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老いた囚人の対話  作者: 美祢林太郎
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3 Yとの出会い

3 Yとの出会い


 Wの独房の前の部屋の住人がいなくなってからもう何年が経ったのだろう。かれにはそれが数日のようにも数百年のようにも思えた。


 これまで誰一人として入居してこなかった。最初の頃は、Wは新しい住人が来るのを毎日心待ちにしていたが、数か月が経つと、嘗て前の独房に囚人がいたことを忘れてしまい、新しい住人が入居することを待っていたことも忘れて、一人で過ごすのが日常となった。かれはただ時間が過ぎるのに身を任せるようになっていた。発狂のふりをして、看守に鮫のいる海に投げ捨ててもらうことは、露ほどにも頭に浮かばなかった。


 そうした或る日、突然ユニットの鉄の扉が開いて、看守二人が一人の老人を連れて来て、その老人をWの前の独房に入れた。看守はWに一言も声をかけなかったし、Wも特段看守に話したいことがあるわけではなかった。

 看守がいなくなって、しばらく間をおいて、Wは新しい男に慎重に声をかけた。長く誰とも話をしていないので、自分の声が出るかどうか心配だったし、きちんとした文章になるかどうかも不安だった。

 「おまえ随分老けているけど、この監獄の新入りかい」

Wは自分の声を聞いて安心した。男はゆっくり頭を上げて、Wの方を見て答えた。

 「いえ、これまで30年近く、この島の他の独房にいたのですが、急に部屋の床から海水が漏れてくるようになって、こちらの部屋に移されたんです」

 「海水がね。そういやあ、この監獄は島の上にあったんだな。忘れていたよ」

 「そうですね。長くいるとどこにいるのか忘れてしまうよな。毎日暑いから南の島なんだろうけどな」

 「寒いよりはいいですよね」

 「寒いよりはいい。それであんたは30年近くもここに入っているのかい。それじゃあ、おれと同じくらい長くいるのかもしれないな。年寄りだと思ったけど、よく見ると、おれと同じくらいの歳じゃないのか。いったいいくつになるんだ」

 「そうですね。正確な年齢はわかりませんが、犯行を犯したのが42歳の時ですから、それから30年近く経ったのですから、かれこれ70くらいになるんですかね」

 「そうか、おれも事件を起こしたのが25年いや30年近く前だから、その頃は確か42歳だったから、おまえさんと同じくらいの年齢かもしれないな。おれも年を取ったものだ。人と最後に話をしたのはいったい何十年前のことだろう。もう遠い昔のことだ。誰と何を話したのか思い出せやしない。まともに頭も口も回らないかもしれないけど、勘弁な。そのうち慣れると思うから、長い目で見てくれ」

 「いえ、ぼくも人と話をするのは久しぶりなので、意味もないことや不愉快にさせるようなことを口走らないか、少し心配です」

 「きっと、おれたち二人のうちどちらかが死ぬまで、ここで二人きりだぜ。ご近所さんになったんだから、死ぬまでよろしく頼むぜ。長生きしてくれよな。おれの前に死ぬんじゃないぞ」

 「こちらこそよろしくお願いします。こんなに歓迎されるなんて思ってもいませんでした。いいところに引越してきて、嬉しいです」

 「おれたち、どうせ死ぬまで娑婆に出られることはないのだから、仲良くやっていこうぜ。おれの名前はW。一人殺して終身刑だ」

 「ぼくはYです。ぼくも一人殺して終身刑です」

 「それにしても、一人殺して終身刑なんて、互いにおかしな自己紹介だな。娑婆ではありえない挨拶だよな。おれの生まれは西海岸の霧の多い田舎町だ」

 「そうですか。ぼくも同じ西海岸の田舎町で育ったんです」

 「何か、おれたち共通点が多いな。それで、おまえは誰を殺したんだ」

「元大統領を殺したんです」

 「えっ、本当か。あの伝説の大統領殺しの犯人があんたなのか」

 「覚えていらっしゃいますか? もう三十年近くも前の事件ですよ」

 「おれたちの世代の人間はみんな覚えているだろう。なんてったって大統領殺しだぜ。当時、世の中を震撼とさせたよな。それじゃあ、あんたは歴史上の人物だ。おみそれしやした」

 「いえ、正確には、大統領殺しではありません。当時かれはすでに大統領ではなかったので、元大統領です」

 「元があろうとなかろうと、どっちでもいいだろう。そんなこと。こんなところで小さなことに拘るんじゃないよ」

 「よくはないでしょう。ぼくが殺したのはしょせん元大統領なのですから。現職の大統領だったら、もっと世間を騒がせる衝撃的な事件になったはずです。そもそも当時かれが現職だったら、路上で演説していたかれにはもっと厳重な警備が敷かれていたはずですから。それをかいくぐって、ぼくのような殺人のど素人が、かれの背後に回って自作の拳銃をぶっぱなすなんてことはできませんでしたよ」

 「十分に衝撃的な事件だったけどな。元と言いながら、当時も与党の隠然たる実力者だったからな。与党の政治家は誰も面と向かってあいつに逆らえなかったんだろう。あいつの後を継いだ大統領も、あいつの指図ですぐに引きずり下ろされたんだろう。それも自分の保身のためだったというじゃないか」

 「確かにそうでしたね」

 「そんな大物だったから、あんたが殺した時には、あんたのバックに巨大な組織があると誰もが思っていたものな。おそらく三十年経った今でも、一部の軽薄な奴らの間では、元大統領の暗殺には外国のシンジケートが暗躍していた、というまことしやかな陰謀論が囁かれているはずだぜ。あいつの死は政治に利用されているらしい。あっ、これはおれの勝手な推測だけどな」

 「いつの時代も、ある種の人間は陰謀論が好きですからね。ケネディ暗殺事件じゃあないんですけどね」

 「だから多くの人たちは拍子抜けしたんじゃないか。あれはあんたの単独犯だったんだよな。それは本当なんだよな」

 「まぎれもなくあれはぼくが一人で起こした事件です。誰も関与していません。テレビや新聞でご存じの通りです」

 「話があっさりし過ぎなんだよ。丁度いいや。おれ、当時からあんたの事件に一つ疑問を持っていたんだ。もしあの事件の犯人に会うことがあったら、訊いてみたいと思っていたんだ。でも、会うことはないだろうから、おれは疑問を封印したまま鮫の餌になるんだろうなと思っていた。こうして犯人がおれの前に現れるなんて奇跡だぜ。ここだったら、誰にも邪魔されずにゆっくりと聞くことができるものな。にわかにおれの監獄生活が明るくなってきたぜ。生きててよかったと思える瞬間が訪れた。これは神様からのプレゼントかな。神様なんて全然信じていないんだけどな」

 「そんなに感激しないでください。ぼくが知っていることは包み隠さずお話ししますから、何なりと訊いてください。そのずっと訊きたかった疑問って何ですか?」

 「おまえはどうして元大統領ではなくて、おまえのおふくろを殺さなかったんだってことさ」

 「・・・・・・」


                 つづく

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