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老いた囚人の対話  作者: 美祢林太郎
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9 父

9 父


「今日はおまえのおやじの話をしようじゃないか」

「そりゃあ、いいですけど。ぼくが4歳の時に自殺した父のことを、ぼくは全然覚えていません。どうして父のことまで引き合いに出さなくてはならないのですか。父の存在が、ぼくの元大統領殺しと何か関係があるとでも言うのですか」

「おまえのおやじが自殺せずに生きていたら、おまえは殺人事件を起こしていたと思うか? きっとおまえは、殺人事件を起こしていなかっただろう」

「だとしたら、どうだと言うんですか。誰かがぼくの父の命を救うことができたとでも言うのですか」

「そんなことは知った事ではない。しかし、おまえの恨みが元大統領に向かったことは、お門違いだったんじゃなかったか、と言いたいだけだ」

「恨みの矛先と父とが何か関係があるのですか」

「少なくとも、おまえの恨みが向けられるべきは、自殺したおまえのおやじだったんじゃないのか」

「父を殺そうと思うほど憎んだ方が正解だったと言うのですか。たとえそうだとしても、ぼくが殺人を思い立った頃は、父はすでに亡くなっていました。父を憎んでも殺すことはできなかったのです」

「確かにそうだ。だが、殺せなくても恨みを向けることはできたはずだ」

「父を恨んでも具体的にどうしようもなかったでしょう。何も行動に起こすことはできなかったし、何も解決はしなかった」

「今でもおまえは、何も解決できてはいない。元大統領を殺しても、何も解決できなかったんだ」

「それはそうですが・・・」

「おやじを自殺に追い込んだ理由を、おまえは知りたいと思わなかったのか?」

「一言で言ったら、仕事のストレスだったんでしょう。坊ちゃん育ちで学者肌の父には、土木工事に関わる海千山千の連中との駆け引きはストレスが多かったのではないですか」

「おまえはそんなどこにでもありそうな話で、おやじさんの死を受け止めていたのか? それで満足しているのか?」

「だから、自殺はぼくが4歳以前にあった出来事なんですよ。それを蒸し返してもどうしようもないでしょう」

「おまえのおやじは、同業他社との談合に神経をすり減したのは確かだ。だが、もっとストレスだったのは、おまえのじいさんだったんだ。おまえも知っての通り、おまえの家の土建会社はじいさんが起業したものだ。その娘と結婚したおまえのおやじは、後継者として無理やり入社させられた。じいさんはおまえのおやじを後継ぎとして厳しく鍛え上げようとした。手こそ上げることはなかったが、人前で罵倒されることはしょっちゅうだった。それが子供の頃から叱られたことのない優秀なおやじには、耐えられなかったんだ。もしかすると、小さな田舎の土建会社の社長として一生を過ごすことに、明るい未来を見いだせなかったのかもしれない。そもそも社長になる気もなかったかもしれない。おまえのおやじは大学に残って学者になる夢をずっと捨てきれずにいたんだ」

「おそらくそうだったのでしょう」

「おまえのおやじとおふくろは大恋愛をして結婚したんだ」

「ぼくも知らないようようなことを、よくご存じですね」

「ああ、毎日テレビを見ていたからな」

「テレビはそんな我が家のプライバシーまでほじくり返していたのですか」

「テレビのワイドショーがもっとも好きなネタだろう。何でもかんでもがおまえの殺人動機に結び付けられるからな」

「それで話の続きはどうなんですか」

「じいさんは会社の跡継ぎに学歴は入らないと考えるタイプの古い人間だった。自分がそうであったように、たたき上げの野性的な男が後継ぎとして相応しいと考えていたようだ。おふくろさんがカルト教団に入団した理由は、亭主の自死によって取り残された孤独感もあっただろうが、それと同時に、亭主を追い詰めたじいさんへの復讐もあったんだ」

「復讐? 母は祖父を尊敬していましたし、祖父も母を愛していたはずです」

「おふくろさんは、じいさんが亭主を死に追いやった張本人だと考えたんだ。だから、じいさんが築いた全財産を無意味なものにしようとして、教団にじいさんが残した土地や家屋を全部貢いだんだ」

「母親の献金がすべて祖父への復讐だった・・・。そんなことを母は考えていたというのですか?」

「おまえたち子供にはいいとばっちりだよな。それでも、おまえのおふくろさんの亭主への愛は真っすぐだったんだ。子供たちのことを考える余裕なんてないくらいにな。

おまえを殺人者になるまで追い込んだのはおふくろさんだけど、そのおふくろさんをカルト教団に入信させて破滅にまでに追い込んだのは、いったい誰でしょう?」

「あなたの話だと父を自殺に追い込んだ祖父になるんでしょうね」

「おまえのおふくろはそう考えた。だけど、おまえにとっては妻と子供を残して自殺した弱いおやじってとこじゃないか」

「ところが、親戚の人から聞いた話によると、結婚してから、母は父にしょっちゅう暴力を振るわれていたそうなんです」

「おまえはそれを見たことがあるのか?」

「いえ、まだ4歳ですから、その場面を覚えていることはありません。兄貴や親戚から聞いた話です」

「おやじさんは本来暴力を振るうような人間ではなかったはずだ。仕事のストレスでおふくろさんに暴力をふるったんだろうな」

「仕事もあるでしょうが、他に原因があったのかもしれません」

「それは何だ」

「学問に戻れない苛立ちだったのかもしれません。自分の運命を受け入れられなかったのかもしれません。これはぼくの推測ですが」

「自分の運命を受け入れることに堪えられない人間はどこにでもいるよな。そういう奴は生きていくのが苦しいんだ」

「そうだったのだと思います」

「すると、おふくろさんはおやじさんから暴力を振るわれたから、おふくろさんはカルト教団に入ったというのか」

「父が生きている時に、母は何かの教団に入信していたらしいんですけど、教団の名前まではわかりません。カルト教団よりもずっとマイルドな宗教だったようです」

「整理してみよう。おまえのおふくろが今のカルト教団に入信したのは、もともと何がきっかけだったんだ」

「父の自殺です」

「じゃあ、タラレバの話をしても仕方がないが、おまえのおやじが生きていれば母親はカルト教団に入信しなかったんじゃないのか」

「父が存命中に、最初の教団に入信していたんですから、カルト教団に入らなかったとは言い切れません」

「おやじが生きておふくろをしっかり支えていれば、おふくろさんは魂を奪われずに助かったとは思わないのか」

「父は母を支え切れたのでしょうか? 支えることができなくて、支えることを放棄して、自殺したんじゃなかったのでしょうか?」

「おまえはおふくろさんだけでなく、おやじさんにも優しいな。おまえはどうしてそんなに優しいんだ」

「殺人者に向かって、優しいと言ってくれるのはあなただけです」


        つづく

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