矢島 崇 編
夢を諦めた時に人のせいにしたくなることってあると思います。あの時、誰かが手を差し伸べてくれていたらとか、あいつがいなければとか、もっと生まれた環境が良ければとか。そう思う事は良いと思います。辛い時は人のせいにして逃げて良いと思います。私もそうします。むしろそれで開けるような道もあるような気がします。諦めたらそこで終了って残酷ですね。
百歳まで生きてその時後悔は考えたいと思います。
ショートショートになっているか疑問ですがぜひ読んでみて下さい。
夕焼け空のオレンジが柔らかく入り込んだ教室。乱雑に置かれた机。チョークの白が掠れた黒板。
ーーー僕は、夢を諦めた。
「君は、才能がある!続けていたら凄くなれるぞ!」
そんな社交辞令が発せられた口は、気持ち悪い笑顔に包まれていた。
僕と母親と、担任の先生が向かい合う中で、僕に向けられたその言葉に、母親は、怪訝そうな顔をうかべる。
「そんな訳ないじゃないですか。先生。子供は夢見がちなんです。馬鹿みたいなことを言う子供を叱るのも教師の務めでは無いのですか?」
いつも家で聞き慣れた、機嫌の悪い母親の発する低くて威圧感のある声。担任の夏田は、体育教師らしいガッチリとした身体を硬直させて苦笑いを浮かべている。
「本当に僕には才能があると思いますか?」
夏田に対する単なる嫌がらせだったかもしれない。もしくは蜘蛛の糸にもすがるような淡い希望混じりの質問だったかも。
「あ………いや、勉強はしっかりした方がいいと思うぞ!ね、ね?お母様?」
機嫌を伺うように僕に指導を始める夏田。やっぱり、僕の質問は、単なる嫌がらせだったんだろう。
「そうですね。私はこの子を思って言っているんです。そんなスポーツ推薦なんて、プロになる訳でもなければ、将来何の役にも立たないじゃない。」
こういう事を我が子に平然と言ってしまう母親は、今時『毒親』なんて呼ばれるんだろうか。僕は親ガチャで爆死でもしてたのかな。
「分かった。ありがとうございました。先生。進路は考え直す事にします。」
こうして僕の高校三年一学期の三者面談は、終了した。
初めて、夢を志したのは、小学校低学年の時だった。寝付けなくて、リビングに行き、着けたテレビに映っていたサッカー日本代表特集。そこに映っていた日本代表のGK。歳原大山選手。中学のクラブ活動からサッカーを始めて、高校では日本選手権に出場し、それまで、全国優勝常連だった西條工業高校の激しい攻めをわずか三得点に抑えた名GK。日本代表U16にも選出され、今では海外でも活躍する日本の守護神。
そんな特集を見て、小学校のサッカークラブに所属し、毎日ドロドロになりながら練習していたのを思い出す。
そしてその時コーチが僕に掛けた言葉でさっきの三者面談もこの有様になってしまったんだ。
「『君には才能がある!続けていればきっとうまくなる!』」
僕はそんな社交辞令を真に受けて中学、高校と、サッカー漬けの青春を送った。人より何倍も練習していた。人より何倍も考えた。人より。
───でも才能は開花しなかった。
最近テレビで見て心に刺さった言葉があった。
「人よりも努力する事を目標にしている人間は、ぬるま湯のてっぺんで胡座をかく」
きっとこれは僕に言われていると思った。中学、高校は、それなりの強豪校で、県大会も常連だったが、全国レベルの強豪校には手も足も出なかった。井の中の蛙。そんな言葉が僕にはあっている。
次の日。朝練で、夏田に呼び出された。
「矢島。俺はお前に期待している。努力する大変さを一番わかっているのはお前だ。才能があるんだよ!努力する才能が!」
涙ぐみながら語りかけるように話す夏田。朝からジメジメと蒸し暑いせいか。汗臭かった。
「夏田先生。僕もお話がありました。退部届けを頂けますか?」
ハッとした顔で、僕を見つめる夏田は、大きく息を吸い込んで、飲み込んだ。
「………分かった。放課後職員室で手続きをしよう。」
清々しい気持ちだ。諦めるって素晴らしい。
「ありがとうございます。じゃあ、僕は教室に戻ります」
後ろでガタイのいい男が背を丸くしているのが分かった。
僕は笑いながら「では、失礼します!」
私はこれが初投稿なので、優しく見守って欲しいです。文法、誤字脱字色々あるかもしれませんが勢いで書いてしまったので心に収めてください。
これの後。別の人の『諦め』も載せます。
読んでいただいてありがとうございました!