおふくろさんを殺した方がよかったんじゃないか、ということが言外に含まれているからな」
「そうですね。そういうことになりますね」
「ちょっと質問がストレート過ぎたかな。この監獄では、時間はたっぷりあるんだ。ゆっくりでいいから、正直なところを包み隠さず教えてくれ。元大統領殺人犯とここで会えたことで、おれがこの監獄に入ってきた意味があるっていうものだ。こりゃあ、楽しくなってきた」
「そんなに大げさに言わないでください。あなたとぼくは一人殺したという意味では対等な立場なんですから」
「いや、殺人を犯しても、おれはおまえほど世間に騒がれはしなかった。雲泥の差だ。いや、勘違いしてもらってはいけないから言っておくが、おれが殺人を犯したのは騒がれたかったわけじゃない。おれは生まれてからずっと影が薄い人間だったんだから、その影が薄いままで死んで行けたら本望だって思っていたんだ。おれは何を喋っているのだろう。おれのことはひとまず置いておこう。人と話をするのは久しぶりだから、少々興奮しているんだ。それに久々に話をしている奴が、あの大統領殺しだろ。興奮するなっていう方が無理な話だ。少し冷静にならなければな。時間はたっぷりあるんだからな」
「そう、時間は嫌というほどありますよ。ぼくはあなたの前から逃げも隠れもしませんから。いや、できないと言った方が正確ですね」
「そうだよな。おれたち二人はどちらかが死ぬまで逃げられない関係になったんだ。ゆっくりでいいんだ。おれは年を取って、知らぬ間に少しせっかちになってしまったようだ。子供の頃はせっかちじゃなかったんだぜ。ただボーとしていたからな。年を取ると性格が変わるものなのか。それとも監獄に長くいたせいか。まあ、そんなことはどうでもいいや。話に脈絡がなくても許してくれよな」
「大丈夫です。二人の会話なのですから、畏まる必要なんかないじゃありませんか。それに監獄でせっかちになっても、何もいいことはありませんよ。時間は嫌になるほどあるんですから、ゆったりと構えましょう」
「そうだよな。ここでせっかちになっても、飯を早くかっくらうくらいしかできないものな。こんなところにいたら、食うこと以外に他にすることはないしな。ただ毎日頭の中で昔にあった数少ない思い出をほじくり返すだけだ。しばらく他人と話す機会もなかったことだし、ここで折角お近づきになったんだから、核心に入る前におまえのことを色々と教えてくれよ」
「ああ、いいですよ。なんでもどうぞ」
「おまえが犯行を犯したあと、テレビでおまえのことが毎日取り上げられていたんだ。おれ毎日テレビでおまえのニュースを見ていたよ。だからさ、今じゃあ忘れたことも多いだろうけどさ、おまえのことは色々と知ってんだ。」
「それは光栄です、と言ったらいいのか、何と言ったらいいのか。とにかく、恐縮です。と言うことは、ぼくが犯行を犯した後で、あなたが犯行を犯したことになりますね」
「そう言うことになるな。一年も間は開いていないと思うけどな」
「そうですか。ぼくの後で殺人を犯したんですか」
「ちょっと、そのぼくって言うのは何とかならないか。坊ちゃん育ちなのはわかるけど、70になろうかとする男が、ぼく、ぼくっていうのはどこか耳に障るんだよな」
「すみません。それでぼくは、ぼくのことを何て言ったらいいのでしょうか?」
「おれとか、わしとか、自分とか、何かあるだろう。自分で考えろよ」
「おれですか、難しいですね」
「それじゃあ、とりあえずぼくでいいよ。おれが我慢すればいいだけのことだ」
「申し訳ありません」
「謝ることでもないけどな。ところで、おまえ、高校の頃、応援団だったんだよな。事件の後で、野球の対抗戦で応援している写真がテレビで流れていたよ。中学や高校の同級生が、おまえのことを真面目で、こんな犯罪を犯すような人間には思えませんでした、と口々に言っていたことを、今でもよく覚えているぜ。おまえ、中学や高校の頃はたくさんの友だちがいたんだな。おれ物覚えが悪かったくせに、くだらないことを覚えているだろう。おれ友だちがいなかったから、どこか新鮮だったんだよな。それとも羨ましかったのかな。そんなことないと思うけどな」
「よくそんなこと覚えていますね。だけど、テレビに出ていた人たちは、友だちなんかじゃありません。ただの同級生です。ぼくが将来殺人犯になることを予想できなかったなんてあっさり言って、所詮浅い付き合いだったということですよ。それとも連中は人を見る目がなかったのですかね」
「そんなに友だちのことを責めてやんなよ。友だちになんでもわかってくれという方が酷というものだ。それにしても、おまえは凄いよ。中学や高校を卒業して20年以上も経っていたのに、友だちであろうと誰であろうとたくさんの奴に覚えられていたんだからな。おれなんか、不登校だったせいもあるけど、誰もおれの存在なんか知らなかったんだぜ。おれも小学校の頃はまだ学校に行っていたんだけど、誰もおれのことを覚えている奴はいなかった。いや、別に覚えておいて欲しかったわけじゃないぞ。おれは在校時から存在感がなかったからな。覚えていろっていう方が無理な話だ。それに比べて、おまえは子供の頃から凄い存在感があったんだな。確か良家の育ちで頭が良かったんだよな」
「母はバークレー、父はスタンフォード大学出身ですし、親戚のみんなもオックスフォードやハーバードを出ています。医者や弁護士、外交官もいます」
「それって自慢かい。こんなところで自慢しても何の意味もないと思うけどな」
「いや、自慢じゃないです。ただの事実ですよ」
「育ちのいい奴は、そんな話がへらへらと口から出るんだな。おれのような育ちの悪い奴は、どこかで僻み根性があるから、自慢にしか聞こえないものさ」
「配慮が足りなかったのかしれません。許してください」
「配慮か・・・。あくまで上から目線だな。ああ、気にしないでくれ。だから、70になっても子供の頃の僻み根性が抜けないだけなんだから。嫌味で言っているわけじゃないんだ。おまえとはこれからもずっと仲良くやっていきたいからさ。とにかく凄い一族じゃないか。おれの一族なんて、と言ってもおふくろから聞いた話ばかりだけどよ。親父はおれが生まれた時にはいなかった。おふくろもおれの親父が二三心当たりはあるようだったが、本当は誰だかわかっていないようだった。男には節操がなかったからな、うちのおふくろ。おふくろの兄弟や親戚、とは言ってもおれは一度も直接本人たちに会ったことはないんだけど、みんな子供の頃からぐれて小学校や中学校へは行かず、カツアゲや泥棒をしていたそうなんだ。ろくでもない奴ばかりだよ。兄弟や親族の何人かは今でも、どこかの刑務所に入っているはずだ。この監獄にも一人や二人いるかもしれない。別に会いたかねえけどよ。つまり、おれがこうなったのもお決まりの人生コースという奴さ」
「諦めがいいですね。ぼくはこうなるはずじゃなかったんですよ。生まれた時も、生まれてからも、絶対にこうなるはずじゃなかったんです。ぼくの人生の歯車が狂ったのは、やっぱり母がカルト教団に入信したからなんです」
「母って言葉も気に入らねえな。おふくろとか母ちゃんとか、他に何か言いようはあるだろう。おまえはおふくろさんのことを母って呼んでいたのか?」
「ママって呼んでいました」
「あっ、身体中痒くなってきたぜ。70になろうかというじじいが、いまさらママはないだろう。いいよ、いいよ、母で」
「申し訳ありません」
「謝ることはないって。それでカルト教団に入ったからって、どうして不幸になるんだ。教えてくれよ」
「家にあったすべての財産はおろか、親戚や消費者金融から借金してまで教団に献金して貧乏になり、食うや食わずのどん底の生活に陥ったんです」
「思い出した。おれ、それテレビで聴いたことがあるよ。それを聴いた時、破産するまで献金するなんて、おまえのおふくろさん、相当馬鹿だなと思ったものだぜ」
「父が死んで頭がおかしくなってしまったんです。それで簡単にカルト教団に騙されてしまったんです」
「そりゃあ、騙したカルト教団も悪いけどさ、騙されたおまえのおふくろさんも悪いだろう。そもそも、いつの時代も騙す奴はいるんだよ。確か、石川五右衛門も言っているだろう。「浜の真砂は尽きるとも世に悪人の種は尽きまじ」ってね。悪人じゃなくって、盗人だっけ。まあ、小さいことは気にするな。おまえのおふくろさん、お嬢さん育ちで世の中に悪人はいないとでも思っていたんじゃないのか。それじゃあ、すぐにカモられるぜ」
「悪人がいることくらいわかっていました。だけど、教団だって表向きは世の中を正すために献金を集めていることになっていたんです」
「そりゃあ、世の中誰も騙しますと言って騙したりはしないよな。騙す方はいつも巧妙なんだ。そのくらいわかってないと。それに、おまえの血筋は賢い血筋なんだから、騙されるより騙す側に回るのが一般的なんじゃないのか。頭の良い政治家なんか、みんな騙す方に回っているじゃあないか」
「だから、ぼくは政治家の元大統領を狙ったんです」
「おまえ、一足飛びに結論がそこに行くか。それはあまりに短絡的で、おれたち一般人の言葉では、それを八つ当たりと言うんだよ。おまえを不幸にしたのはおふくろさんだろう。どうして素直におふくろさんを殺さなかったんだ。それとも、カルト教団の被害者を代表して、元大統領を殺そうとでも思ったのか。おまえヒーローを気取ったのか」
「いや、ぼくがやったことは社会正義のためじゃありません。あくまで、個人的な恨みのせいなんです」
「そうだろう。個人的な恨みなんだろう。そうしたら、どうして元大統領を殺したんだよ。確かに、おまえのおふくろを不幸にしたのはカルト教団で、自分たちの利益のために教団と関係を持っていたのは元大統領を含めた政治家たちだ。政治家を恨むなとは言わないけど、おまえを直接的に不幸にしたのはおまえのおふくろさんだと思うけどな。おれの考えはどこか間違っているか? だって、カルト教団に日本中のすべての人間が騙されたわけではなく、騙されたのはおまえの母親を始めとした、ごく少数の人間だけだろう。社会正義のためでなく、個人的な恨みのためならば、おまえはおふくろさんを殺すのが筋だったんじゃないのか? おまえ、おふくろを殺そうと思ったことはないのか?」
「母ですか? 母を殺そうと思ったこと・・・。少し考えさせてください。もしかしたら、母を殺そうと思ったことがあったのかもしれません。思い出しますので、少し待ってください。今日はここまでにしてくださいませんか」
「ああ、時間はたっぷりあるからな」
つづく