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老いた囚人の対話  作者: 美祢林太郎
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10 亡霊

10 亡霊


「ぼくは夜な夜な現れる亡霊にうなされているんです」

「気づかなかったな。おれ、幽霊は苦手なんだけどな。気持ち悪いじゃないか」

「大丈夫です。ぼく以外には見ることができないと思うので」

「そうか? それならいいんだけどよ。ここの監獄に幽霊は似合いすぎているからな。おまえに言われるまでは考えもしなかったが、ここで死んだ囚人の幽霊が出てきても、何も不思議はないものな。そう言えば、どうして幽霊が出てこないんだろう」

「殺人犯は幽霊にならないのかもしれませんね。殺された人の方が幽霊になるんじゃあありませんか? 恨みが残るのは殺された人の方でしょう。殺人者は殺したことで恨みは晴れたんじゃありませんか?」

「そんなこと誰が決めたんだよ」

「ふとそう思っただけです」

「殺したことくらいで、恨みは晴れるのかよ。そんな薄っぺらい恨みで人を殺せるのか」

「確かに人を殺しても心の奥底に晴れない恨みって残っていますね。すっきりしないものがありますね」

「だろう。それで、おまえが見たのはどんな幽霊なんだ」

「亡霊は自分のことをぼくの父だと言うんですけど、ぼくが4歳の時に死んだ父を、ぼくはまったく覚えていないんです。カルト教団の教義では、自殺は最上級の罪なので、家には一枚も父の写真がありませんでした。すべて燃やされたようです。だから、亡霊を見ても父かどうかわからないのです。それでも、亡霊は父だと言い張るのです」

「ここの監獄に入ってから幽霊を見るようになったのか?」

「いえ、最初に見たのは軍隊に入隊した頃です」

「もう、かれこれ四十年前じゃないか。四十年前から毎日出ているのか」

「ぼくが軍隊で自殺未遂をした後からは、ぱったりと出なくなりました。それがまた、つい最近になって現れるようになったのです」

「おやじさんの幽霊は何か喋るのか?」

「軍隊にいた頃は、母や兄妹の面倒を見るのがおまえの宿命だ、と口酸っぱく言うんです。そんなことは、ぼくだって子供の頃から、母や親戚から毎日言われてきたことなので、嫌になるほどわかっていることでした」

「子供なのに家族の世話がのしかかって大変だったな」

「それでも母がカルト教団に入信さえしなければ、人並みな生活ができたはずですけどね。宗教は宗教でも、カルトではなく誰でもが知っているような宗教に入信してくれていれば、ぼくたち一家は幸せに暮らせたはずです。母子家庭の手当てが定期的に入ってきたんですから、地道に生活していれば、食う物に困るようなことはなかったはずなんです。それなのに、母は給付されたお金をすべて教団に寄付してしまったんです。ぼくは常に試練を与えられているようなものでした。ぼくは高校が終わると、毎日コンビニで深夜のバイトをしていました。早朝の新聞配達もしました。土日には路上で交通整理のバイトもしました。ぼくは母への、そして家族への献身的な愛を、父から試されていたのです」

「そんなに努力しているおまえに対して、おやじの幽霊は何て言ったんだ」

「自分だけ幸せになるために、ぼくが一家を見捨てて家を出て、東海岸にある軍隊の寄宿舎に入ったことを責め立てたのです」

「おまえは、兄と妹のために金を稼いで仕送りをしようと思ったんだろう」

「そうです。しかし、父の亡霊は、「おれは家族のために自殺して多額の保険金を残した。おまえはそこまでの献身的な愛がない」、と毎晩怒って、ぼくを寝かせてくれないのです。ぼくはノイローゼになってしまいました」

「おまえはおやじに言ってやったのか? あんたが自殺したために、おれたち一家は不幸になったんだとね。もしおやじが自殺せずに生きていれば、おふくろは頭がいかれずに、一家もこんなに不幸にならずにすんだんだとね」

「同じようなことを、父に言ってやりました」

「すると、」

「すると、父はおまえは自殺する勇気がないからそんなことを言っているんだ、と言ったのです。死ぬのが怖いんだろう、と嘯いたのです」

「ひでえおやじだな。それでおまえ、どうしたんだよ」

「売り言葉に買い言葉です。ぼくは、ぼくも死んでやる、保険金を残して死んでやる、と宣言してやったんです。加えて、きっと母がぼくの保険金を全部教団に献金して、兄や妹の手元には一銭も入らないだろう、って捨て台詞を吐いてやりました」

「それで、おまえのおやじの幽霊は?」

「にんまりと笑って、「あの世で会おう」と言って、消えてしまいました」

「ひでえおやじだな。それでおまえは大量の睡眠薬を飲んで自殺を図ったんだな。でも、おまえは朦朧とした頭で、自分で救急車を呼んで助かったんだよな」

「そうです。無様ですね」

「どうして救急車を呼んだんだ。改めて生きようと思ったのか」

「いえ、朦朧としてそんなことを考える頭や気力はありませんでした。どうしたわけか、父がぼくを動かして、救急車を呼ばせたのです。その時、父を見たわけじゃありませんけど、今でもぼくはそう思っています」

「そこは、父親の愛情というやつか? 複雑だな」

「愛情じゃなくて、ぼくにもっと地獄を味あわせたかったんじゃないですかね。この程度じゃ生易しいとね」

「自殺を勧めたり、助けたり。気まぐれなおやじさんだな」

「どこまでも底意地が悪いのですよ。ぼくがもっと不幸にならないと満足できないんじゃないですかね」

「途中で、親である責任を放棄したおやじさんに、そんなことをする権利があるのか?」

「責任や権利なんて、そんなの頭の中にないんじゃないですか」

「おまえのおやじはインテリだったんだろう」

「そうですね。インテリと言えばインテリだったのでしょうね。一流の大学を卒業したんですからね」

「幽霊ながら、いろいろ考えていることがあるんじゃないのか?」

「相当邪悪なことか、単純に意地悪なのか。でも、ぼくたち兄妹を見捨てて死んだんですから、無責任だと思います。自分が残した保険金が、カルト教団への献金に使われることは、死ぬ前に少し考えればわかったことだと思います。こんなことを予想できなかったとしたら、相当なアホです」

「それで、おまえのおやじの幽霊が最近になってまた登場してきたそうだけど、何か喋っているのか?」

「ぼくが元大統領を殺したのは、やっぱり母からの現実逃避だと責めるんです」

「現実逃避して何が悪いんだ。おまえは、浴びるほど酒を飲んでも、女を抱いても、ギャンブルをしても、現実から逃避することができなかったから、もっとでかいことをして現実逃避するしかなかったんだろう。殺人も現実逃避だけど、自殺も現実逃避だよな」

「父が言うんです。自殺したおれが言うのもなんだけど、現実逃避は良くない、と言うんです」

「今更なんだよ。笑っちゃうじゃないか。それなら、おまえも殺人は良くなかったって言ってやればいいんだ。そんなすんでしまったことをぐちゅぐちゅ言って何が解決されるんだ」

「父は言うのです。今考えると、母は偉いと言うのです。母は破滅から逃げていないというんです」

「確かに、破滅に憑りつかれていることは間違いないな。でも、子供たちまで巻き込むことはなかっただろう。かってに一人で破滅していけばよかったんだ。おまえのおやじもあの世で自分に被害が及ばないから、他人事のように言えるのさ」

「ぼくもそう言ってやりました。すると、父がおまえはあの世には行っていないけど、母のいない監獄にいるじゃないか。おまえはこれが望みだったんだろう。おまえは本当は誰を殺しても構わなかったんだ。自殺に失敗してあの世にいけなかったおまえは、この一人になれる監獄に入りたかっただけなんだ。そう言うのです」

「おまえ、何か好き放題言われているな。幽霊だから殴れないだろうし、首を絞めて殺すわけにもいかないだろうけど、せめて耳でもふさいで聞かないようにした方がいいんじゃないか」

「ぼくも耳をふさいだのですけど、塞いだ手のひらをすり抜けて、声が耳の奥深くに侵入してくるのです。それから父が、せめて母さんに手紙を書いてやれ、と言うのです。おまえのできることはそれくらいしかないと言うのです」

「手紙かい。「一日も早くカルト教団から脱退してください」ということくらいしか書くことはないんじゃないのか。それよりも、おまえの母親の接見はないにしても、手紙は来ていないのか」

「一通の手紙も来ていません。そんなことは期待していません。母は筋金入りの信者ですからね。ずっと教団のことしか考えていないはずです」

「こうして話していると、おまえのおふくろさんは教団のことしか考えていなくて、おまえはおふくろさんや家族のことしか考えていないんだな。この三十年間、家族のこと以外に、娑婆であった楽しいことを思い出したりはしないのか?」

「楽しかった過去の事、一家団欒の思い出、誰か知っていたら教えてくれませんかね」

「おまえはおれと同じような境遇なんだな」


「最近は兄の亡霊も出てくるのです」

「おまえ大変だな。そんなんで寝られるのか? それでその兄貴の幽霊はいったい何だって言っているんだ。親父と同じようにおまえを責めるのか」

「いえ、ひたすらすまなかったって詫びるんです。自分が長男で家族の面倒をみなければならなかったのに、その役割をすべて次男のおまえに押し付けたかたちになって、おれはずっと申し訳ないと思っていたんだ、と涙を流しながら詫びるのです」

「そう言われても、病気だったから仕方がなかったんだろう」

「ぼくもそう言って慰めるのですけど、長男なのに面倒をみるわけでもなく、却って面倒をみてもらって申し訳なかったって、ずっと涙を流すのです」

「今更謝られてもどうしようもないよな」

「そうなんですよね。もう時間は戻ってこないし、たとえ戻ったとしても、兄が病気にならなかったなら別ですけど、これは兄が自分でどうこうできた問題じゃないですからね。兄もかわいそうだったのです」

「そうだな。おまえのおふくろが変わらなければ何も変わらなかったよな」

「だけど、兄が言うには、自分が小児がんにさえならなければ、母がカルト教団にすがるようなことはなかったと言うんです」

「世の中、不治の病にかかっている子を持つ親は多いけど、そのみんながカルト教団に入信しているわけじゃないぞ。おまえの母親に原因があるんであって、兄貴に原因があるわけじゃないだろう。兄貴が負い目を持つことはないんだよ」

「そうですよね。ぼくもそう言って兄を慰めているんですよ」

「そうだ。病気になったのは誰の責任でもないんだ。だけど、食うものも食えなくなった責任は、間違いなくおまえのおふくろにある。それを直視しないとな」

「この監獄で直視しても、何が変わるというのです。母がカルト教団を脱退するとでも言うのですか。それはないでしょう」

「そうだな」

「亡霊はいついなくなってくれるのでしょう」

  

    つづく

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