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間違いだらけの、、  作者: kei
35/51

インターミッション 1

あくまでも個人的な考えですので。。


では ほんぶんはじめます

工業高校指導要項の変化について 史実

  

自分が母校に入ったのは昭和61年4月 この物語と同じなのですが。。

実のところ、その前年度より電気・電子科においては"くくり募集"と言う形で

入学時は電気科、1学年時の2学期末並びに3学期に電気・電子の選択を行うというシステムであった。

これがどのような経緯で行われたか?についての資料はないのですが、当時の記憶をもとに書くと、幅広い知識を・・というのだけど、のちにこれは電気・電子統合ということになる。

 昭和64年度つまり平成元年度より電気科となるのだけど、そのときの目標というのが・・・在学中に電験三種合格者を出す、、という目標があったとされている。

ちなみに、、この30年間で合格者は出ていない、、受験者がいたかは?ですが。


実質現在の母校の電気科のカリキュラムみると・・そのような方向性なのだけど、、

問題は・・電工2種合格者が出にくい、、、

昭和62年、筆者は興味ないので受けなかったのですが・・受けとけばよかったと現在後悔中・・60名ぐらい筆記の1次試験受けてその80%が合格。2次試験はその1/3ぐらいではなかったかと。

なにがちがうんですかね?


さておき、、

中曽根政権時代、、土光臨調のあたりですね、、に行われた臨時教育審議会答申

1985年から1987年 合計4回において、、


 個性尊重・生涯学習・変化への多様性


という基本方針ができた、、となっています。


変化への多様性、、、母校の電気科くくり募集はこの時点では画期的な取り組みであるとおもうのです。なにせ、昭和62年1987年の 第4次答申の前に神奈川県がこのように動いたことは正しかったとおもうのですが、その後が。。母校電気科については・・です。


工業高校については、1970年代初頭から方針の再検討・改善が始まったとされており、


高校学習指導要綱(工業)の目標の変化として

1951年の段階では、将来、日本の工業の建設的発展の機関である"中堅技術工員"となるべきものに必要な技能・知識・態度を養成

これが1956年になると、"技術工員"というのが"技術員"の育成となり、

1960年から70年までの目標が、工業の各分野における"中堅の技術者"に必要な知識と技術を"習得"という目標が掲げられておりました。


中堅の技術者 すなわち、、現在においてはさしずめ高専卒者ですかね。


最近の高専卒者、、、は高専5年+専攻課程2年+大学院にまで突っ走るというのもごろごろいるそうなので、、

工業高校において一部で専攻課程を設けているところがありますが、どうも専攻課程は資格取得の場になってしまっている、、無線系で言えば・・第一級陸上無線技術士と第一級総合無線通信士とって退学し、海上保安庁に行くとか。。

こちらは、本来の目的は・・ちがうそうじゃない。。のだけど、実情に合ってないことをするからそういう方向に突っ走るのでは?とおもいますけどね。


これが78年になると、工業の各分野にわたる"基礎的"な技術を実験・実習によって"体験"というレベルまで下げられます。

 これは工業高校を取り巻く環境の変化

  中学校ならびに親御さんの考え方の変化によるものともされており、

また、工業高校での職業教育はとうぜん自己完結的正確なものではなく、後続の企業での補完訓練を前提とされたものである、、とされております。

 企業内でのOJT含めた基礎教育に対応できる人材の育成、すなわち産業界が要求する各段階に応じた、、となるわけなのだけど・・


ちゃんと人材育成している企業さんはいいんですけどね。。


中曽根政権時代の臨時教育審議会答申においての最終的結論 指導要領はというと


 工業の各分野に関する"基礎的・基本的"な知識と技術を習得


となります。


が、のちの*2008年 中央教育審議会答申において

 専門高校に求められる人材育成 

として

 1.将来のスペシャリストの育成

 2.地域産業を担う人材の育成

 3.人間性豊かな職業人の育成

となります。


中曽根政権時代の臨教審で  "基礎的・基本的"な知識と技術を習得 まで引き下げられた目標を、

1.将来のスペシャリストの育成 すなわち専門技術者の育成にアップさせたということは、臨教審での答申の結果が約20年間である意味間違っていたということなのかもしれません。


だがすでに遅し、、だと考えます。


この中教審の2年ぐらい前に、まだ母校に非常勤講師として残っていた恩師とのメールやりとりにて、

 基礎学力がないため、簡単なプログラミングすらまともに出来ない

 生徒のやる気をおこさせるだけでも大変

ということを知りあぜんとしました。


**他県の工業高校にて、SSH スーパサイエンスハイスクール認定を受けている工業高校も存在していますから。。

地域性もあるのでしょうが、指導要綱無視して独自路線をすすむところもあるみたいですね。



*https://www.pen-kanagawa.ed.jp/odawarajohokuh/zennichi/gaiyou/documents/granddesign.pdf


** 静岡県立浜松工業高校など


 参考文献 博士論文 高等学校段階での工業教育の社会的機能と役割の変化

 福本 敦  2013年

kou1299_Doctoral Thesis_fukumoto.pdf より



よんでくださってありがとうございました。


この世界の工業高校の高校学習指導要領 目標は1960年を基本としております。

それ以上なのかもしれませんけどね。


では DE JI1QAU ex KJ7HHH "kei"

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